【インタビュー】和楽器バンド、1stシングル発売「この8人なら伝説残していけるよね」

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和楽器バンドが本日9月6日(水)に1stシングル「雨のち感情論」をリリースした。

和楽器バンドは「日本人にしか表現できない音楽エンタテインメント」をコンセプトに2014年にメジャーデビューを果たして以来、3作の映像シングルと3枚のアルバムをリリースしてきた。そして今回、メジャーデビュー3年目にして初のCDシングルという形態で、本作をリリースすることが決定した。

◆インタビュー画像

和楽器と洋楽器を融合させた斬新なスタイルで、日本のみならず海外からも高く評価されている和楽器バンド。BARKSではその独自のサウンドを作り上げるメンバーたちの素顔と、初のCDシングルという形態に込められた彼らの思いについて、ロングインタビューを敢行した。

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――和楽器バンドは洋楽器と日本古来の楽器を組み合わせた他にない構成のバンドですが、まずはこのような形式のバンドをするに至った経緯から教えてください。

鈴華ゆう子(Vo):はい。日本古来の伝統芸能である詩吟や舞踊、和楽器の素晴らしさを国内外に浸透させたいという思いから私が中心となってメンバーを集め、2012年に“和楽器バンドプロジェクト”を始動させ、2013年に今のメンバーで和楽器バンドを結成、2014年にメジャーデビューを果たしました。

――そもそもみなさんはどのように和楽器というものに関わってきたのでしょうか。

鈴華ゆう子:私は幼い頃からクラシックピアノと詩吟と剣詩舞を習っていました。詩吟の伴奏楽器は箏と尺八だったので、和楽器は昔から馴染みのある楽器でしたね。でもどうしても和楽器というと年配の方がやるもの、といったイメージが強くて…。そういうイメージを打開して、和楽器をはじめとする日本の伝統文化の魅力を発信していきたいという思いが今の和楽器バンドに繋がっています。



――ピアノもやっていたんですね。

鈴華ゆう子:そうですね、ピアノ科で音大に行きましたし、もともとはピアニストを目指していた人生でした。でも本当は歌がすごく好きで、歌手になりたいって夢を隠しながらピアノの仕事をしていたんですが、裏でライブ活動をして歌ったり曲を作ったりしていました。

蜷川べに(津軽三味線):私は祖母と母が民謡と三味線をやってまして。それで4歳のときにお稽古についていったのが和楽器に触れたきっかけです。母が歌ってるのを真似して民謡を歌い始めたのですが、14歳くらいのときに喉を傷めてしまったので伴奏の三味線を始めました。三味線自体はそんなに好きじゃなかったんですけど(笑)、何となく続けてるうちに三味線の大会とかもあったんで挑戦してみるのも面白いかなって思って本気で練習し始めました。

黒流(和太鼓):僕も実家がアマチュアの太鼓チームをやっていたので、幼い頃から和太鼓に触れていました。最初に叩いたのは3歳くらいかな。生まれた時から和太鼓の音を聴いていたので、リズムに合わせて太鼓を打つというのが自然にできたんだと思います。

――生まれもっての和太鼓奏者だ。

黒流:でも全然好きじゃなかったですよ。周りには和太鼓が好きな人がたくさんいましたが、俯瞰で「みんな好きなんだなー」と見てると言うか。思春期には和太鼓を離れてバンド活動にシフトしたりもしたんですが、結局自分を一番出せるのは何かなって思った時に「和太鼓なら海外のアーティストにも勝てる」と思って自己表現の道具として和太鼓に戻った感じです。

――みなさん幼少期から和楽器に触れていたんですね。

いぶくろ聖志(箏):いや僕は3人と違って、箏に触れたこと自体は高校の部活がきっかけでした。その前はベースで友達とロックバンドをやってたんですが、アコースティックギターのようにもっと身軽に演奏したいなと思って。そんな時、箏に触れて生で音が出て表現力があり、ひとりでも演奏できるし合奏もできる、そんな魅力に魅かれたんです。計算違いだったのは、思ったよりも持っていかなきゃいけない備品が多くて決して身軽じゃなかったこと(笑)。



