【インタビュー】J、死生観/ヴィジュアル系を語る「終わりと始まりを感じながら進んできた」

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LUNA SEAのJが2017年、ソロデビュー20周年を迎えた。BARKSは激動の20年間を振り返り、Jのヒストリー決定版を作るべくインタビュー連載を実施中だ。彼が何を思い、何を目指して、ここまで歩んできたのか。6人の著名ライターがJに斬り込む大型特集の第4弾は、ここ数年LUNA SEAのオフィシャルライターを務めるなど、親交の深い大前多恵氏がJを深く掘り下げた。

◆J 画像

タフで揺るがない軸を持ち、ブレない熱い男。Jのパブリックイメージを言い表すとすれば、そんなフレーズになるだろうか。それは上辺だけではなくもちろん本質でもあるのだが、あっけらかんと明るい男ではきっとなく、内に秘めた繊細さ、悲しみや痛みに対するデリカシーこそが、その強さに説得力を与えているのではないか?と常々感じてきた。そしてその奥行きは当然、ひとりで形成しうるものではなく、幾多の人々との関わりの中で長い時間を経て織り成されてきたはずである。

ソロ20周年を機に訊いてみたいことは、ふたつあった。まずは、現在のJを決定づけた出会いとは? そして、避けがたい別れとはどう折り合いをつけて来たのか?ということ。特に、死生観についてこの機会に真正面から尋ねてみたかった。もうひとつは、ヴィジュアル系というワードとの距離感。そう呼ばれることを嫌悪していたであろう時代から、数世代下のフォロワーたちが活動する現在に至るまで、どんな想いの変化があったのか? Jはいずれのテーマについても、しばしば考えに沈み、最もふさわしい言葉を選んで正確に、真摯に想いを伝えようとしてくれた。

   ◆   ◆   ◆

■崖っぷちに立った時
■どういう想いでいられるか

──ソロ20周年に際して、お訊きしたいテーマがふたつあります。まずは、今のJさんを決定づけた出会いと別れについて。年齢とキャリアを重ねて来られる中で、死生観の変化もあったのではないか?と想像し、その点についてもお尋ねしたいです。もうひとつは、ヴィジュアル系という言葉との距離感についてです。

J:はい。

──ではまず、ひとつ目のテーマから伺います。LUNA SEAのメンバーとの出会いはもちろん大きいと思いますが、活動して来られる中で、今のJさんを形作った大きな存在というと、どなたになるんでしょうか? もちろん一人には絞れないとは思うのですが……。

J:バンドを始める前から考えてみても、いろんな人に出会わせてもらってるし、いろんな人からの影響をすごく受けていると思うんですよ。「俺はこの道で行くぞ!」と思い立って、楽器を持ってバンドを始めて。当然、自分自身の想いで突っ走ってきた部分はあるんですけど、だからこそ、その“戦場”で出会う仲間たち、先輩や後輩、同じように夢や想いを持ちながら突き進んでいる人たちに出会えたことは、ものすごい力にはなってますよね。地元では、自分の想いを理解してくれる人なんて本当に少なくて、いないに等しかったのに。やっぱりそういう場所に出て行くと、同じような想いを持っているバンドや仲間たちがたくさんいたし。そこで自分自身もいろんな刺激を受けてきた、とは思います。

──出会ったことで特にJさんが「変わったな」と思うような存在、と言いますと……?

J:俺はすごく恵まれていて、自分の想いをより強くしてくれる人たちばかりだったな、と思うんですよ。「俺はこうなんだ!」という強い想いの反対側には当然、不安も存在はしているわけじゃない? 自分自身の音楽が果たして通用するのか、バンドとしてどこまで行けるのか……でも、「いや、それを信じていくべきなんだ」と思わせてくれた仲間ばかりだったから。だから、自分を変えたのはすべての人たちかな?と思いますよ。ただ、ターニングポイントとなる出会いは、過去に何度かあって。まずは、高校の時の担任の先生。まだバンドを始める前ですね。

──何年生の時ですか?

