【連載】Vol.003「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

ツイート

ディランやストーンズに加えヤードバーズのLIVEも良かった。ジム・マーカーティーにエリック・クラプトンのことも聞いてみた。皆さんの2016 BEST LIVEは!?

2016年も残すところあとわずか。年末になるといろんなところで“今年のベスト・アルバム”“本年度最優秀ライヴ“といった年間アウォーズみたいな賞がいろんなところで話題になる。個人的にはやっぱり1年を振り返るときにまず思い浮かべるのがBEST LIVE。今年も50本以上…。

1964年から、もう半世紀以上に亘っていろんなコンサートを楽しんできた。その数はどのくらいになるんだろう、“ローリング・ストーンズ&RSメンバー・ソロ”だけでも200回近く、ベンチャーズも90回以上(知り合いのアルフィー・ファンは彼らのコンサートを500回以上…ドメスティック・アーティストの追っかけ隊にはかないません)。

音楽業界で仕事する以前から僕は結構浮気者で、国内アーティストもジャズもクラシックもゴスペルも気に入ったアーティストのステージをどんどん楽しんでいた。60年代後半のジョン・コルトレーンやセロニアス・モンクも行ったし、東京・池袋のドラムでほとんど女の子ばっかりだったけど、タイガースのストーンズ・メドレーを味わった。


▲1966年ジョン・コルトレーン日本公演プログラム from Mike's Collection

基本はロック&ソウル。60年代、特に印象に残っているのはBB5ことビーチ・ボーイズ、ホリーズ、スティーヴィー・ワンダー、サム&デイブ、東京・立川基地でのハウス・ロッカーズ、東京・赤坂MUGENでのデ・スーナーズだ(B4をあげないのが…、ウフフ)。


▲1969年サム&デイヴ日本公演プログラム(サム・ムーアのサインは昨年12月にインタビューした際に頂いた) from Mike's Collection


▲CD「ザ・ハウス・ロッカーズ」 メンバーの一人ギル(ギルバート・コールマン)とは友人だった 会いたいナァ~ from Mike's Collection

2016年も1月の沢田研二、THE BAWDIESからはじまってリサ・フィッシャー、菊田俊介、ブライアン・ウィルソン、Station To Station(デイヴィッド・ボウイ追悼ライヴ 東京公演完全出席 出演者のバナード・ファーラーが大親友なもので)、ドン・ブライアント、パティ・スミス…。もちろん既報のデザート・トリップ3日間が最高だった。


▲「沢田研二 2016正月LIVE」から  提供:株式会社ココロ

天満敦子&青柳いづみこ、吉野ミユキ、浜崎あゆみ、そしてマリーナ・ショウ、セルジオ・メンデス(春&秋)、ウェンデル・ブルニアス・バンドも楽しんだ。もちろんベンチャーズ!改めてリストアップしてみると、すっごくボーダレスだと自分でも吃驚。青柳が最近発表した高橋悠治とのアルバム「大田黒元雄のピアノ ー100年の余韻- 」、杉並生まれということもあってとても興味をもって聴いている。中でも青柳のドビュッシー作品には特にインパクトがあるのだ。


▲w/セルジオ・メンデス


▲w/ドン・ウィルソン 9月11日ベンチャーズ東京公演後に楽屋を訪れたら昨年で引退したグループ創始者ドンさんがいらっしゃっていた 吃驚の再会!


▲CD「大田黒元雄のピアノー100年の余韻ー/青柳いづみこ 高橋悠治」 from Mike's Collection

そしてマニアックなアルバート・リー&クリス・ファーロウ、ホセ・フェリシアーノ、フェリックス・キャヴァリエ(ラスカルズ)らのステージにも感動。60~70年代リアル・タイムで味わったアーティストのステージにはその感動はひとしお。だからデザート・トリップにはせ参じたという次第だ。


▲w/クリス・ファーロウ


▲w/ホセ・フェリシアーノ


▲日本盤シングル「グッド・ラビン」 サインは2016年公演で再開した際に頂いた from Mike's Collection

10万人規模のビッグ・フェスから数10人、数100人規模のライヴ、それぞれ楽しい。97年9月18日に当時シカゴ在住中の菊田俊介と同地ダブル・ドアでストーンズ400人スモール・ギグを味わった。大感激!!

