【イベントレポ・インタビュー】野口五郎、デュエットAL『風輪』は「世界で誰も考えないようなことをやるのが面白いんです(笑)」

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■野口五郎 デュエットアルバム『風輪』インタビュー

2月22日に発売された、野口五郎のデビュー45周年を記念するアルバム『風輪 Fu-Rin』は、大物歌手からアイドル、アニソンシンガーまで多彩な女性陣をゲストに迎え、昭和歌謡の定番をはじめ、50年代から2000年代まで幅広い世代のデュエットソングをカバーしたことで、発売前から注目を集めている。そして、野口五郎自身がプロデューサーを務め、ギター、ベース、ドラムもすべて自身で演奏していることも話題を呼んでいる。そんな最新作について、野口五郎に話を訊いた。

――『風輪』はご自身初となるデュエットアルバムですが、なぜ今回このようなアルバムを作ろうと思ったんですか?

野口五郎:実際に動き出したのは1年くらい前からですが、考えていたのはもっと前からなんです。サンタナの『スーパーナチュラル』(註:曲ごとに様々なゲストを招いて作られたアルバム)が出たときに、あれは日本人がギタリストとして作るのは無理だろう、歌手として出すしかないだろうなと、その頃考えたことがあるんです。歌手でもレコード会社の縛りがあるから難しいとは思っていましたが、1年くらい前から具体的な話になってきたんです。

――『風輪 Fu-Rin』というタイトルには、どんな意味が込められているんですか?

五郎:“ふうりん”って漢字で書くと普通は風に鈴ですが、これは風に輪。輪は、花の一輪、二輪の輪ですね。デュエットの相手である女性を花にたとえたんです。で、風は僕。風は変わらないけれど花はどんどん変わっていく、というイメージなんです。ただこれ、ローマ字で書くとFurinなので、不倫みたいになる(笑)。まあそれは偶然だったということにしていただいて(笑)。“フウリン”と音を伸ばすんだよ、という意味で“Fu-Rin”としたんです。


▲デュエットアルバム『風輪』<CD+DVD>


▲デュエットアルバム『風輪』<CD>

――とても幅広い世代の曲を、様々なゲストとデュエットしていますが、曲やデュエットの相手はどのように決めたんですか?

五郎:まず曲ですね。歌いたい曲を選んでから、それぞれ一緒に歌いたい方を決めていきました。

――比較的新しい曲もありますが、「東京ナイト・クラブ」や「銀座の恋の物語」、「別れても好きな人」などは昭和歌謡のデュエットの代表曲ですね。

五郎:「東京ナイト・クラブ」は1959年の曲なので、僕は3歳。そのときリアルタイムで聴いた覚えはないんです。でも、名曲ってずっと歌い継がれていきますよね。流行歌って、一瞬流れて去るものもあるけど、ずっと波に乗って流れ続けるものもある。「東京ナイト・クラブ」とか「銀座の恋の物語」は、とても大きい波にずっと乗っている。今回はそれを、味付けやアレンジをちょっと変えることで、昔の人にも喜んでいただけて、新しい人には“なにコレ?”って驚いてもらえる、そういうものができたら面白いだろうと思いました。

――「東京ナイト・クラブ」で板野友美さん、というのも驚きました。

五郎:僕の中では、かなり早くから板野さんに決まってたんです。頭の中でアレンジの原型ができるときにはもう板野さんだと思っていたので、別の方の名前がスタッフから出たときに、どうしようかと思いました。アレンジが違ってしまいますから。それで僕、彼女のマネージャーに直接電話して依頼したんです。

――実際に歌ってみてどうでした?

五郎:彼女の歌って、何とも言えず色っぽいんですよ。歌い終わって、データを持ち帰ってからも面白かったですね。録音した歌の波形を見ると、普通の人とは違う発声をしているのがわかりました。波形が本来の音の前に余分に一つ出ているんです。“スッ”という発音の前に、一度波形がガッと出てから“スッ”と来るんです。ほかの誰が歌ってもこんなのないですよ。普通ならゴミかと思って消しちゃいますよ。でも消したら全然変わっちゃう。それが彼女の特殊なところで、ものすごく特徴になってるんです。今回そんなふうに、波形でも色々勉強させてもらいました。

――ご自身ですべての作業をする五郎さんだから、そういうこともわかるんですね。

五郎:そうですね。これはほかの方でもそうでした。小林幸子さんのテンポ感、リズム感のすばらしさにも驚きましたね。これはありえない、人間じゃないよね、っていうくらい、言葉の当て方がすごいんです。もう機械が参ったっていうくらい、カツーンと当たってくる。今回そんなふうに、僕も色々楽しみながらやらせてもらいました。

――「別れても好きな人」の研ナオコさんとは、長いお付き合いですよね。

五郎:そうですね。だからツボを心得ています。とりあえず一回さらっと練習しましょうって言って、実はそれを録音していたんです。彼女が歌うとき、僕のパートは、前もって渡しておいたデモと違って、ものすごくデフォルメして強烈に歌ったんですね。“わぁ~くわぁれい~ぇてもうお~”みたいに(笑)。もう彼女、笑いをこらえて“クックック”ってなってるんです。そういう、こらえながら歌った面白さも入ってます。


――「銀座の恋の物語」のひとみさんは、研ナオコさんからのつながりで?

五郎:親子をまとめて拉致しようと(笑)。この曲はサウンド的には4ビートでビッグバンド風なんですが、8ビートと16ビートと32ビート、全部入れちゃえっていう(笑)。30年前の僕ならふざけるなって怒るようなサウンドですね。でも人生いろいろ経験した僕が、またもう一度お出しするわけですから、今回はこれでどうでしょうと。ただ裕次郎さんの曲ですし、これは真面目にちゃんと歌おうとしましたよ(笑)。「東京ナイト・クラブ」のときも、最初は“クラブ”のところだけをハモって、次は“ナイトクラブ”、最後は違う形で“東京ナイトクラブ”をハモる、みたいに変化を付けましたが、この曲もハモりを変えていってます。あの頃おやりになってなかったことを、今回はやってみようと。

――やはり石原裕次郎さんは特別な存在ですか?

五郎:裕次郎さん、ご病気されましたが、最後に映画を撮ろうという話があったんです。斎藤耕一監督で、裕次郎さんが若い女性を僕と取り合うというストーリーで。実現はしませんでしたが、もしかしたらできていたかもしれないと思うと、この歌を歌うのに、むなしさ、悔しさ、もちろんリスペクトも含めて、色々な感情がありました。斎藤耕一監督は僕の映画の師匠ですし、裕次郎さんの写真をずっと撮っていた方なので、そういうつながりを感じながらやらせていただきました。

◆インタビュー(2)へ
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