【インタビュー】“神様、僕は気づいてしまった”が1stミニALで形にしたバンドのコンセプトとは? そして東野へいとが抱く“生きづらさ”

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覆面を被り、素顔を見せない形で活動するロックバンド「神様、僕は気づいてしまった」。シングル「CQCQ」(TBS系 火曜ドラマ『あなたのことはそれほど』主題歌)で鮮烈なデビューを飾った彼らが、1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』をリリースする。

フックに満ちた曲調と強烈なハイトーンの歌声が印象的な彼ら。ミニアルバムには東野へいと(Gt)、どこのだれか(Vo&Gt)が手掛けた7曲を収録。疾走感と狂おしさを詰め込んだようなナンバーが並んでいる。意味ありげなバンド名や匿名性の高い活動形態など気になるポイントが多いバンドだが、コンセプチュアルな体裁を貫くバンドの根っ子には思春期的な感性が息づいている。

キーワードは「生きづらさ」。東野へいとへのインタビューでそのあたりを紐解いた。

◆1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』 ジャケット画像

  ◆  ◆  ◆

■ 人間十人十色。それを、「中二病」とか「メンヘラ」とカテゴリーに押し込めてしまうのは
■ あさましいことだと思うんです

▲1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』初回限定盤

── ミニアルバム、聴かせていただきました。

東野へいと(以下、東野):ありがとうございます。

── これは、神様、僕は気づいてしまった(以下、神僕)というバンドがどういう存在なのかを明確に示す、とてもコンセプチュアルな作品だと思ったんですね。きっとバンドがスタートしたときにイメージしていたものが形になった手応えはかなりあったんじゃないかと思うんですが、そのあたりはどうですか?

東野:おっしゃっていただいた通り、コンセプチュアルにやってるバンドなので、コンセプトに沿わない曲は持ち込まないし、このバンドのための曲を作ろうというマインドでやっています。だから、それがちゃんと伝わるアルバムになったんじゃないかという手応えはありました。

── このバンドはどうやって始まったんでしょう?

東野:まず、ヴォーカル(どこのだれか)のことは、もともと音楽の好みが似ていて、仲がよくて。「何か一緒にやりたいね」みたいな話はずっとしていたんです。僕はそれと別でソロで音楽をやってきていて、バンドサウンドだったんですけれど、そこではやりきったというか。やっぱり一人でやってると自分の中で満足したものを越えられないから、もっとバンドらしいエネルギー、化学反応みたいなものに挑戦していきたいと思い始めていたんです。だから、バンドサウンドを作りたいと思った時に、ちゃんとその意味を持った活動が必要だと思っていて。

── 二つの理由があった。

東野:そこで結びついたんです。それで出来上がったのが、去年11月にYouTubeでアップロードした「だから僕は不幸に縋っていました」。そこから自分一人でやる時とバンドでやる時をちゃんと差別化しようと思って、ヴォーカルに「自分が信頼できるメンバーで一緒にもっといい作品を作り上げていきたい、みんなで今後一緒に作品を作っていく活動を並行してやっていきたい」という話をして。それで改めてヴォーカルを誘って、そこを基軸にしてメンバーを増やしていきました。


── どこのだれかさんと音楽の好みが似ていたと言っていましたが、どう似ていたんですか?

東野:言葉で説明しづらいんですけど、ジャンルが似ていたとかではなく、J-POPとして求めてるメロディセンスとか、そういう部分なんです。僕が彼の曲を聴いて思うのは「自分が書いたメロディみたいだな」とか「理想のサビを書いてくれる」という感覚。それで向こうも僕の曲を聴いて同じように感じてくれていて。実際「これはどっちが書いた曲でしょう?」って訊いても誰もわかんなかったことがあるくらいで(笑)。それくらい、メロディに求める要素が似ているんです。

── 今回のミニアルバムでも、「宣戦布告」と「天罰有れかしと願う」は、どこのだれかさんが作詞作曲をしている。曲調の幅も広いですよね。でも、どの曲も不思議な共通性がある。そういう“神僕らしさ”って、どうやって生まれているんでしょうか。

東野:ベース、ドラムも含めてメンバー全員が楽曲制作ができる人間なんですよ。だから、弾いてて楽しいフレーズじゃなくて、その曲のそのポイントに必要なフレーズをちゃんと持ってきてくれるんです。だからパズルみたいにアレンジが上手く組み上がっている。そういう、楽曲としての完成度を上げるための引き算ができるというのが、このバンドの武器であり、らしさなのかなと思います。

── 歌詞や楽曲の世界観はどうでしょうか。どの曲にも孤独な世界というか、自分の周りに敵がいる、みたいな感覚がある。そのあたりは最初に話したコンセプトの部分と関わってくると思うんですが、このあたりはどうでしょう? どういう風に“神僕らしさ”が生まれてきていると思いますか。

東野:何かから影響を受けてそういう歌詞になるというよりは、コンセプトがあるバンドなので、コンセプトに沿った楽曲を持ち寄りたいという意識があって。たとえば個人的には「今日はハッピーなベースミュージックが作りたい」という気分の時もあるんですけど、それはこのバンドに持ってはいかない。今日はちょっとニヒルな曲が書きたいという時は、このバンドに持っていく。そういう取捨選択があって、楽曲が集まっています。

── 神様、僕は気づいてしまったという名前も、そういうコンセプトに関連している?

東野:そうですね。バンド名がそうなったのも、コンセプトと密接に関わっている部分です。

── これはどういう意図を持ってつけた名前なんでしょうか。

東野:例えば「中二病」とか「メンヘラ」とか、そういうネガティブな精神を意味する言葉っていくつか世の中にありますよね。でも、人間十人十色、同じことを考えてるなんてあり得ないし、それを「中二病」とか「メンヘラ」とか言ってひとつのカテゴリーに押し込めてしまうのは、あさましいことだと思うんです。どうしようもなく生きづらい環境にいる人たちの感情を、そういうところに押し込んでやり玉に挙げてしまう。そういう感情に余裕がある人間の浅薄さみたいなものが昔からどうなのかなと思っていて。十人十色の感情である以上は、それを言葉にできないし、するべきものであるにもかかわらず、ひとつの言葉で言い切ってしまうのはナンセンスだと思って。そういう生きづらい感情をちゃんとカテゴライズせずに向き合って消化して、気持ちが晴れるようにしていくべきだと思うんです。けれど、感情は十人十色である以上言葉にできないので、浅薄なカテゴライズに逃げるのではなく、ちゃんと音楽という媒体を通じて消化しようと。それで、カテゴライズしてしまうことの浅薄さを「神様」という言葉で表現しているんです。

── なるほど。

東野:疑心家みたいな表現ですけどね。ただ、もしそうだとするならば、そういう浅薄さとしての神様はきっと「まんまと俺の存在に騙されやがって」みたいなことを思ってると思うんですよね。でも、それに対して僕たちは「お前の存在に気づいている」と。その正体を暴いてやる、クリアな感情に変えていくよというコンセプトで曲を集めているんです。そういうことを表現しているのが「神様、僕は気づいてしまった」というバンド名でありコンセプトなんです。

── 最初にできた「だから僕は不幸に縋っていました」の歌詞も、今話していただいたことは結びついている?

東野:そうですね。昔から、カテゴライズされることによるナンセンスさを感じていて、それを曲にしようと思ったのが「だから僕は不幸に縋っていました」だったので。この曲が完成したことで、“こういうバンドにしたいね”というコンセプトが固まりました。

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