そんなクラブ・ギグで、今年後半味わったヤードバーズ、ドン・フェルダーにも大きく魅かれた。

☆☆☆


▲日本盤シングル「フォー・ユア・ラヴ」 サインは2016年に頂いた from Mike's Collection


▲Photos courtesy of COTTON CLUB, Japan Photo by Takuo Sato

わが国でも60年代中期、男子ストーンズ・ファンはヤードバーズをよく聴いていた。その後このグループからエリック・クラプトン、ジェッフ・ベック、ジミー・ペイジという英国3大ギタリストを輩出する結果となり、レッド・ツエッペリンのルーツとなったことはあまりにも有名な話。ショート・ヘアーECが写っているジャケットの日本盤シングル「フォー・ユア・ラヴ」(9)を購入したのは中学3年の夏だった(昭和40年)。そのグループのドラマーがジム・マッカーティー。

ジムは現在もヤードバーズを名乗り世界中でライヴ活動をしている。10月には日本公演を行った。23日のCOTTON CLUBでのステージを堪能。まさにあの時代のヤードバーズをダイレクトに彷彿とさせるそのステージングに同行した後追いYBファンたちも涙していた。


▲Photos courtesy of COTTON CLUB, Japan Photo by Takuo Sato


▲Photos courtesy of COTTON CLUB, Japan Photo by Takuo Sato

“FIVE LIVE YARDBIRDS”とMCされ登場、65年UKチャート2位を記録した彼ら最大のヒット「ハートフル・オブ・ソウル」でオープニング。「ドリンキング・マディ・ウォーター」といったおなじみのブルージーなナンバーや67年のアルバム・タイトル・チューンでもある「リトル・ゲームス」、66年のUKヒット「シエプス・オブ・シングス」など10数曲。ラストは「フォー・ユア・ラヴ」「幻の10年」「デイズド・アンド・コンフューズド」のメドレー。YB3大名作、サイケデリックなイントロの「デイズド~」、この楽曲だけのために来場したゼップ・フリークもいたはずだ、もうアドレナリン出っ放し。


▲シングル「I'M A MAN」(オジー盤です US盤行方不明…冷や汗) from Mike's Collection

そしてアンコールは67年のヤードバーズUSシングル盤ナンバーが登場。まずはB面、50年代のジャンプ・ブルースから「ザ・トレイン・ケプト・ア・ローリン」。まさにR&Bショーというタッチの演奏ぶりなのだ。そしてA面の「アイム・ア・マン」はエラス・マクダニエルことロックンロールの父のひとりであるボ・ディドリーの代表作。ヤードバーズの見事なブルースに乾杯だ!

そんなヤードバーズのジム・マッカーティーにインタビューした。43年7月25日リヴァプール生まれ(ミック・ジャガーと1日違い)、63~68年ヤードバーズのドラマーとして活躍。その後はルネッサンスのメンバーとしてもなじみ深かった。


▲ジム・マッカーティー

──もう半世紀以上がたちました。初代ギタリスト、トニー・トップ・トーハム参加の初期音源は残っていないんですか?

ジム・マッカーティー:トップはクリス・ドレヤと仲が良かった。二人とも同じアートスクール出身。キース・レルフもクラプトンも同じアートスクールだったから、皆なんとなく顔見知りだった。アートスクールは優等生が行くような所ではなくて、どちらかというと勉強するよりダラダラ遊んでいる方が楽しい、みたいな人間が行く所だったけれど、トップはその中では一番優秀、かつ良いアーティストだった。トップの両親はバンドで夜な夜なライヴ活動をするより勉学に励んで欲しかったみたいだ。かなり情熱的だった。テクニック的にどうとか言う訳ではないんだけれど、ブルースが大好きだった。彼の父親は膨大な量のブルーズ・レコードを集めていた。ビッグ・ビル・ブルーンジーとかブルースを聴きによく彼の家に遊びに行った。で、途中でバンドに戻ってきたりしたけど、気難しい奴だった。気分にムラがあったり、面倒なところがあった。バンドにはそんなにずっと居たい訳でもなさそうだったし。金稼ぎとかしている方が好きなんじゃないの?!(笑)レコーディング音源はないね。初期だから。全くないと思う。


▲w/ジム

──03年に発掘リリースされた64年のライヴ録音『Live! Blueswailing July '64』の元になった録音テープについて、ご存知でしたら教えていただけませんか?

