【インタビュー】柴田聡子「音楽って、伝わらないとダメだ!って気づいた」ひとつの金字塔『愛の休日』完成

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■「全部に辻褄を付けて生きなくてもいいんだったな」って思い出しました

──“スプライト・フォー・ユー”は、さりげないフォークの小品といった感じの曲ですね。この曲が柴田さんにとって重要だったのは、どうしてだったのでしょうか?

柴田:これは、ものすっごく個人的な話なので……ちょっと秘密です。

──むしろ、個人的な曲であることが重要だった?

柴田:どうでしょう、わからない。たとえば、誰かが結婚するとか、誰かが死んでしまうとか、生まれてくるとか……そういうときに、人生の経験値が上がっていくのかもしれないけど、私はそういうことを思う時、「どうでもいいけど、どうでもよくない」場面を結局切り取っているとは思います。その「どうでもよさ」に命をかけていきたいぞっていう感覚が、私のなかにあるんです。“スプライト・フォー・ユー”は、私の、どうでもいい一場面の、忘れられない景色なんです。「これを全力で伝えるにはどうしたらいいんだろう?」っていうところから、このアルバムは始まっています。

──多くの人が人生の転機と捉える事柄より、些細な、どうでもいい出来事のほうが大事なんだっていう感覚は、柴田さんのなかにずっとあるものですか?

柴田:そうは言っても私も、大事なことは大事なんです。誰かが結婚するとか、誰かに子供が生まれたとか、じいちゃんが死んだとか、そういうことが本当に大事だと思って生きているんです。でも、歌になるのは、振り返ったときに見える、全然どうでもいい、でも輝いていたことかもしれません。歌ってそういうものなのかなとも思います。

──たしかに。歌だからこそ描ける、その人の人生のなかだけにしかない輝きはあるのかもしれないですね。

柴田:人それぞれが物語を持ちまくっているなって、本当に思います。私の物語はこのアルバムにあるけど、聴いてくれる人たち全員にも物語はあるので、そういう意味では、このアルバムは「頑張れ!」じゃなくて「私も頑張ろう!」っていう感覚で作ったアルバムでもあるんです。誰だって落ち込んだりすることはあるけど、それでも、いろんなものを抱えながら生きているんだから、私も生きることができるだろうって……逆に「もらっている」感じでした。なので、もらったものに対して、「私はこういう感じで生きます」って言っているアルバムです、これは。……あの、重いですか?(笑)

──ははは(笑)。重いのは嫌ですか?

柴田:やっぱり、重すぎると嫌になってきちゃいますよね。重いものも大好きなんですけど、根が適当なので、シリアスにはなりきれないんです。あっけらかんと生きてきたし、それなら、死ぬまであっけらかんとしていようというか。できるなら、楽しく聴いてもらって、「死ぬまで楽しくやりましょう!」みたいな感じです。

──その感覚も、今作からはしっかりと伝わってきます。アルバムの起点となるもう1曲、“ゆべし先輩”も、柴田さんのパーソナルな出来事がもとになっているんですか?

柴田:この曲は逆に、完全なる作り話なんです。“ゆべし先輩”のなかには、私の知らないことがいっぱい出てくるんですよ。こんな甘酸っぱい気持ちで恋したこと、学生時代にはなかったし。それで、プロデュースしてくださった岸田(繁/くるり)さんに軽く話したんです。「この曲知らないことばっかり歌っちゃっているんです」って。そうしたら、「知らないこと歌った方がいいんじゃない」って言われて、「なるほど」って。この曲、ライブでも評判がいいんですけど、いつも「何を歌っているんだろう?」って思うんです。「聴いてほしい!」って思って歌って、聴く人も「聴きたい!」と思ってくれている今この時の曲が、“ゆべし先輩”って……。

──(笑)。ちなみに、「ゆべし」ってお菓子ですよね?

柴田:そうです。私、友達と二人で「全日本女子ゆべし研究会」っていうのをやっていたんです。この曲は、そのときに作った曲なんですけど……この感じが一番楽しいんですよね。全く意味はないけど、クるものがある。ライブでこの曲をやっているときって、説明がつかないことだけで成立している空間というか。その意味のなさが、たまらなく大事な気がして。


──言えないほどの個人的な体験を歌った“スプライト・フォー・ユー”と、架空の物語である“ゆべし先輩”。両極の性質を持った2曲が共に軸になっていることは、とても本作を象徴している気がしますね。岸田さんが「知らないことを歌う」ことを肯定してくれたのは、柴田さんにとっては新しい発見でしたか?

柴田:というよりは、忘れていたなぁっていう感じでした。この2〜3年で、どんどんと、自分が経験したことや、本当に思い入れがあることじゃないと歌えないんじゃないかって考えてしまっていたフシがあったんです。でも、ちょっと前を思い出すと、もうちょっとイマジネーションで生きていたなって思って。

──なるほど。

柴田:「全部に辻褄を付けて生きなくてもいいんだったな」って思い出しました。私は、真面目に、嘘もなく、恥かしいこともなく、今日あったことを説明できるような人間ではなかったなって。「全部が真面目で、すべて正しい」みたいな真実って、私はピンと来てなかったはずなのに、自然とそっちに行ってしまっていたんですよね。本当は、そんなに全てをかっちりしなくても、もっとイマジネーションで生きていいなと。

──そもそも、くるりや山本精一さんは、柴田さんにとってどのような存在だったのでしょうか?

柴田:くるりは、インディーズ時代の『もしもし』っていうアルバムから、ずっとリアルタイムで聴いていて。影響を受けているのかどうかもわからないぐらい、沁みついている存在です。上京してきたときも、“東京”を聴きながら来ました。でも、それでセンチメンタルな気分になって泣きながら電車に乗っていたら、いきなり携帯を落として(笑)。やっぱり、あんまり悦に入りすぎて、何もかも見えなくなっている状態はよくないですね。

──センチメンタルに対して距離を保つ感覚は、柴田さんの音楽性にもよく出ていますね。

柴田:そうですね。センチメンタルは警戒しています。センチメンタルには、なるべく酔わないようしようって。放っておいても、センチって絶対に襲ってくるし。それに対しては毅然としておかないと、溺れるぞっていう。センチメンタルに溺れた瞬間に、後ろからガーンって殴られるから。そのときの馬鹿さ加減って、すごいですよね。それで何かが掻き消されてしまうのは、いやだなって思うんです。

◆インタビュー(3)へ
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