【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第65回「大阪城(大阪府)卓偉が行ったことある回数 20回くらい」

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たまには誰もが知ってるメジャーな城も書いておこうと思う。というかここ最近紹介していた城がマニアックな城だと思われていて、もっと有名な城を紹介してくれません?的な手紙が多く届いていた。マニアックじゃないぞ!私の中ではどれも超熱い城なのだ!まあでも確かにあまりにも山奥にある城だと簡単には行けないのもわかる。ということでおもクソ観光地になってる城をマニア目線で紹介したい。知らない人がマジで?と思ってもらえるような情報を書いてみたい。それはもう歴史の間違った伝え方、掛け違えたボタンを直すことであり、世直しならぬ城直しである。


さて、まず大阪城と聞けば誰しもが太閤殿下豊臣秀吉を思い浮かべると思う、確かに1583年に築城したのは秀吉さんだ。だが今ある大阪城はほぼすべて徳川家の大阪城なのである。豊臣の大阪城の面影はほぼ存在しない、のである。これをとことん紐を解いていこう。

まずこの地に最初に築城を命じたのは織田信長である。大阪湾からの物資の運び、瀬戸内海への船での移動、町の繁栄を考えた時にこんなに立地の良い場所はないと目を付け、1582年に築城を始めるが本能寺の変で急死。そこを引き継ぐかのように築城を始めたのが秀吉だ。その後天下統一を果たす秀吉だが自分の居城として当時日本最大の城をここに築いた。秀吉時代の天守は外観五重、地下二階、全部で九階建ての天守だったそうな。この天守の絵図は残っている。大阪夏の陣図屏風でもしっかりとした絵が描かれている。全部が黒塗りで非常にCOOLだ。

築城は何年もかかり、秀吉が生きてる間には完成せず、息子の秀頼の時代に完成。だがすぐ関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利。その後大阪冬の陣、夏の陣を経て豊臣氏は滅亡。1620年から家康の息子二代目将軍徳川秀忠が新たに改修を始めた。その改修は改修というよりほぼ築城に近く、場所こそ豊臣大阪城だが、すべての規模を拡張したのである。石垣は高さを倍以上に、掘も深く掘り、幅も広げ、縄張りも広くした。天守の場所を変え豊臣天守よりももっと大きい天守を建てた。豊臣の時代の城はどうしたかというとそのまま地下に眠ったまま埋め立てたのである。当然今も地下に眠ったままだ。私の活動記録も一生そういうことだ。


本来日本の城の改修となるとそれまであった城をうまくリサイクルして完成させるというのが主だが、秀忠は豊臣の大阪城のパーツを一切使わなかった。壊してどこかに運ぶこともせずそのまま地下に埋めたのである。なんたる権力。当時の大阪の人間すべてに豊臣の滅亡をより深く知らしめる為に面影は一切残さない改修を行ったのである。本丸には十一基の三重櫓があり、それをすべて多聞で連結。これは日本最大である。ほぼ天守閣と呼べるほどの高さと大きさを誇る。大手門の土橋の道幅も日本最大であった。使われた石もかなりの重量で大きく、石の質がどの城よりも強く頑丈だった。本丸さくら門枡形にある蛸石もとんでもない大きさを誇る。これは来客に対する威嚇もあったはずだがやることがいちいちでかい。まあ用は徳川本部の江戸城の縮小版をこの大阪にも建ててしまおうという目論見が伝わってくる。言ってみれば現在の大阪城は二代目将軍徳川秀忠の城と言った方が正しい。

そんなたくさんの櫓や門も現在残っていないのは幕末の内戦と第二次世界大戦の大阪の空襲で焼失してしまっているからだ。もちろん今でも残っている建物もあるがもっと現存していたらとんでもない城だったはずだ。戦時中は軍が使用していたこともありB-29の標的にされてしまった。それがなければもっと多く残ったはずだ。和歌山城の紀州御殿が移築されていたがこれは手違いで焼失してしまった。現存していたらとっくに世界遺産だったと断言したい。


現在の天守は昭和6年に再建された復興天守だ。マニアからするとうんこ天守だ。しかも本当にいただけないのが、天守台は徳川の天守台、にもかかわらずデザインは大阪夏の陣図屏風を参考にして再建という一番意味がわからないやり方だ。ボンゾの26インチのラディックのキットをリンゴが頑張って叩くという全く鳴らせてない感じだ。だがその天守も昭和6年に再建され、登録有形文化財に指定されている。それはそれで随分と古い建物なんだからさっ、てなわけだ。戦火も逃れ運の良い天守なのかもしれない。バンドで何もしてないし才能もないけど一応オリジナルメンバーだからしょうがねえかという人みたいな感じである。

昭和初期、天守再建の話が出て、市民からの募金を募ったところ半年で簡単にお金が集まったとされる。それくらい当時の大阪市民も街にシンボルが欲しかったのかもしれない。しかし面白いのが約300年間大阪の街も徳川政権だったにも関わらず、なんなら豊臣の歴史を完全に葬ってこの300年間、いや明治と大正を入れたら約400年間そういう歴史でやってきたのに、いつからかまた豊臣秀吉の大阪城というグルーヴにすり替わって行ったんだろうか?ちなみに秀吉は名古屋の出身だったりもするのにだ。ただそれでも歴史の事実として秀吉が最初に築いたということは明確なわけだが。しかしせめてその天守よ天守!こういう復興は本当にやめていただきたい。「3号線」という私の曲のMVにも大阪城の写真が出るが、保育園の年長で初めて来城した時、エレベーターが付いてる天守に本当にがっかりした。すでに高層ビルが立ち並んでて大して眺めも良くないし、そもそもがどっちの歴史かわからない天守のデザインが意味がわからん。親父も言っていた。「こういうのが一番がっかりだ」。しかも資料館では豊臣の時代の天守はこっちじゃなくこれですみたいな紹介をしている、じゃあこの天守は何なんだ?とガキの私でも思った。