ジム・マッカーティー:ライヴ・レコーディングね…、おかしな話しなんだけど、どこで録ったライヴか分からない。たぶん私の21歳の誕生日だったと思う(64年7月)。おかしな話というのは、このリリースの話を持ちかけて来た人物は元音源がカセットで、フリー・マーケットで買ったと言っていた。「そんな事ってありえるの?」と思ったけど(笑)、ま、変だけどそれがレコード会社だからね!で、これはサンクチュアリーからリリースされたけど、結局サンクチュアリー自体が倒産したからどうなったのかは知らない。例のマーキーでのライヴと同じようなものだけど、こっちの方がマシだと思う。

──3枚目のシングル「フォー・ユア・ラヴ」のセッションはエリック・クラプトンが脱退するきっかけになったといわれています。いきさつを教えてください。

ジム・マッカーティー: きっかけはハマースミスで行ったビートルズのクリスマス・ショーに出演した時のこと。そこに出版社のスタッフが来ていて、ヤードバーズに「フォー・ユア・ラヴ」が合いそうだと判断。自分たちはブルース・バンドだったけど、ヒット曲が欲しいと思っていたし、この曲は変わっていて気に入った。途中でテンポが変わったり、全体的にムーディーだったり。レコーディングでも良い感じだった。ポール・サミュエル=スミスの提案でハープシコードやダブル・ベースを入れた。とても秀作だと思ったけれど、エリックはブルースじゃないから嫌っていたね。でも既に、エリックとは人間関係でいろいろ問題があったし、元々このバンドにも居たくなかったんじゃないかな(笑)。ソロをしたかったんだろう。


──歴史的にも重要なナンバー「幻の10年」が録音されたセッションについてお話しいただけませんか。


▲日本盤シングル「幻の10年」 from Mike's Collection

ジム・マッカーティー:場所も覚えているよ。(僕が持参した日本盤シングル「幻の10年」のジャケットを見て)これこれ!リージェント・ストリートにあったI.B.C.スタジオで録ったんだ。キースと私でコードや歌詞を作って、ジョン・ポール・ジョーンズにベースを弾いてもらい、ジミー・ペイジは何か録音全体に関わってくれて、リフをちょこっと弾いて、残りのソロや変な音は全部ジェフが弾いたんだ(笑)。

──ベック/ペイジ在籍期の66年10月にストーンズのパッケージ・ショーに参加、彼らのライヴ・アルバム『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』に収録されたニュー・キャッスルのショーにも出演。この日も含め、66年秋のライヴ録音は残されていないのでしょうか?

ジム・マッカーティー:ニュー・カッスルで録ったの? 知らなかった。ストーンズのライヴ・アルバム用に?

── そうです。


▲w/ジム

ジム・マッカーティー:知らなかった。多分私たちのも録っていたでしょう。よく知らないけど。凄くいいツアーだったのは憶えている。アイク&ティナ・ターナーも出演していた。

── 正式なスタジオ録音は残されていませんが、ジェイク・ホームズ「デイズド・アンド・コンフューズド」は後期ヤードバーズの高い革新性を示す素晴らしい演奏が残されています。この曲を取り上げることになった経緯など、お話しいただけませんか?
ジム・マッカーティー:ジェイク・ホームズとはニューヨークのヴィレッジ・シアターで共演。当時持ち曲が少なくてね。ある意味ジミー・ペイジ時代はジェフ時代ほどクリエイティヴじゃなかったのかも。で、新曲に飢えていた所にあのフォーキーに始まって途中であの有名なリフが(といってリフを唄う)突然入ってくるこの曲を聴いて、「ムーディーでヒプノティックな雰囲気の曲だからヤードバーズに合うかも」と思い、翌日にレコード屋でジェイクのレコードを買って、ライヴでこの曲を取り上げだした。でもレコーディングをした事がないんだ。ライヴのみ。因みに今夜もこれ演奏するよ(笑)(演奏前にインタビュー)。スタジオでは演奏したことがない。多分あの頃疲れ切っていたのだと思う。演る気が完全に失せていた。

──先ジミー・ペイジがラジオでヤードバーズ最後期の録音のリリースについて、ヤードバーズのメンバーと具体的な検討に入ったと話していました。

ジム・マッカーティー:ジミー・ペイジと最近アンダーソン・シアター公演のリリースについて話し合う。数曲聴かせてもらった。その聴かせて貰った曲も収録されるだろう。今度これに関するミーティングが予定されていて、ジミーもリミックスし終わったし、やっとリリースできると思う。

──楽しみです!

