【インタビュー】驚きの人脈、ジョン・コラビのロックンロール人生

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最新ライブ・アルバム『ライブ&ラウダー』と日本未発売だったファースト『ザ・デッド・デイジーズ』(2013)、セカンド『レヴォリューション』(2015)を2017年5月10日に一挙リリースしたハード・ロック/ヘヴィ・メタル界のスーパーグループ、ザ・デッド・デイジーズのインタビュー第2回は、シンガーのジョン・コラビに話を聞いてみたい。

◆ザ・デッド・デイジーズ画像

ザ・デッド・デイジーズに加入する前からほとんどのメンバーと友達だったというジョンと話して驚かされるのは、その人脈の幅広さだ。その口からは次々とビッグネームの名前が飛び出す。2017年7月にはザ・デッド・デイジーズ初の単独ジャパン・ツアーも決定。新たな全盛期を迎えようとするジョンの知られざる人脈を訊いた。

──ザ・デッド・デイジーズのシンガーとしての<ラウド・パーク16>参戦は久々の来日となりますが、いつ以来となるのですか?

ジョン・コラビ:2007年11月にラットとウィンガーのジョイント日本公演でギタリストとして同行した後、2008年2月のエリック・シンガー・プロジェクトの日本公演に参加して以来じゃないかな。俺がLAに引っ越してきたとき、最初に知り合ったミュージシャンの1人がエリックだったんだ。1985年、当時の嫁さんはヘアドレッサーだった。彼女はサンセット大通りの美容院に勤めていて、エリックはそこの客だったんだ。それで話すようになって、親しい友人になった。彼がブラック・サバスに加入した頃だった。それから俺がザ・スクリーム、彼がバッドランズを結成して忙しくなって、しばらく疎遠になった。1997年、俺がユニオンを結成した頃、また頻繁に連絡するようになった。それで1998年にブルース・キューリック(ギター/元KISS)とカール・コクラン(ベース)とエリック・シンガー・プロジェクトを結成したんだ。次の年(1999年)にはKUNIのウェディング・パーティーで日比谷野音でショーをやって、最後のオールスター・ジャムでエリック、俺、ギルビー・クラーク、ビリー・シーンがプレイした。KUNIやラウドネスの高崎晃も加わって楽しかったよ。

──あなたが歌ったアルバム『モトリー・クルー』(1994)にはグレン・ヒューズがゲスト参加していますが、エリックとグレンが同時期にブラック・サバスに在籍していたことは関係があったのでしょうか?

ジョン・コラビ:グレンは「ミスアンダーストゥッド」という曲でバック・ボーカルをやってくれたんだ。でもそれはエリックを通じてではなかった。正直に言うけど、『モトリー・クルー』を作っているとき初めてグレンと会って、彼が誰かわからなかったんだ。もちろん第3期ディープ・パープルは知っていたけど、初めて会ったとき彼はドラッグを止めたばかりで、まだ太っていて、髪の毛や歯がボロボロだった。でも、どこかで見た顔だと思って、ミック・マーズにこっそり「あれ、誰?」と訊いて、グレン・ヒューズだと教えてもらったんだ。その後、彼と友達になったけど、今はすっかり健康になって、本当に嬉しいよ。実は俺とディープ・パープルの関係は、それより前からあったんだ。

──ぜひ教えて下さい。


ジョン・コラビ:モトリー・クルーに加入する前、ザ・スクリームでツアーしていた頃の話だ。俺たちはフロリダ州オーランドの『パワー・ステーション』というクラブでプレイした。ショーを終えて着替えをしていると、ツアー・マネージャーが来て「君に会いたいって人がいる」と言われた。クラブに戻るとリッチー・ブラックモア、イアン・ペイス、ジョン・ロード、ロジャー・グローヴァーがいた。頭の中が真っ白になったよ(笑)。彼らは『パーフェクト・ストレンジャーズ』に続くアルバムを作っていたけど、リッチーとイアン・ギランが口論になって、ギランがイギリスに帰ってしまった。それで彼らはたまたまクラブで俺が歌うのを見て、俺を使ってアルバムを完成させようとしたんだ。結局彼らはギランを連れ戻して『ハウス・オブ・ブルー・ライト』を完成させたけど、一度はディープ・パープルに加入してみたかったね。

──2000年にあなたがラットに加入したのは、どんな交流があったのですか?

ジョン・コラビ:彼らとはモトリー・クルーにいた頃に知り合ったんだ。ユニオン・エンタテインメント・グループというマネージメント事務所で一緒だった関係もあってね。スティーヴン・パーシーがラットを抜けたとき、彼らは俺にシンガーとして加入してくれと言ってきたけど、俺は断った。モトリー・クルーでさんざん前任者と比較される経験を経たことで、ラットで同じ目に遭うのは嫌だったからね。それで彼らはジジー・パールを入れることになった。でもギタリストも必要だということで、改めてギタリストとして参加を要請されたんだ。

──有名バンドから看板シンガーが脱退すると、しばしばあなたに声がかかるようですね。

ジョン・コラビ:ああ、モトリー・クルーだけじゃない。その前、ザ・スクリームにいた頃にブリトニー・フォックスに誘われたことがあるし、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーのオーディションに誘われたこともある。最近でも何故か「スティーヴン・タイラーの後任としてエアロスミスに入るって本当?」と訊かれたばかりだよ(苦笑)。ザ・デッド・デイジーズに声をかけられた時も、最初は断ったんだ。誰かの後任にはなりたくないってね。でも、すごく熱心に誘われたんで、真剣に考えてみた。俺の“前任”のジョン・スティーヴンズは素晴らしいシンガーだけど、INXSでマイケル・ハッチェンスの後任だったことはあまり知られていないし、彼がいた当時のザ・デッド・デイジーズは大規模なツアーもあまりしていなかった。だから“後任”というイメージは最小限だと判断したんだ。

──モトリー・クルーにヴィンス・ニールの後任シンガーとして加入したことで、そんなイメージが定着してしまった感がありますが、当時を振り返って、モトリー・クルーに参加したことはミステイクでしたか?

