【インタビュー】J、メディアを語る「面白い時代。すべてが人の感覚にかかってくる」

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■今みたいな現状もいい
■リスキーさが伴うということも含めてね

──僕の商売がたきが増えるわけですね(笑)。確かにツールとしてはとてつもなく便利です。広くいろいろなことを知れるだけではなく、特定のアーティストのものすごくディープな情報まで掘り下げていくこともできる。かつては洋書を扱う書店にでも行かないと調べようのなかったことまでもが。しかも海外のライヴ映像がリアルタイムで見られたりもするわけです。そうやって状況を把握することができるとなれば、自分なりのフィルターを持った書き手ならば、実際に取材を行なわずともジャーナリスト的な執筆活動をすることができるわけで。

J:そうなんですよ。こういった時代性についてポジティヴに考えた時、そういうことが起こり得るんだ、と俺は思ったんです。しかも情報ってものは、何層にも分かれてるじゃないですか。検索したって出てこないような情報もなかにはあるわけで。だけども、どこかを通過すれば確実にそれを知ることのできるコミュニティがあったりもするし、そのありかを突き止めることだってできるわけです。繋がろうと思えば世界の誰とでも繋がれる。そういう可能性がある時代になってきてるんでしょうね。で、だからこそ、そこで人が試されるんだと思う。情報を探してる人自身がね。当然そこには嘘の情報もあるだろうし、マーケティングを考え抜いたうえで撒かれた情報もあるだろうし。そういったなかでいろんなものを嗅ぎ分けていく嗅覚というか、そういったものを磨いていくのはやっぱ自分しかいないから。それは大変なことだとは思うけど。

──ひとつ怖いのは、音楽やその作り手に対する興味が動機だったはずなのに、いつのまにか情報収集すること、それをアップデートすることが目的になってしまう場合があることなんです。

J:俺、情報ってものの形が昔とは違ってきてるんだろうなと思うんです。ある先輩ミュージシャンに言われたことがあるんです。“自分の目と耳で見たり聴いたり、自分の手で触ったりしたものが情報なんだ”と。それ以外のことというのは、自分は経験してないわけだから、まだその時点では判断できないですよね。だからその先輩は、自分で見たり聴いたりしに行くんだ、と。ホントにその場所が評判通り綺麗なのか、そんなに素晴らしいのか。もちろん素晴らしい場所がたくさんあることは実際にその場まで行かなくてもわかるんだけども、それをそのまま確かな情報として自分のなかに取り込むんではなくて、もうひとつ前の層の情報として見ないといけない。

──表層的なものだけではわからないし、それを実際に体験したうえでその人にとっての有効な情報になる、ということですね?

J:話として知っているだけでは、いちばん外側の層に触れただけでしかないというか。

──それこそ、ライヴの評判がいいバンドがいた時に、一度も観たことがないのに“いいライヴ・バンドなんだよね”と言ってしまうか、ちゃんと自分で観てからそれを言うか、という違いがあるわけですよね。

J:そうそう。今、フェスとかでも、バンドとしての持ち時間が20分とかだったりすることがありますよね? バンドはその与えられた時間で、一生懸命やるしかない。で、それですべてを語られてしまうわけでしょ? だからこそ俺は、その場に実際に観に行った人たちのジャーナリズムってものがすごく重要になってくると思っていて。流されないでちゃんとした評価をしてあげて欲しいですよね。なんか、今のようなフェスの話とかって、縮図のような気がするんですよね、今の世の中の。

──フェスというのもある意味、オーガナイザーなりイベンターという編集長がいて、出演枠や出演順を決めながら編集されたもの。そしてその価値は読み手、すなわち観客がどう受け止めるかにかかってくる。

J:そもそもそこで失敗しちゃうバンドはもちろん駄目なんですけどね(笑)。ここぞ、という時にやれないというのは。バンド・サイドからすれば、いつだって、いつでも勝負であるはずだから。ライヴってものについて、やっぱり観てもらった人たちに“ああ、すごかった!”と思わせるために練習したり、自分たちの表現を磨いたり、いろんなことを考えたりするわけで。そこでコケたら明日はないよ、という思いのなか、LUNA SEAだってずっと突っ走ってきたわけだから。その熱量みたいなものを、自分たちはバンドとして確実に持っていたと思う。

──情報がこれだけ簡単に飛び交うようになっている世の中だからこそ、ライヴ1本1本がより重要になってくる、ともいえます。それこそフェスで良くないライヴをしてしまった場合、持ち時間が20分だろうが目撃者の数が少なかろうが、悪い評判はたちまち広まってしまうし、そのバンドに興味のない人たちすらもそれを拡散してしまったりする。良い結果が一気に広まって思いがけない効力を発揮することもあれば、たった一度の失敗が命取りになる場合もある。たとえば他のフェスのブッキング担当者がそうした評判を目にして“ああ、このバンドはやめておこう”という判断をするかもしれないわけで。

J:だけど、実際にそこで勝負してるバンドたちの真剣さというのは、観に来た人たちの何かを絶対に射抜くと思うし、その人たちの何かを変えていくと思うし、それはある意味、半永久的なものだと思う。そういうことが起こり得るのが、音楽の素晴らしさのひとつだと思うんですよ。そういうカルチャーだと思うんです。だから……俺は、今みたいな現状もいいと思うんです。そういったリスキーさが伴うということも含めてね。なにしろ今はCDだって、上手いこと作れちゃうわけだから。海外のプロデューサーを起用して、バンドが帰った後にそのプロデューサーがぶわーっと編集して、実は他のやつが弾き直したなんて話も聞いたことがあるけども(笑)。

──それこそ今では、ろくに楽器を演奏できなくても、いろいろなソフトを使ってすごい音源を作れてしまったりするわけですよね。

J:そこですよね、問題は。でも、仮にその人が楽器を弾けなかったとしても、自分のなかにギターやベース、ドラムが鳴ってるイメージを持ってさえいれば、何でも作れちゃうし、それが世界を変えることになるかもしれない。もっと言えば、それをずる賢く使ってる人たちもいるわけです。だからまあ、とんでもない時代ではありますよね。

──昔、いわゆる叩き上げのライヴ・バンドが、ライヴの良さを音源に反映できなくて悩むことって多々あったじゃないですか。“ライヴはいいのにね、このバンド”というのが多かった。ところが最近は“デモを聴いてみたらすごいのに、ライヴを観てみたら自分たちの曲をコピーできてない”みたいなケースも少なくなくて。

J:肉体が頭脳に追いついてないんですね(笑)。

──そういう意味では、すごく二極化しているのかもしれない。

J:だから、面白い時代だとも思う。すべてが人の感覚にかかってくる。それをどう思うか、どういうふうに自分のなかで処理していくかに。処理能力というかね。PCだけの話じゃねえぞ、ということです。いくらPCの処理能力が速くなったっておまえ自身が速くなきゃ結局遅いんだ、という(笑)。

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