――箏って女の人が演奏しているイメージが強いです。

いぶくろ聖志:そうですね、奏者の数で言ったら女性が多いです。男性の奏者は少ないですが、歴史上の要所要所で名前を残している奏者は男性の方が多かったりしますね。

神永大輔(尺八):僕も18歳のとき大学のサークルで尺八を始めました。もともとは5歳のときからクラシックピアノをやっていて、大好きなテレビゲームの音楽を弾いていました。

――ピアノと尺八、方向性がまったく違う気が。

神永大輔:いろんなゲーム音楽を聴いているうちに、ピアノの鍵盤だけじゃ表現できない音があるなと気づいたんです。そこからゲーム音楽によく出てくるアイルランドの笛など民族楽器っぽい笛が気になるようになって、尺八を見たときに「これはゲーム音楽を演奏するのにとても適していそうだな」と思って転向しました。大学のサークルでは江戸時代の音楽とか古典などを学び、同時にライブハウスでギターの弾き語りの人なんかと一緒に演奏するうちにアンサンブルを作っていく楽しさを覚えました。まぁ、尺八というと物珍しいからかいろんな人と会う機会が多くて、僕にとっては尺八がいろんな人と一緒に音楽をやれるコミュニケーションツールのひとつにもなっていますね。

――ちなみに神永さんはYouTubeで「ちくわを吹いてみた」「トイレットペーパーの芯を吹いてみた」などの動画をアップしていますね。

神永大輔:尺八の音が出るのは、リコーダーと一緒で切れ込みに息があたって中と外に音が2つに割れるという仕組みなんです。つまり息が割れるものであればだいたい何でも吹けるんですよ。人の口なんかも吹けちゃったりします(笑)。

山葵(Dr):じゃあこれは?(ガムテープを差し出す)。

神永大輔:あと五分くらいもらえれば、これもきっと吹けます!

鈴華ゆう子:筒を見たら吹きたくなる病気だと思われちゃうね(笑)。



――いろいろなきっかけがあって和楽器に触れてきたんですね。洋楽器隊のみなさんも、楽器に触れたきっかけを教えてください。

町屋(G):僕は8歳からギターを始めました。その頃から音楽が好きでピアノを習いたかったんですが、親にダメだっていわれてくすぶっていたところ、家に転がっていたギターを見つけて弾いてみたのがきっかけでした。

――町屋さんはギターのほかにもいろいろな楽器を演奏していて、ご自身のことを“便利屋さん”と称されていますよね。

町屋:そうですね(笑)。トランペットも10歳からやってましたし、結局うちの親も折れて中学生の時からはピアノ習ってましたし。まぁ、浮気性なんでありとあらゆる楽器を演奏してきましたね。基本的に音楽っていうものが好きで、楽器はそれを表現するためのツールでしかないって思ってるタイプなんで。たまたま長くやってきたのがギターなので、ギターが一番自己表現するのに使いやすい道具ではありますが。

――亜沙さん、山葵さんは?

亜沙(B):僕は高校生くらいの時にドラムをやろうと思ったんですが、足と手が一緒に出ちゃって「これは向いてない!」と思って、家にあったギターに鞍替え。母親からコードを少し教えてもらって弾き語りを楽しんでいたんですが、友達とバンドを組もうとなったときにベースがいなくて「じゃあ俺がやってみようか」ってベースを始めました。そこからずっとベースを弾いていますし、自分に合ってたんだと思います。そこからはヴィジュアル系バンドをやっていましたが全然売れなくてひもじい生活をしてましたね(笑)。それと同時にボカロに楽曲を投稿したりしていて、「吉原ラメント」などの楽曲が生まれました。

山葵:僕が一番最初にドラムに触ったのは、小学校六年生のときの音楽発表会です。僕以外にドラムに立候補した子が三人いたんですが、音楽の先生に教えてもらったエイトビートを一番上手に叩けたのが僕だったので無事に選ばれて、それが初めてのドラム体験。で、中学三年生のときに友達にX JAPANの「紅」を聴かせてもらって、「すごい、こんな激しい音楽があるんだ」って思って真剣にドラムを勉強するようになりました。

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