“フジロックが育てたアーティスト”に訊く【検証】フジロックが20年愛され続ける理由 ~ROVO編~

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■ 東京だと知らない人から「勝井さん」って滅多に声をかけられないけど
■ フジの会場だと超有名人。そこらを歩いてるだけでみんな寄ってくる(笑)

──2000年の時のステージはフィールド・オブ・へヴンですね。

勝井:そうです。前の年にPHISHが出た。それはもう明確に意識してました。これはPHISHの出たステージだと。というかそもそもPHISHのために作られたステージだったと思うんですよね。

──かもしれないですね。

勝井:あそこのスタッフとかお店の人たちとか、今でもずっと変わらず同じなんですよ。そこに入って、「ここのバンドだ」って認めてもらえた年というか。

──フィールド・オブ・へヴンが一種のコミュニティであり解放区なんですね。

勝井:そうそう。

──フジロックの中でも特別な場所である。

勝井:もちろんそうです。僕らは「へヴンのバンド」なんです。たぶんへヴンの人たちもそう思ってくれてるはずなんで。僕ら9回のうち6回へヴンなんですよ。

──偏ってますねえ(笑)。

勝井:偏ってます(笑)。あとはホワイトが2回とレッドが1回。

──それだけ数多く出てると、年ごとの記憶とか曖昧になりそうですが、特に印象に残っていることとかありますか。

勝井:2012年にホワイトに出た時に、僕らもそうだけどみんながびっくりするぐらい人が来て。あれ、もしかしたら入場規制に失敗したんじゃないかな。

──ええっ?

勝井:入場規制って最初からかけて導線を確保しないとできないんだけど、俺たちにそんなに客がくると思わなかったみたいで。入場規制をかける前に、フロアが全部埋まったんだと思います。なので僕らの友だちが辿り着けなかったりして。ものすごい数の人がいたんだと思いますよ。あそこはきちんと導線確保して満員で15000人と言われてますけど、たぶんそれを超えたと思う。あれは凄かったですね。見渡す限り人で、道がない(笑)。

──アンダーワールドのライヴDVD(『EVERYTHING,EVERYTHING』)に満員のホワイトの様子をステージから撮ったショットがあるんですけど、壮観でしたね。あれはステージに立った人しか知らない光景で。

勝井:凄い光景ですよ。そこがフジロックの凄いところで。僕らが普通にやってワンマンで1万人も来るなんてまずありえないけど、フジロックという場所では、15000人を超える人たちが、僕らを見に来た。もちろんタイミングもあると思うんですけど。

──裏に誰が出ていたかという(当時のタイムテーブル )ことも関係しますもんね。

勝井:そうそう。でもそういう状況が起きるのはフジロックならではだと思います。ほかでは起きない。

──メタモルフォーゼとかライジングサンとか、ほかのフェスも出る機会があると思います。比べてフジロックはいかがでしょう。

勝井:フジロックが野外フェスという文化のフラッグシップ・リーダーだと思いますね。ほかのフェスはある種、フジロックの理念を道しるべとしているところがあって。フジロックもそれをわかったうえで運営している。

──フジロックから受けた影響って何かありますか。

勝井:やはり多くの人たちに知ってもらえるきっかけになったのはフジロックだと思いますね。僕らがやろうとしていたことと、フジロックの方向性がうまく合致した。時代的にも。

──ROVOがフジロックのお客さんを教育した面もある気がします。

勝井:いやいやそんな! それはないと思いますよ。

──クラブで踊る習慣がある人は別だけど、当時の普通のロック・ファンは慣れてなかったと思う、踊るって行為に。それにROVOは曲が長いし、歌もないし、メリハリのある展開もないし、繰り返しの多いずーっと潜ったようなダウナーな曲調が続いて、それに焦らされ焦らされ、いつのまにか盛り上がって最後は大爆発するというパターンが多いじゃないですか。つまり従来のポップスやロックとはまったく違う楽曲構造がある。ROVOを聴くことでお客さんがそういうものに慣れたということはあるんじゃないでしょうか。

勝井:ああ! そうかもしれないですね。

──こういう音楽の楽しみ方、気持ち良さもあるんだってことをフジロックに来る人たちに教えたというのもある気がします。

勝井:なるほど、それはあるかもしれない。

──あとね、意外にフジに来るお客さんで、ホワイトより先には行かないって人も多い気がするんですよ。「ROVOっていうのが最近評判だけど、ホワイトだから観てみるか」みたいな人も多かったんだと思う。

勝井:なるほどね。へヴンやオレンジコートはそういう人たちにとっては「地の果て」みたいな(笑)。でも僕らもともとそういう地の果ての出身なんで(笑)。地下15階みたいな、知ってる人も知らないみたいな(笑)。ROVOの翌年に渋さ知らズも出るんですけど(当時は勝井も参加していた)、あんなアングラ中のアングラみたいなバンドが表に出て、盛り上がったのは、フジロックの力が大きいんじゃないですか。

──確かに。

勝井:渋さがグリーンの朝一番に出た時があったんですけど(2004年)、あれはいい想い出ですね。演奏するうち、人がどんどん集まってくるんですよ、僕らのステージに向かって走ってくる。「やってるやってる! 急げ!」って。どんどん人が増えてくる。すごくいい光景でしたね。

──目に浮かびますね。

勝井:ROVO以外でも地方に行く機会が多いんですけど、フジロックでROVOを観たって人がすごく多い。全国どこでもいますね。北海道から沖縄まで。○○年のフジロックで観ました!みたいな。僕らも全国津々浦々回れるわけではないけど、フジロックという舞台があるからコネクトできてる。

──恵比寿みるくはアンダーグラウンドな地下世界だったけど、フジもある意味で外界から切り離された大きなコミュニティという感じもありますね。

勝井:そうですね。絶対そうだと思う。変な話ですけど、僕が東京を歩いてて知らない人から「勝井さん」って声をかけられることなんて滅多にないけど、でもフジロックの会場だとオレすっげぇ有名人ですから(笑)。そこらを歩いてるだけでみんな寄ってくるから(笑)。あそこは僕の知名度が世界で一番高い場所ですね(笑)。

──フジロック限定有名人。

勝井:ほんとそうですよ!(笑)

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