音霊は、今年で13回目を迎える夏限定のライブハウス。6月30日から9月10日までの73日間、毎日豪華なアーティストたちが登場し、ビーチでライブや食事を楽しむことができるスペースだ。今年は神奈川県三浦市の三浦海岸にロケーションを移し、この”熱い”夏に絶好の”思い出”を提供する。6月1日から行われるカウントダウンを前に、音霊プロデューサーであるクレイ勇輝に、建設中の「音霊」前にて話を聞いた。

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■音霊を13年続けられたのは、
■意地とカッコつけなんです(笑)

──そもそも音霊を始めたきっかけは?

クレイ勇輝 懐かしい質問ですね(笑)。14年前、当時23歳のころに「海で仕事をしたい」と思ったのが最初です。ただ海の家でバイトしても生活はできないから、音楽を絡めた”小屋”みたいなところをやっているところはないかなと。探してたらなかなかなくて、それじゃ自分で作るしかないなと。

──当初はどういう形態だったのでしょうか?

クレイ勇輝 今の方がシンプルになりましたね。最初は占いとか、整体とか仕込んで……楽屋より整体ブースの方が広かったり(笑)。

──今の「音霊」の形が完成したのは?

クレイ勇輝 2年目から余計なものはなくしました。1年目は元BLUE NOTEのスタッフが半分くらいで、料理を食べながらライブを観るという高級志向だったんです。2年目からは外でご飯を食べて、中でライブを観るというシステムに変更しました。

──今年13年目になるわけですが、特別に思い出に残っている年はありますか?

クレイ勇輝 さすがに13年もやっていると、いい思い出も悪い思い出も、いろいろありますね。例えばニュースでよくやっている“何十年に一度の台風”。台風って外巻き、内巻き、どこから来るかで影響がかなり変わるので、毎年この時期は常に天気予報を見ています。ちなみに陸から来る台風の方がヤバイ(笑)。風と波の影響で朝行ったら小屋の正面が全部抜けていたり、建築中に台風が来てオープンが間に合わなかったり、解体中に来てビーチに散乱した音霊の木材を拾いに行ったり(笑)。海の家の中でも一番頑丈な作りにしていますが……その時は跡形もなくなっている海の家がほとんどでしたからね(笑)。

いいときでいうとキマグレンがデビューした年、4年目かな。その年は異様な空気でした。キマグレンのファンたち、それもスゴイ人数が音霊に常にいるという……メディアもひっきりなしで、毎日ズーッとメディアに僕らが出てない日はないというくらい。大変でしたけど、今となってはいい思い出ですね。もうちょっと噛み締めておけばよかった(笑)。今は一本のメディアに出るのがどれだけ大変かよく分かっているから。当時はもう勘弁してくれという気持ちでした。


──クレイさんが音霊を13年間、続けられた理由は?

クレイ勇輝 意地とカッコつけです(笑)。もう、いろいろな意味で辞められないループに入っちゃっている。音霊を辞めるということは、僕にとって人生のある一つの区切りになる。例えば大工さんがズーッと大工仕事をしていて、大工を辞めることはないですよね? その大工さんが突然料理人になることもないわけで……。大転職をして大成功するパターンって……『ドラクエ』でいう転職じゃないですか(笑)?

──それに「音霊」はすでによく知られた存在になっていますし。

クレイ勇輝 おかげさまで。音楽業界では特に、「ああ、あの音霊ね、うちは大丈夫」というパターンと、「あっ、あの音霊! ぜひ出さしてください」というパターンと良いも悪いも「あっ、音霊ね」という認識をしていただいていると思います。

◆インタビュー(2)