☆☆☆

70年代初頭カントリーな味わいのウエスト・コースト・ロックを気持ちよく楽しんでいた。R&Bほどではないけど、60年代からカントリー・ミュージックもロックンロールのルーツとしてFENなどでよく聴いていた。ロジャー・ミラーの「キング・オブ・ザ・ロード」はヒット・ソングとして日本盤シングルを購入していた。

70年代、カントリー・ロックという用語がポピュラーになり、その中でイーグルスが注目を集める。中途採用だったけどグループにジョインしてから頭角を現したのがドン・フェルダー、ギターの名手でもある。メンバー内ではいろいろあったけど、それはそれ、音楽のことをピュアにいろいろ聞いてみたいということで、来日時インタビューをオファーしたけど、残念ながら全媒体NGとなってしまった。マネージメント・サイドがかなりガードしているとのこと。エルヴィス・プレスリーとの出会いとか、少年時代に同級生だったスティーヴン・スティルス、仲良しのバニー・リードン、 ギターを教えたトム・ペティー、スライドギターを教わったデュアン・オールマン、LAで出会ったデビッド・リンドレーについて、といったDF音楽交流が僕の質問だった。またの機会を待つことにしよう。


▲Photo by Masanori Naruse

それはともあれ、LIVEにはもちろん参戦。11月8日、大入り満員のビルボード・ライブ東京で楽しんだ。


▲Photo by Masanori Naruse

オープニングは74年のスマッシュ・ヒット、カントリー・タッチの「過ぎた事」。75年の曲と紹介されて2曲目が始まる、「呪われた夜」。イーグルス2曲目のUSナンバー・ワン・ソング(同年8月2日付ビルボード誌HOT100)。スティーヴィー・レイ・ヴォーンの「プライド・アンド・ジョイ」ではブルースやジャズもこよなく愛するドンの音楽性をしっかり味わえた。特にブルース・ギタリストとしての実力を発揮。「暗黒の日々」は76年USリリースのアルバム『ホテル・カリフォルニア』から。アルバム『呪われた夜』からは3枚のヒットが生まれたが「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」はそのひとつ、もちろんベース奏者がリード・ヴォーカルだ。


▲Photo by Masanori Naruse

「テキーラ・サンライズ」は最高位64位(73年)だったけど、ドン・ヘンリーとグレン・フライ共作のこの楽曲は多くのアーティストにカバーされている。「セブン・ブリッジズ・ロード」はイーグルスの最初のライヴ・アルバムに登場(80年)、ハーモナイズされたカントリー・タッチの作品。アコギ・バトルが楽しかった。映画「へヴィー・メタル」からの同年のナンバーはドンのソロ・チャート・イン・ナンバー。タイトル通り、ハードなサウンド。そんな流れの中でスタートする9曲目が「魔女のささやき」、初期のヒットで72年にUSチャート22位を記録した。ドンを挟んでギター、ベースの3人並んでの演奏は見事だった。


▲Photo by Masanori Naruse

そしてファイナル3曲は79~80年のヒットでアルバム・タイトル・チューンでもある「ロング・ラン」。その79年アルバムから「ハートエイク・トゥナイト」。そして『ホテル~』からシングルとしても登場した「駆け足の人生」(USチャート11位までランク・アップ)。アップビートなロックンロール「駆け足~」を聴いているとジョー・ウォルシュ、ジェームス・ギャングを思い出した…。


▲Photo by Masanori Naruse

アンコール、まずはファースト・ヒット「テイク・イット・イージー」(72年/USチャート12位)。“Take It Easy”、60年代後半に立川基地や横田基地で遊んでいた際に別れ際に、若者がそのほとんどだったけど“じゃあね”という意味でよく使っていた。そしてドンもソングライターとしてジョインしている「ホテル・カリフォルニア」、77年5月1日付ビルボード誌HOT1001位に輝いたゴールド・シングル。ドンは勿論ダブル・ネック・ギター!オーディアンスはじっと聴き入っている…、それまで以上に大熱唱!!