ジョン・コラビ:ミステイクだとは思わないし、後悔もしていないよ。音楽的に興味深い試みだったし、学ぶことも多かった。ただ、とても難しい仕事だったことは確かだ。俺がどう歌おうが、“ヴィンス・ニールじゃないから”という理由で批判を浴びせられたからね。それでも、人生の良い教訓になったよ。モトリー・クルーに入ったら誰もがタダでギターをくれたり靴をくれたり、パーティーに招待してくれた。でも脱退したら多くの人々が自分の周りからいなくなったんだ。文字通りスッと消失した。一時期は苦々しく思ったけど、今では自分のことを本当に支持してくれる人と、自分の肩書きだけを支持している人の区別がハッキリついて、良かったと思う。本当の友達が誰なのかわかったよ。

──それにしても、次から次へと声がかかるあなたの人脈には驚かされますね。

ジョン・コラビ:58年の人生、大半をロックンロールして過ごしてきたからね。いろんな連中と知り合いになるものだよ。ザ・デッド・デイジーズを“スーパーグループ”と呼ぶ人もいるけど、俺自身は全然そう思っていないんだ。昔から知っている友達と一緒にバンドを組んだだけだからね。ダグ・アルドリッチとは十代の頃から友達だよ。俺はフィラデルフィアで育って、ロックに目覚めたけど、ロックのオリジナル曲をプレイできるクラブなんて2軒ぐらいしかなかった。地元のラジオ局もブルース・スプリングスティーンやフーターズばかり流して、シン・リジィやUFOは聴くことすらできなかった。せいぜい「ヤツらは町へ」が流れればラッキーな方だよ。そんなフィラデルフィアに嫌気が差してきたところにブリトニー・フォックスのジョニー・ディーに「LAは最高だぜ!オリジナルを演れるクラブがどこにでもあるんだ」と言われて、俺もLAに向かうことにしたんだ。1985年のことだった。でもその直後、ジョン・ボン・ジョヴィがシンデレラを“発見”したことでフィラデルフィアのシーンが注目されるようになって、ブリトニー・フォックスやタンジアーもレコード会社と契約できたんだ。ちょっと早まったかな、と思ったけど、まあ結果オーライさ。

──LAに行く前にニューヨークでも活動していたそうですが、どんなミュージシャンとの交流がありましたか?


ジョン・コラビ:ニューヨークではカテドラルというバンドをやっていた。ギタリストは後にヘヴンでプレイするマーク・カニンガムで、ベーシストはマイケル・シェンカーとやっていたデニス・フェルドマン、ドラマーがマイク・ガンディアだった。俺とトミー・ファリースがダブル・ボーカルだよ。マネージャーはポール・オニールで、彼は後にトランス・シベリアン・オーケストラで成功することになる。ポールはボビーとテディのロンディネリ兄弟、レイ・ギランのいるロンディネリというバンドもマネージメントしていた。それで俺もレイと知り合ったんだ。彼はロックを歌うだけでなく、ロックを生きた人物だった。彼が亡くなってしまったのは寂しいね。ところでザ・デッド・デイジーズのサウンドマン兼ツアー・マネージャーは、かつてヘヴンのドラマーだった人なんだ。世間というのは狭いものだと思ったよ。

──グレン・ヒューズもヘヴンの『暴力教室 Where Angels Fear To Tread』(1983)にゲスト参加していましたね。

ジョン・コラビ:えっ、それは知らなかった。世間はさらに狭かったということだな(笑)。

──現在ザ・デッド・デイジーズ以外のバンドやプロジェクトはやっていますか?

ジョン・コラビ:俺はいくつも同時にバンドをやるタイプのミュージシャンではないし、まずザ・デッド・デイジーズに全力を投球している。仲間たちと新しいものを作り上げていくのはエキサイティングだよ。ただ、それと並行して、自分のソロ・バンドもやっているんだ。アコースティック中心で、息子がドラムを担当しているよ。ライブ・アルバム『Unplugged』ではザ・ユニオン、スクリーム、モトリー・クルーなどの曲をアコースティックでプレイしているんだ。今住んでいるナッシュヴィルでのショーを収録していて、すごくクールな出来だよ。ショーをナマで見ることができなかった日本やオーストラリア、南米のファンは、ぜひアルバムで体験して欲しい。マイケル・ワグナーがサウンドのプロデュースをしているんだ。彼もナッシュヴィルにスタジオを持っているし、俺の次のソロ・アルバムは彼と一緒に作るつもりだ。今こそが俺のキャリアのピークだと思うし、一番充実している時期のひとつだ。58歳のロックンロール・シンガーにしちゃ、悪くないだろ(笑)?息子も29歳で、孫もいる。みんな健康だ。俺には音楽しか出来ないし、それを楽しんでいる。これからも歌える限り、音楽を続けていきたいね。

取材・文:山崎智之


<The Dead Daisies Live & Louder Japan Tour 2017>

7月5日(水) 東京・渋谷CLUB QUATTRO
7月6日(木) 大阪・梅田CLUB QUATTRO
開場・開演:OPEN 18:00 / START 19:00
チケット:7,500円(税込/スタンディング/ドリンク代別)
https://www.creativeman.co.jp/event/deaddaisies2017/

ザ・デッド・デイジーズ作品

ザ・デッド・デイジーズ『ライブ&ラウダー』
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