ちなみに秀頼の時代の天守は1665年に落雷で焼失している。だがこの天守はデータがちゃんと残っている。焼失してから幕末まで天守のない大阪城だったこともわかっている。ということは大阪市民にとっても天守なんてそもそも馴染みのない建物だったわけだ。それでいてのコンクリートの再建。アホか。せめて今ある徳川の天守台に当時の秀忠の天守を復元してほしいわ。今の天守はサイズが合ってないのよ。秀吉の天守はもっとスマート。今の天守は土台が太いだけに見た目がデブ。何のための何の意味のシンボルタワーなのかわからないと外人の観光客に言われてもしょうがないぜ。アメリカ文学の助教授だった親父はこういう観光地で良く外人に話しかけらて英語で全部説明してあげたりしていた。そこでいつも「何でこういうのを建ててしまうんだ?」という質問に対していつも「歴史を理解していないのにこれを建てた当時の権力者のせいじゃないかな?」というジョークを必ず言って笑いをとっていた。


私も何度も何度も大阪城に来ている。ツアー中やキャンペーンで来た時に外堀をジョギングしたことも何度もある。南外堀の角ばって折れる高石垣など本当に素晴らしい。だが歴史の伝え方は本当に間違っている。大阪市民がこの歴史を事実を知らないこともまずい。大阪に限らず、人気ある武将がちょっとこの地を治めていたというだけでこの街全体がその武将の街みたいになる傾向にある。本当に治めていた、ここを築城した、そして改修もした、城下町を作り水を引いた、そういうことをちゃんとやった武将の名前が伏せられていることが良くあるのだ。老朽化して来たなら今の天守などいらん。もう一度天守台を見せてほしい。天守がなくても大阪城は縄張りが凄いのだ。大手門の前にある千貫櫓だって秀忠の築城から残っていることがわかっている。大阪城で一番古い建造物だ、千貫櫓をもっとアピールすればいいではないか。その当時からここに立っているのだぞ。もう一度、東京オリンピックが開催される前に、この国の歴史をちゃんと書き直す必要がある。こんなに深い歴史が残っている国なのに、残念だ。何より秀吉さんと家康さんが嘆いていると思う。

余談だが大阪夏の陣の時に伊達政宗公は家康に呼び出しをくらい、家康の陣地に出向いた。外堀を埋めてもまだ降伏しない豊臣の軍勢に対して、家康は海外から取り寄せた大砲を政宗に見せ、その大砲がどれだけ凄いかのウンチクを説明した。そしてその大砲を大阪城に向けていきなりぶっ放したそうな。家康は最後まで政宗公を警戒していたのだ。自分が天下を取っても自分が死んだらこいつは頭も切れるしいつ歯向かって来るかわからない、だからいつも近くに政宗を置いて、そして自分がどれだけの権力を持っているのかをアピールしていたのだ。家康は晩年に政宗にこう告げた。「自分が生きて来た中で本当に尊敬する人物が4人いる。一人目は武田信玄公、二人目は織田信長公、三人目は豊臣秀吉太閤殿下、もう一人は誰かわかるか?そちじゃ」これは相当警戒していたとわかる発言とも言える。家康は孫の家光、後の三代目将軍の面倒を政宗に見させ、徳川と伊達の結婚も成立させ、とにかく政宗に謀反を起こさせないように距離を近くに保っていた。豊臣のこれほどの城をぶっ壊そうが、また立て直そうが惜しくないということをちくいち政宗に見せていたのである。そして秀吉に良いように丸め込まれていた政宗をこの大阪で見事にねぎらったのである。まさに現在のトランプ氏と安倍さんのゴルフ会と同じだ。


まとめると、現在の大阪城は豊臣秀吉の城ではなく、二代目将軍徳川秀忠の大阪城であるということ。豊臣の大阪城は現在の大阪城の下に埋められているということ(街のいろんな場所で豊臣時代の石垣が発掘されている)。今の天守は徳川秀忠が建てた天守台に豊臣秀吉の天守を少しだけモチーフにしてまったくよくわからないデザインで復興したうんこ天守だということ。私の亡き父親はアメリカ文学の助教授で英語がペロペロ、いやペラペラで外国人観光客によく正しいナビゲートをしてあげていたということ。その息子の私は天才シンガーだが今の音楽シーンに登場されたらフェイクがまかり通れなくなるのでマジで困ると思われて、豊臣大阪城と同じく地下に埋めらたまま活動しているということ。そんな卓偉のファンは、これだけ才能あるすげえシンガーなんだから我々が布教活動を頑張って地下から掘り起こしてやんなきゃとは一切思わないということ。だ。

あぁ 大阪城 また訪れたい…。

P.S ただいま全国ツアー中の中島卓偉は今週末 11月18日 KYOTO MUSE 11月19日 大阪Music Club JANUSで関西2デイズが決まっています。両日とも当日券あり!学生さんは学生証提示で千円キャッシュバック。老若男女大歓迎!特に野郎は大歓迎!超ROCKだ!超PUNKだ!超SOULだ!是非ともお会いしましょう!

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