☆☆☆

ストーンズが新作をリリースすると手を変え品を変えで僕らファンの前に様々なアイテムが登場する。どこどこの表紙を飾った、インタビュー掲載、アルバム・レビュー…、地域に根差したタウン誌も気づいたものは入手したり、海外の友人たちにもお願いして「Rolling Stone」「UNCUT」といったメジャー以外の雑誌もいろいろ探しだす。まぁ、最近はネットが多くなってその作業は楽になったけど、PCからの情報ももちろんUSBに保存するけど爺はやっぱりブツにこだわる。こうしたことを半世紀以上、大変なのであります。でもこんなこともある、去年12月号の「読売家庭版」、キース・リチャーズが表紙になっていたのでNYのKRオフィスに郵送してあげたらとても喜んでもらえた。本人自宅用と事務所用、出来れば2冊よろしくという約束をしたのが20ウン年前…。


▲「読売家庭版」2015年12月号 from Mike's Library

「中央公論」今年の11月号の表紙の一部がミックだった、“新連載●五木寛之 一期一会のひとびと  ミック・ジャガー”。五木さんは90年ストーンズ初来日のミックにインタビュー、「ミュージック・マガジン」に掲載された。大いに盛り上がったようで、終了後セカンドバックをお忘れになり、その次のミック・インタビューが僕だったので、後で渡してほしいとお預かりしたのだった。僕は「さらばモスクワ愚連隊」の大ファンだった。ミックだけでなく五木さんとツー・ショット&サインをお願いすればよかったと今になれば思うのだが…、その時はミックと結構長時間楽しくおしゃべりできたんので余裕はなかった。話は飛ぶけど「中央公論」11月号には絲山秋子さんも登場、彼女の小説「ダーティ・ワーク」はストーンズ関連書籍棚に…。


▲「中央公論」2016年11月号 from Mike's Library


▲書籍「ダーティ・ワーク/絲山秋子」 from Mike's Library

日本の音楽雑誌「Player」16年12月号、僕も少し書かせてもらっているけど、別コラム・カラー6頁ARMAND SERRA Collection Keith Richards Storyはキース・フリークなら絶対に見逃せない。

そして先日の米大統領選でトランプ勝利の決まった日、彼の勝利宣言の後に流れてきたのはストーンズ「無情の世界」LPヴァージョンだったことにもびっくりさせられ、YOUTUBEサーフィンしっかり!

この秋から公開されている映画「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」、わが国には無かったシーンのムーブメントを教えてくれる音楽ファンならとても気になる一作だが、そこで”ミック”という言葉が登場。気になってしまうのだ。マイナー・スレット → フガシで知られるイアン・マッケイが、アトランティック・レコードのアーメット・アーティガンにミックと同じように扱うからとオファーされた話をしているところでアーメット&ミックのツー・ショットが挿入され、イアンがミックってストーンズのミックのことなんだと後で気がついたというくだりにはニンマリ。ということで、近い将来この「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」はブルーレイとかDVDでリリースされるだろう、その時はしっかりゲットしてストーンズ関連映像コーナーに並べておくのだ。ソウルの名作映画「ワッツタックス」のDVDもルーファス・トーマス出演シーンで観客がダンスするんだけどそのひとりがベロTee着用してるのを発見、ルーファス御父さんもストーンズと関係あるしということで近年はずっとストーンズ関連映像コーナーに…。


▲映画「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」から“ミック&アーメット”  提供:株式会社キュリオスコープ


▲映画「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」から“イアン・マッケイ”  提供:株式会社キュリオスコープ

*プレゼント
現在公開中の映画「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」公式Tシャツを3名の方にプレゼント(提供:株式会社キュリオスコープ)


▲映画「サラダデイズ  80年代D.C.パンクの軌跡」公式Tシャツ

◆「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」まとめページ
この記事をツイート

この記事の関連情報

*

TREND BOX

編集部おすすめ

ARTIST RANKING

アーティストランキング

FEATURE / SERVICE

特集・サービス