2007年の復活劇から満10年を経て、通算第8作目にあたる約2年ぶりのニュー・アルバム『J’aime La Vie』をリリースしたD’ERLANGER。早くも「名盤!」といった声が飛び交い始めているが、まさに“2017年のD’ERLANGERだからこそ作り得たアルバム”というべき今作にまつわるメンバーたちの個別インタビューを、BARKSでは全4回にわたってお届けする。

◆D’ERLANGER 画像

『J’aime La Vie』。この作品に渦巻くものの根源は、やはりすべての楽曲の作曲者であるCIPHERにある、ということになるだろう。前回のkyoに続いて、今回はこのギタリストが今作の根幹にあるものの正体と、バンドの現在を語る。自らの人生を愛し、謳歌している──そうした意味合いを持つこの作品タイトルが生まれた理由も、やはり彼の胸の奥にあった。まずは先頃、東京・豊洲PITで大盛況のうちに幕を閉じたアニバーサリー・ライヴについて振り返ることから話を始めるとしよう。

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■10年を経て、今の俺は
■やるべきことと向き合えている

──4月22日、復活劇から丸10年経過という節目を超えた夜はどんな感覚でしたか?

CIPHER:なんか、“無”でした。だけどやっぱり感謝の気持ちが大きかったかな。見守ってくれているスタッフだったり、仲間だったり、オーディエンスだったりに対する……。正直に言うと、そんなに自分の思いは、そんなにもそっちの方向には向かっていなかったんですよ。

──つまり、“この日は感謝のための日”という気持ちで臨んだわけではなかったのにもかかわらずそうなった、ということでしょうか?

CIPHER:はい。もっと言ってしまうと、たとえば10年前のあの日、日比谷野外大音楽堂に臨むところでの気持ちというのを思い出すところもあったわけです。あの時はずいぶんといろんな想いを抱えていて……もう背負いきれないぐらいの想いをね。モチベーションもあれば、それと同じだけのプレッシャーもあるという感じで、さまざまな想いを抱えてそれを整理できないまま、後ろからポンと突き飛ばされてステージに出て行ったような感じだった気がするんです。ところがそれから10年を経た今回のライヴでは、感覚的にまったくそれとは対極のところにいたというか。なんか全然アニバーサリーであるという意識を持つことなく、すごくフラットな気持ちでいられたんですよ。

▲<REUNION 10th ANNIVERSARY -薔薇色の激情->
2017年4月22日(土)@豊洲PIT


──僕は当日、メンバーの皆さんの会場入り前後から楽屋にお邪魔していましたけど、確かに“特別な日”という妙なピリピリ感というのはありませんでしたよね。

CIPHER:でしょう? でも、たとえば……これは距離の問題ではないんですけど、全国各地、離れたところから、お客さんももちろんですけど、僕の個人的な仲間たちが駆けつけてくれていて。やつらが“もちろん行くよ、10周年記念なんだし”とか言ってくれるのを聞いて、“ああ、そんなにこの日のことを意識してくれてるんや”と思わされたり。他にも、それこそスタッフの表情からも普段のライヴの時以上に気合みたいなものが感じられたり。そんなこともあって、オープニングのSEが流れるあたりから“今夜はとても特別な夜なんだな”という感慨がグーッと高まってきて。ホントにそれまでは単なる“ある1日”を迎えただけという感覚だったんですけどね。

──フラットに臨めたからこそ、ナチュラルに高揚感を味わえたのかもしれませんね。

CIPHER:そうですね。そこで結果、真心を込めて奏でようということに集中できていた気がします。感謝の気持ちを込めてね。というか、なんか“おまえ、もっと昂ってるべきなんちゃうの?”と自分に対して思ったりもしていたんですよ。逆に言うと、そうやって普通に自分に問いかけてしまえるぐらいフラットな気分でいたわけなんです。ホンマやったら、興奮と緊張のあまり前夜眠れないとか、そういうことがあってもおかしくないはずなんですよ、ああいう局面では。でも、いたって普通だったんです。10年前のあの夜、ライヴを終えた後に“やり切れてないなあ”という気持ちが残り過ぎていたのに比べると、今回はいい意味で“もう済んだこと”と思えましたし。もちろんこれは、ネガティヴな意味ではなくてね。

──ええ。要するに、わだかまりが一切残らなかった。敢えて訊きますけど、10年前の記憶ってそんなに酷いものなんですか?

CIPHER:最悪でしたね。あくまで俺個人としては、ということですけど。おそらく当時、取材の場とかでも言ったことがあると思うんですけど、端的に言うと、当時の俺はギタリストとしての部分に専念できずにいたんですよ。要するに、復活をするために、それまでの自分とは無関係だった問題とかと向き合わなければならなくなって。いわゆるマネージメントとかそういった部分でね。どこかの事務所が全面的に面倒見てくれて、スタッフが揃っていて、自分はギタリストに終始できるというスタンスではまったくなかったので。“復活させていただきますので”とスジを通すところから始まって、いろんな方からのお力添えをいただきながら進めていって。某社の社長からも、“これからは自分たちでマネージメントをしていかなきゃ駄目だ”みたいなことを言われて、こっちはもう“わからんから教えてくれ”という感じで(笑)。それから復活の日に向けて、それこそメーカーの方と引き合わせていただいて『LAZZARO』を作ったり、水面下での動きというのが続いていたわけです。そこで、“ギタリスト、CIPHER”という部分をちょっと放置し過ぎてたかな、というのがあったんですよ。そこは大丈夫だろうと思い込んでいたんだけど、なんだか自分ではまったく物足りない結果になってしまって。その悔しさというのが、あの日の野音を超えた先の俺を、滅茶苦茶ヘコませることになったんです。

──バンド運営者としてのマインドを持つことを強いられようと、ステージに立てば“ギタリスト、CIPHER”として100%の自分であれるはずだと思っていたのに、違っていたということですか?

CIPHER:そうですね。ギタリストであるという自分をもっと昂らせるために費やすべきものが足らなかった、という印象でしたね。それから10年を経て、今の俺は、ありがたくも運営という部分においては委ねることができていて、自分がやるべきこと、やらなければならないことときっちり向き合えているんで。当然、それによって負担をかけている人間もいるわけで、そこは申し訳なく思う部分もあるわけですけど。ただ、こういうことって全員が動いてゴチャつくよりはシンプルなほうがいいという側面もあるはずだし、自分は様子を見ながら、何かあればその都度向き合って処理していけばいい。そういう感覚でやってきたここ数年間というのがあるわけなんです。

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