【インタビュー】清塚信也、ピアニスト・作曲・編曲家・俳優とマルチに活躍する才能のすべてを詰め込んだ意欲作『For Tomorrow』

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クラシック分野でのピアニストとしてだけにとどまらず、作曲・編曲家、俳優としての活躍も展開している清塚信也。大きな話題になったドラマ『コウノドリ』(2017)メインテーマ「For Tomorrow」を筆頭に、2015年の『コウノドリ』メインテーマ「Baby, God Bless You」、さらに映画『新宿スワン II』より「恋心」「水の妖精」「心の声」などのタイアップ曲を満載したアルバム『For Tomorrow』をリリースする。清塚自身が作曲した、心を癒す楽曲や力強い意思を感じさせる楽曲など、聴く者を震撼させる曲を満載したアルバムに仕上がった。その清塚信也に、音楽に込める思いの数々を聞くインタビューをどうぞ。

◆清塚信也~画像&映像~

■モスクワ留学はあまりにも厳しい母や先生から逃げたくて(笑)自分で決めました
■決められたレールに乗っていたので、もっと自由にピアノを弾きたくて


──そもそもは、クラシックのピアニストを目指していたんですね。

清塚信也(以下、清塚):5歳でピアノを始めたんですが、母が「絶対にピアニストになりなさい。音楽は楽しむものじゃなく、競り勝つものだ」と。厳しくて、もう体育会系なんてものじゃなくて軍隊だったです(笑)。

──じゃあ、モスクワ留学もお母様の意向で?

清塚:これは僕が決めたんです。母や先生から逃げたくて(笑)。あまりにも厳しかったし、決められたレールに乗っかっていたので、もっと自由にピアノを弾きたくて。自分にとってピアノって何なのかということもじっくり考えたかった。ウィーンやパリは日本人が多いので、もうちょっと落ち着いた場所ということでモスクワを選びました。

──その留学では、純粋にクラシックピアニストになることを目指して?

清塚:18歳のモスクワ留学で、純粋ではなくなりました。クラシックもピアノを弾くことも好きだったんですが、従来のクラシックやピアニストとしてのやり方には、どれも僕は当てはまらないと思ったんです。20歳までの2年間で、僕独自のやり方で行きたいと考えるようになりました。一番大きかったのは、ポピュラリティーに関する考え方ですね。その音楽がどれだけの人気を得られるのか、どれだけの多くの人を感動させられるかということに対して、クラシック界がどう向き合っているのかを考えたときに、クラシック側はそれをタブー視しているんじゃないか。クラシックがマイノリティーであることに甘んじているんじゃないか。音楽に対してのアプローチ、レベルの高さということではものすごいものがあるけど、多くの人に共感されなくとも美徳だとしていると感じたんです。違和感を持ったというか。もっと多くの人にクラシック音楽を聴いてもらう努力をしなければならないんじゃないかと。音楽って多くの人に聴いてもらってこそのものだと思うんですね。


──そういうことを実現するために、映画やテレビの世界に飛び込もうとされたわけですね。

清塚:クラシックをやっていると、クラシックが一番上であると考えがちになっていたんです。でも、テレビや映画の世界では、そんな考えが一蹴されるんです。例えばバラエティ番組に出たときには、バラエティの難しさ、世の中への影響力の強さを間近で感じました。エンターテインメントとして、クラシックはある意味、狭い世界での存在を自らが認めてしまったジレンマに陥っていると思いますね。

──そういう気持ちが、幅広い世界での活躍につながっていくんですね。映画やテレビ関係の仕事の最初は『のだめカンタービレ』ですか。

清塚:一番最初は、松山ケンイチさん主演の『神童』なんです。その直後が『のだめ』ですね。

──これらの作品では“音楽監督”というより“吹き替え”なんですね。吹き替えというと、ピアノの下に潜り込んで、手だけで演奏するということを思い浮かべてしまいますが(笑)。

清塚:『神童』のときは一回それもやりましたが、基本的には違うんです。役者さんと同じ服装をして、顔が見えないくらいのアングル、もしくは手だけを撮影して、あたかも役者さんが弾いているようにインサートするのは“当て振り”。“吹き替え”というのは、映画のそのシーンのためにレコーディングすることを言うんです。役者さんが弾けないところを僕たちが弾くという。これ、勘違いしてらっしゃる人が多いと思いますね。

──なるほどそうですね。それで、将来はこういう方向で行きたいと感じたのは、この2作品によってなんですか。

清塚:いや、吹き替えは楽しかったけど物足りなかったんです。もっと曲を作ったり、総合的な監修をしたり、もっと言えば、自分が役者としてやりたかったという思いが強かったですね。

──そこから、『さよならドビュッシー』の岬先生に繋がって行くわけですね。

清塚:ずいぶん時間がかかりましたけどね(笑)。

──『さよならドビュッシー』では、役者としてはもちろん、ピアノもご自分の演奏ですね。

清塚:この映画に関しては、レコーディングもそうですが、現場でも音を録っているんです。普通は、現場って多くのスタッフさんの足音や床がきしむ音などのノイズが多いので演奏の音は録らないんです。でも、このときは僕の芝居と現場の雰囲気を生かすために演奏もマイクで録って。だからカメラマンさんは大変だったと思います(笑)。映画としては、カットを刻まないで、長回しができるのという利点がありますね。音楽映画としては珍しいんじゃないかな。この仕事は、役者、演奏、そして音楽監督もやりましたし、手応えのあるものでした。

──そういった活動が、クラシック音楽に対する考え方を変えているところもあるのでしょうか。

清塚:いまはクラシックが窮屈ですね。既にある曲を再現するという側面もあるし、自分の表現をする舞台なのに、人の曲を演奏するのが癪なんですよね。でもそれは昔からそうでした。クラシックの素晴らしさや凄さは分かっていますが、自分ならこうだということのほうが重要。だから、クラシックのみでコンサートをするというのは、いまは考えられないですね。

──話は変わりますが、劇伴や音楽監督などをなさるときは、実際の映像を見て、音楽作りをするわけですか。

清塚:それは、場合にもよりますし、作品ごとの進行具合にもよりますね。あとは、プロデューサーなどが、僕たちのことをどれくらいいたわってくれているかにもよりますね(笑)。映像なんてほぼないですし、脚本も準備稿の前の前くらいですね。ニュアンスだけ伝えられてということが多いです。また、音楽の専門家としゃべるわけではないので、音楽的なフィードバックなんて何もないんです。録ってもいない映像の話が前提なので、とてもフワフワしていて。「とりあえず作ってください」って。なのに、すごいダメ出しをされるんです。完全な後出しジャンケンの勝負を挑まれている感じですね。精神的にツライですよ。

──そういうことに対処するには、自分に相当な引き出しがなければできませんね。

清塚:それは、生きている生活のすべてをドラマとしてストックしておくしかありませんね。いまインタビューをしているのはこんな音楽が合うなとか、歩いていても音楽を考えている。常日頃から、精神を敏感にしておくことですね。次の作品までに、どれくらい引き出しに物を入れられるかというのが勝負の分かれ目です。自分の頭の中で4小節でもいいから組み立ててストックしておく。そこからすぐに引き出せるかどうかのスピード感も大事です。例えば、僕は映画を観るのが好きで、相当な数の映画を観ています。そういう影響や刺激も大事ですね。それが、自分の曲作りに直接結びつくわけではないですが。

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