【インタビュー】トミー・ゲレロ、20周年マスタリング盤が新アートワーク仕様で限定LP再発「このアルバムは、等身大の俺を表現した作品だよ」

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1980年代後半、西海岸を中心に巻き起こったスケートボードのムーヴメントは、あらゆるユースカルチャーに計り知れない影響を与えたが、その仕掛人とも言うべきトミー・ゲレロが97年に発表した『LOOSE GROOVES & BASTARD BLUES』がリイシューされる。

◆トミー・ゲレロ 関連画像

シンプルな打ち込みのビートに、彼が弾くギターやベースなどを乗せたインストゥルメンタルで、一言で言うなら”ヒップホップ・ブルーズ”再発盤のジャケはスケート雑誌「Thrasher」のカメラマン、フォトエディタ=ブライス・カナイツ氏が撮影したものでトミー・ゲレロが13歳頃の写真となる。

■実際に手で触れることができて
■意義のある作品を残したかった

──なぜこのタイミングで『LOOSE GROOVES & BASTARD BLUES』をリイシューしようと思ったのでしょうか?アルバムの内容は同じですか?

トミー・ゲレロ(以下、トミー) 俺のファースト・アルバムの20周年記念だから、リイシューしたかったんだ。もともと97年にリリースされたアルバムなんだよ。楽曲はすべて同じだけど、リマスタリングしたんだ。「In My Head」のボサノヴァ・バージョンをプロモーション用に新たにレコーディングしたんだけど、この曲は無料配布されるよ。

──また、なぜアナログ盤をリリースしようと思いましたか?

トミー 97年にこのアルバムがリリースされてから、このアルバムのアナログ盤は出回ってなかったから、レコードも再発したいと思ったんだ。あと、実際に手で触れることができて意義のある作品を残したかったから、レコードを作ることにした。ヴァイナルっていうのはとてもマジカルだと思うんだ。

──このアルバムは4トラックでレコーディングしたのでしょうか? それ以前から4トラックでレコーディングを行っていたんですか?

トミー いや、このアルバムの大半はADATというデジタルVHSテープのフォーマットでレコーディングしたんだ。でも「So Blue it's Black」という曲は4トラックでレコーディングした。もともと19歳の時に初めて買った4トラックのPortastudioでレコーディングし始めたんだ。

──4トラックのレコーディングで気に入ってるところは?

トミー シンプルなところ。とてもわかりやすい機材なんだ。あと、4トラックという制約を気に入ってるんだ。もちろんトラックをバウンスすればトラックの数は増やせるけど、制約があった方が、インスピレーションを受けられるんだ。

──当時に比べると、レコーディングの方法は変わりましたか?

トミー それはイエスとノーだね。当時に比べるともう少し機材の知識が増えたけど、今でも4トラックでレコーディングすることが好きなんだ。とても即時性のあるレコーディング・スタイルだからね。ちゃんとしたレコーディング・スタジオに比べると準備があまり必要ない。それに4トラックのラフで、ファジーで、ひずんだ音質をとても気に入ってる。でも作品の方向性、気分、時間制限によってレコーディング方法を使い分けるようにしてる。

あと、4トラックのカセット・レコーダーはデリケートで不安定なところがある。30年前の機材だから、常にメンテが必要なんだよ。だから今はPro Toolsを使うことが多い。いいオーディオ・インターフェースとマイクプリを持ってる。今の時代は、良い音質のアルバムをレコーディングするためにそんなに高い機材は必要ないんだ。

──『LOOSE GROOVES & BASTARD BLUES』の音楽は、もともとあなたのスケート・ビデオで使われたのでしょうか?

トミー そうなんだ。俺は以前Fortiesという服のブランドを、Deluxeというスケート会社の傘下で運営してデザインもやってたんだけど、そのブランドのために「Amigos」というスケート・ビデオを作ったんだ。もともとそのビデオのために、このアルバムに入ってる曲をレコーディングしたんだ。多分そのビデオは、Youtubeに上がってるはずだよ。

──この音楽をなぜスケート・ビデオで使おうと思ったのでしょうか?

トミー もともとこの音楽は、そのスケート・ビデオだけのために作ったものなんだ。実は、作品としてリリースしようとも思ってなかったんだよ。誰も興味を持つと思ってなかったんだ。『LOOSE GROOVES & BASTARD BLUES』は「Amigos」のビデオが発表されてからリリースしたんだ。「Amigos」のビデオに入ってた曲は全て『LOOSE GROOVES & BASTARD BLUES』に入ってるわけじゃないんだ。その方が良かったけどね。

──97年のリリースと、2017年のリリースのジャケの写真について教えてください。

トミー 97年のリリースの表紙に写っている子供は俺じゃない。グレッグ・ハントというカメラマンが旅中にたまたま出会って撮った少年の写真なんだ。その時にグレッグは自分のギターを少年にもたせて写真を撮ったらしいんだ。再発盤のジャケは、ブライス・カナイツというカメラマンが撮影したんだ。彼はスケート雑誌「Thrasher」のカメラマン/フォトエディターだったんだ。確か1980年くらいの写真なんだけど、俺は13〜14歳くらいだった。これはサンフランシスコのオーシャン・ビーチというところで撮影したんだけど、色々な思い出が詰まった写真なんだよ。サンフランシスコ市内では、フルパイプのあるスケートパークは珍しくて、俺らが唯一スケートしたフルパイプだった。でもこのパークは長続きしなくて、あまりスケートした人はいなかった。俺らはラッキーだったんだよ。

──なぜこのスケート写真を再発盤のジャケとして使ったのでしょうか?

トミー オリジナルのリリースと、再発盤の違いをはっきりさせたかったのと、俺の過去の写真を使いたかったんだ。このスケート・スポットがレアだったから、この写真がお気に入りだったんだ。

◆インタビュー(2)
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