【インタビュー】夕霧 (DaizyStripper)、不屈の10年を語る「もう1度、ここから夢見ようか」

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■あらためてストライカーとしての
■自覚と責任を楽しんでいる感じ

──では、バンド単位ではなく個人的なターニングポイントは?

夕霧:5周年の渋谷公会堂(※<5th Anniversary ONE-MAN Tour “DREAMER”>FINAL/2012年6月3日@渋谷公会堂)ですかね。それまでがむしゃらに、必死に生きてきたんですけど、5周年が終わって、「君たちが5年間やってきた結果が渋谷公会堂なんだよ。それが早いのか遅いのかわからない。けど、やり方次第で武道館やドームにも行けたんじゃないかな」って言う大人もいれば「5年で渋谷公会堂はすごい」っていう人もいたんです。

▲<5th Anniversary ONE-MAN Tour “DREAMER”>FINAL/2012年6月3日@渋谷公会堂ライヴレポートページへ

──なるほど。

夕霧:だけど、「正解もあるけど、中には間違いも必ず潜んでいるから、その間違いを正していけば、きっともっとバンドが大きくなれると思う」と言ってくれた人がいて、その時に初めて「5年の中での間違いって何だろう?」って考えましたね。それまでは自分がバンドの先頭で超絶いちばんっていう考え方でやってきたけど、もっとバンドが横一直線に出る感じのほうがいいのかなって。俺自身は5年で渋公が早いとは思ってなくて、もう少しイケるかなと思ってたから、そこで変わりましたね。

──どういうふうに?

夕霧:それまで俺が中心に決めていたことをもっとみんなの意見を聞いてみようと思ったり、それまでやってきたことを少しずつ変えてみたくなった、という意味で転機でしたね。

──とは言え、夕霧さんのワンマンバンドではなかったですよね?

夕霧:ワンマンバンドとは思ってなかったけど、最初はもっと俺が前に出て点を取らなきゃって。サッカーに例えるとシュートをキメなきゃっていう意識がすごく強かった。でも、5年目以降は俺もちょっとデフェンスをやろうかなって。

──当初は今よりバンドを背負っていたんですね、点取り屋として。

夕霧:よくも悪くも。でも、メンバーもオーバーラップで点を取るのに加担してくれたほうがチームとしていい結果が出せるのかな?っていう疑問というか、興味が湧いたんですよ。なので、渋公以降の5年間は「みんなで点を取ろうぜ」ってスタンスだったんです。ところが、今回の47都道府県ツアーでは久しぶりに「よっしゃ! 俺が点を取りにいこうか」って思えたんです。そうしたら個人的にさらにライヴが楽しくなってスタッフからも「絶対に今のほうがいい」って言われているという(笑)。今はあらためてストライカーとしての自覚と責任を楽しんでいる感じですね。

──それも、バンド初期とは意識が異なるわけですよね。

夕霧:昔は「俺にパス出せ!」って、前しか見てなかったけど、今はまわりが見えてる。俺以外の4人も「隙があれば俺もオフェンスにまわるよ」って感じなので。ただ何となくで47都道府県を廻っていたら現状維持で終わるかもしれないけど、しっかりと右肩上がりになっている。メンバーだけじゃなくスタッフにも恵まれているのはデカいですね。

▲<「KISS THE FUTURE~47 Runners High FINAL~」in 日比谷野外大音楽堂>2016年6月5日@日比谷野外大音楽堂ライヴレポートページへ

──まさか2年連続で47都道府県ツアーをやるとは思いませんでしたけど(笑)。

夕霧:ははは。でも、3周4周やるバンドもいますからね。

──やっぱり、そこで得るものは多いですか?

夕霧:そうですね、肉体とハートはすごく鍛えられた気がする。去年の47都道府県ツアーはアンコールを含めて15曲だったんですけど、今年の47都道府県ツアーは3〜4曲増やしたんです。正直、喉がキツい時もあるし、右を向こうと思っても首が思うように動かないとか、手を挙げるのが重かったりしたこともあってね。でも、それも昔なら自分に腹が立って凹んだりしたけど、みんなと気を高め合いながら廻ってるから大丈夫。そういう気持ちでステージに立てるようになりましたね。

──コントロールもうまくできるようになったという?

夕霧:メンバーも俺たちが大好きな有名バンドがTVに出た時の話とかしてくれるんですよ。「あの放送では、今日の夕霧の比じゃないぐらい声がガラガラだったけど、超堂々と歌ってたよ、ヴォーカルの人」とかね。で、「あの人もそういう時期を乗り超えてきたんだ。凹んでる場合じゃないじゃん」って気持ちになれたり。1人じゃここまで来られなかったですね。

──これも個人的な話ですが、先ほどお話があった「HOME」には、震災で実家を失った体験が書かれていますよね。2011年には気持ちが揺れたり、ご家族のことが心配で辛かったということは?

夕霧:確かに2011年は実家がバタバタしていましたね。祖母が亡くなったり、引越しだったり、いろいろあったんです。けど、俺的には「音楽で東北を少しでも元気にしてやらなきゃ」っていう想いのほうが全然大きかった。当時はDaizyStripperを中心に『BLUE PLANET JAPAN』というプロジェクトを立ち上げて、いろいろなヴォーカリストを呼んで曲をリリースしたんです。その売り上げで楽器を買って学校に寄付したり。微々たるものですけど、とにかく動いてましたね。ただ、当時俺は東北出身だということを公言してなかったので、もどかしかった部分もあったかな。「みんな頑張ろうぜ」って言いながら自分も被災者だったから。でも、言っちゃうとそこだけに目が向いてしまう気がしたので、とにかく今はみんなの背中を押そうって。

──だから、言わなかったんですね。

夕霧:あと2011年は、シングル3枚とフルアルバム3枚をリリースしているっていう、めっちゃ頭のおかしい年だったんですよ(笑)。39曲新曲を作りましたからね。曲を出してパワーを与えなきゃって使命感が圧倒的に強かったんだと思います。

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