【インタビュー】TAKURO、ギタリスト人生を支える“愛機”ヴィンテージ・ギターの世界

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■好きな人と好きなギターに囲まれて生きていきたい

──手応えはいかがでしたか?

TAKURO:マスタリングが終わって最初に感じたのは、「うわ、これ、間違いなく全部俺だな」と思った。「俺、うまいこと言おうとしてる」とか「粋なことやってやろうってズルい顔した俺がいる」とか、自分だからわかるんですよ。ジョークがみんなに刺さって大爆笑のときもあれば、苦笑いの時も全部出てるの(笑)。「迷うことなくこれは俺だな」って思った時「ギターっておっかねえな」とも思った。だけど、「らしさが満載」「普段のTAKUROってこんな感じだよね」っていうのが誤解なく伝わる作品がひとつできたかな。生きた証がここにあるみたいな。

──それは素晴らしい。

TAKURO:一番の「らしさ」は、GLAYとしての地位と権力を最大限利用して「売れそうもねえもん作ったな」っていうところ(笑)。「そんな感じだよね、君は」って作品ですよ。

──ソングライター/コンポーザーとしてのGLAYのTAKUROが世の中の一般イメージですから、この作品に驚く人はたくさんいると思いますよ。

TAKURO:実際に有名なフレーズを作り続けてきたのはHISASHIですからね。ただね、GLAY20周年のとき、しみじみ思ったんです。「俺、GLAY向いてんなあ」って(笑)。GLAYのリーダーって俺の天職なんです。こいつらといると楽しいし、TERUみたいなスター気質のやつの近くにいると自分もスターになったような勘違いもできるし、だから「俺は死ぬまでこの3人とわいわいやっていきたいんだな。よし、そのためだったら何でもやってやろう」って今まで来たんですけど、ギタリストという面では、何かしらの後ろめたさみたいものがあったわけです。そこに向き合わない訳にはいかないなって事で、20周年を前にして、それこそ楽器屋へ行って上達する方法とか、地獄のメカニカルフレーズを弾くとかやったんですよ(笑)。

──教則本ですか(笑)。

TAKURO:買いましたよ。「小指ちょっと下手だ」とか「ギターでコケコッコーとかやりたくない」とかね(笑)。そんな中で松本さんに薦められたこともあってヴィンテージを買ったんです。ヴィンテージを持つことには責任の重さと所在の置き場所の大切さとかあるけれど、俺のGLAYに対するこの責任感をもってすれば、もしかしたらヴィンテージの世界はありかもしれないなって思った。背筋が伸びるし、気持ちが凜とするし、自分にもっと素直になってギブソンのレスポールを持とうと。

▲左:Gibson Les Paul Standard 1959年製/右:Fender Stratocaster 1954年製(共にTAKURO私物)

──ギブソン系が好き?

TAKURO:ストラトは上手い人が弾くっていうイメージで、俺の五感やロック感みたいなものとは相容れなかった。でもチームとしての音像/役割分担として、HISASHIの音に対してストラトとか使ってたんです。それを払拭してくれたのがヴィンテージの音。とても抜けがいいんだけど、決して他の邪魔をしない。

──それもヴィンテージの不思議ですよね。

TAKURO:そう。不思議。フルコードじゃなくても1~2弦だけでいける存在感とか。ある意味、人間関係と同じで、同時に話し出すってないじゃないですか。誰かが話してるときは誰かが聞く、もしくは頷く。そういったやりとりみたいなことを気付けるような年齢になったときに、ヴィンテージって自分の人生において大切なパートナーになり得るなあって思います。こいつとだったら自分が上手くなったような気もするし、下手こいたときにはサポートしてくれるような気もするし。自分が上手く弾けたときにその何倍も輝かせてくれるし、この音からメロディも浮かぶし。「函館日和」のテーマ部分は、1955年製ゴールドトップの4弦でないとしっくりこないっていうか、3弦じゃダメなんだなって。そういう個体それぞれが背負ってきた歴史みたいなものと、メロディと自分のスピリットの3つが33%ずつなんですよ。残りの1%は何かしらのマジックがあるとしてね。ヴィンテージの歴史と自分の歩んできた道のりみたいなものがどの曲でも大事で、それがないとダメ。このメロディに対して「オクターブ上で弾いてみろ、オクターブ下で弾いてみろ、個体を変えてみろ、アンプを変えてみろ、そしたら絶対にこれだよねっていうピンとくるものがあるはずだ。自分はそうしている」ってアドバイスは松本さんがくれたんですよ。

──松本孝弘は、自分のソロでもそのようにしていますよね。

TAKURO:レス・ポールさんのように、自分が60歳、70歳になって飛び込んだバーで何かを演るとき、最後に残るのは右手と左手とギターについているいくつかのボリュームとスイッチしかない。どう押さえるか、どのフレットでどの指で弾こうか…そんなことを学ぶとすれば、こうなっちゃうよね。とにかく今の音楽には4小節の中の情報が多すぎて、俺ごときの情報処理だと処理できる前に次のフレーズにいっちゃうから、じっくり音楽に向かうことが億劫になっちゃうんです。

──咀嚼しきれない?