J:3年の時かな? バンドをやろうと思ってはいたけど、高校を卒業して、何も肩書がなくなった上でやるのもリスクがあるじゃないですか? 子どもながらにそれは感じていて。だから、大学に行って4年間という、今思えば“執行猶予”を得て、その間に自分の夢をなんとか形にしたいな、と思っていたんです。素行は悪かったんですけど、俺は英語が好きだったというのもあって、授業が終わってから英語を教わってたんですね。その担任の先生は英語の先生で、進学のために俺にそういう時間をつくってくれて、何回か教えてもらっていたんです。ある日、「あなた一体、将来何がしたいの?」と訊かれたんですよ。まあ、世間話の延長ですよね。その先生は元々理解があって、すごく生徒側に立ってくれて、逆に“先生の敵”になっちゃうようなタイプの先生で。だからこそ俺も本音で話せたのかな?と思うんですけど、「実は俺、バンドやりたいんだ。音楽やっていきたいんだけど、今のままだと何もなくなってしまうから、大学へ行って、その期間になんとか自分の思ってることを形にしたいんだ」と正直に話したら、その瞬間、顔つきが変わり「私はもう、教えない」と。「あなたが行きたい道に行かなくてどうするんんだ?」って。

──すごいですね。多くの大人は「成功するかどうか分からないんだから、とりあえず大学には行っておきなさい」と説得してかかる気がします。

J:うん。本当にその先生の言葉で目が覚めた、というか。そんな保険をかけているような考え方で通用する世界じゃないよねって。自分が崖っぷちに立った時、果たしてどういう想いでいられるか? どういう感情で突き進んでいけるか? そういう気持ちで行かないと、成功なんか絶対しない。自分が思い描いた場所になんて絶対に辿り着けないんだろうなって。うっすら感付いてはいたんですけど、目が覚めた一言でしたね。

──先生はJさんのことを信じてくださっていたんでしょうね。

J:そうですかね? 先生の言葉がなければ、甘い部分、甘える場所が存在していたわけだから……あそこでギアが一段上がった、というのはありますね。

──その素敵な先生とは今もご親交はあるんですか?

J:うん、卒業してからはライヴに来てくれたりもして。当時、僕がそういうふうに言ってるのをインタビューで読んだ生徒さんたちが、「先生のこと、こんなふうに言ってるよ」と伝えてくれたのかもしれないですね。今どこで、どういう形で教えてらっしゃるかは分からないんですけど。

──すごく大きな出会いだったんですね。

J:そうですね、そこからはもう振り切って、“すべてが自分の責任だ”と。何かのせいじゃなくて、自分のせい。だから、1秒、1分、1時間、1日、1年、そういった中でどれだけ自分を燃やし続けられるか?というところに、ギアがガン!と入った感じがしますね。

■「俺はこれだ」というものに
■自分で気づいて作り出していくしかない

──そして、退路を断って音楽の道に進んだJさんですが、ロック・ミュージシャンとしてのスタンスを確立する上で、力になるアドバイスをくれた存在と言いますと……?

J:昔からバンドに携わってくれていたスタッフの方ですね。ライヴハウスに出始めた頃、俺自身、ちょっと悩んでいる時期があって。自分のスタイルをまだ模索中だった時なのかな? それで、酒を飲んだ席でポロッと「いやあ、ちょっと自信ないんすよね~」とこぼしたら、その人に言われた言葉でまた目が覚めたんです。「自信ないんだったら、付けりゃいいじゃん?」って。ものすごくシンプルですよね。「そのために何か自分でしてるの?」って。

──悩んでる場合じゃないよ、行動すればいいでしょ?と。

J:うん。その時代、ものすごいバンドたち、ものすごいミュージシャンたちが全国各地から集まって、東京のライヴハウスシーンを盛り上げていたわけですよ。だから、その時に目の当たりにした、自分が向かわなきゃいけない場所というのは、ものすごいものだった。いちベーシストとして、いちミュージシャンとしてどうあるべきか?となった時、その一言は効きましたよね。「自信付けりゃいいじゃん?」「あ、そうだよね」って。

──「どうやって付ければいいの?」とはなりませんでしたか?

J:それすら、結局甘えになりますよね。「どうやって?」って、「そんなの自分で考えろ」って話ですから。「俺はこれだ」というものを掴むというのは、何がそうさせるかも分からないし、そんな中、自分で気づいて作り出していくしかないし。

──そのスタッフさんは、マネージメントをされていた方とはまた違うのですか?

J:うん、そうではなくて。LUNA SEAが始まった頃からすごくよく面倒を見てくれて、気に掛けてくれていたスタッフ。エクスタシーレコードやhide兄にも、そこから繋がっていった部分があったりして。その人の言葉も、俺にとっては目から鱗でしたね。

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