TAKURO:次から次へと情報がやってくる。タクシーに乗ったとき、どんだけ画面眺めてるんだ?みたいな話でね、スマホ中毒ですよね。その10分で「なぜ四季を感じないか?」と。過ぎゆく風景や通り過ぎる人たちから何か得ようとしないのか。なぜ画面からしか情報を得ないのか。その反動もあったと思います。「誰もがわかる文字量・情報量で、わからないことを言ったとしたら後ろの人が補足してくれる」ような、隙間のある贅沢な4小節にならないかなあって。

──スマホの中の情報よりも、そのときに感じた風のほうがよっぽど豊かな表現があるかもしれないですね。

TAKURO:自分の中で情報過多なところがあったんでしょうね。だからそうでない音楽が聴きたかった。

──ギターを始めたときのTAKURO少年は、20~30年後にこうなっていると思っていたでしょうか。

TAKURO:ないと思います。ギターは自分が成り上がるためのひとつのツールであり、貧乏から脱出するためのツールであり、歌本からヒット曲のセオリーを学んだり曲を作る道具だったから。あるいはGLAYでいる理由とか(笑)。

──クールですね。

TAKURO:当て振りよりは、ちょっとは弾けた方が良い、そんな程度のものですよ。だけど、いよいよ自分の人生を思うとき、好きな人と好きなギターに囲まれて生きていきたいって心から思うようになったんですよね。

──やっぱり“ギタリスト”だったんだ。

TAKURO:だったんですねえ。やっぱり「GLAYのTAKUROです」じゃなくて「GLAYのギターのTAKUROです」だったから。

──ソングライティングの良さが前に出過ぎていたのかな…。

TAKURO:そうですね。やっぱり歌いたい歌を作っていたから。でも最近は、僕はあの3人と一緒にできれば何だっていいんですよ。メインソングライターじゃなくたって構わないし、極端な話全員が漫画家集団であっても構わないんだけれども。それぐらいあいつらといると人生が面白いから。同時に、自分の中の遅れてきたギタリストの炎みたいなものはずっとあって、何か新しいことをって思うとき、それは小説家転向でもなく俳優転向でもなく、ましてや焼肉屋の経営でもなく、やっぱりギターだったんですよね。

──ええ。

TAKURO:俺って可哀想で、親友と呼べる連中がHISASHI、SUGIZO、TAK MATSUMOTOっていう。上手いやら才能あるやら。ただ、自分の生き方に少しだけ自信が持てたとき、その自信をギターに置き換えればいいわけで、あんなに速く弾かなくても、あんなに変な音出さなくても(笑)、俺のギターいいじゃねえかって。まあ、なにせ松本さんがプロデュースを引き受けてくれた時点で「じゃあ、なんかあったら半分松本さんのせいだからね!」って(笑)。

──実際の曲作り/メロディ作りは、GLAYでの曲作りとどう違うんですか?

TAKURO:インストを作ろうとしたとき、どうやって作っていいか作法がわからなかったんですよ。GLAYの歌を作るのは簡単なんです。アコギ一本持ってノートにメロディと詞を書いてできるんですけど、ギターソロのメロディとなると何にも浮かばない。

──それは前途多難ですね。

TAKURO:それは、ある境で変わったんです。例えば1955年(のレスポール)…「グランマ」って呼んでいるんですけど、これはマイルドで優しいお婆ちゃんの語り口のような、そんなギターなんです。この人が歌うんだとイメージすると、いきなりソウルフルな、お婆ちゃんシンガーが歌う曲が書けるんですよ。この歌声だったらこうだみたいな。TERUのことを思って書いてるのと同じなんですよね。「あの声だったら、ここはバビブベボの方が絶対活きる」みたいなのが分かった途端に、2ヶ月で8曲くらい一気にできた。

──なるほど、シンガーがTERUじゃなくてギターなんだ。

TAKURO:そうですね。そうやると、いつものGLAYモードで曲が書ける。だけど相変わらずギターソロはできないから「松本さ~ん、なんかアイディア!」っつって(笑)。

──なんだそれ(笑)。

TAKURO:「じゃ、こんな感じ?」「それは弾きすぎです」とか。「それ、俺らしくない。松本さんだから弾けるんだよ。もっと簡単にして。簡単でカッコいいヤツ」って(笑)。

──あはは(笑)。

TAKURO:そしたらクイ~ンって4小節全部チョーキング(笑)。それはそれで難しいぞって(笑)。

──確かに(笑)。

TAKURO:「Journey without a map」の頭とか「RIOT」の一部分も、それは本当に年輪を重ねた大御所がやるやつで、「俺には無理かも」なんつって(笑)。

──楽しそう(笑)。

TAKURO:すごい毎日楽しくて。ギターの先生がTAK MATSUMOTOだからね。授業料いくら払えばいいのかって(笑)。そういやその辺にあった松本さんのファイヤーバードも黙って弾きました(笑)。ハイポジションが欲しかったんで。

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