【音楽ギョーカイ片隅コラム】Vo.101「美輪明宏版『愛の讃歌』を観る」

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つい先日、新国立劇場で開催されていた舞台『2018美輪明宏版 愛の讃歌〜エディット・ピアフ物語〜』(作・演出・美術・衣裳・主演/美輪明宏)を鑑賞してまいりました。無償の愛の歌の最高傑作『愛の讃歌』を創り歌った世界的シャンソン歌手エディット・ピアフのドラマティックな生涯を美輪明宏でしか表現できない無償の愛と歌とでドラマティックに描かれた作品です。


4年ぶりの上演となった今回の配役は前回から大きく変わることなく、美輪さんの妹役として出演したYOUさん独特のユーモアさがコミカルな一面へと展開される場面などが際立ち、彼女の持つ空気がそのまま芝居に溶け込んでいましたし、相手役の木村彰吾さんは彼が新人だった頃から見続けているために、回を重ねる毎に実に良い演技を魅せることに目と心が向いてしまいます。そして御大、美輪明宏さんを観て思うことはただひとつ。観ている者に与える瞬間的な興奮の沸点が何年経っても変わらないことに今回もまた驚かされ、その化け物的な凄味からは特別な人間であると再認識しました。

美輪さんの舞台へ足を運ぶたび、その圧倒的なパワーと演出に触れて思うのは「そういえば美輪さん、おいくつだったかしら…?」でして、すぐに調べて実年齢数を確認します。そして、その御歳で観る者を感動させるエネルギーを未だ持ち、かつ、放出し続けていることの偉大さに溜息を漏らすというのが恒例の儀式となって早20数年。今年は82という数字が目に映りました。果たして、本当なのでしょうか。

初めて美輪さんを観たのは、上京した年の1995年。渋谷の公園通り沿いにあったアングラ小劇場「渋谷ジァン・ジァン」での公演でした。当時美輪さんはひと月、或いは、ふた月に一度程度、そのステージに出演されていて、美輪さんの公演がある日にはジァン・ジァンから坂下まで伸びた開演を待つ人々の長蛇の列がなされることは大変有名でした。まだ十代だった筆者は学校をサボってその列の中に身を置いていましたが、美輪さんの親衛隊的なマダム達の勢いと座席取りスキルに阻まれ、どれほど並んでも最前列の座席には一度も座れず、決まって階段の最前列に座って聴いたものでした。
なぜその公演を楽しみにしていたかと言いますと、文字通り、美輪さんを目の前で、マイクなしの生歌を聴くことができるほど狭い小屋であったことに加え、入場料の安さでした。確か価格は3千円程で、美輪さんの通常のホール・コンサートの半額以下でしたから、貧乏学生の筆者にとってジァン・ジァンとは、憧れの美輪さんを間近に、しかも超リーズナブルに観られる夢の箱でした。

90年代半ばでも、ロック・バンドのライブは5千円以上が主流で、3千円台で観られたのは美輪さんとthee michelle gun elephantだけだったように記憶しています。多感な10代は、そうしたアーティストの心意気にさらに惚れて、恋い焦がれたわけです。当時は興味の赴くまま、心動かされるままに見聞きしていましたが、今思えば最高の経験でしたね。

あれから20年以上が経過し、ジァン・ジァンをはじめ、美輪さんの舞台や音楽会を観てきた各劇場(初めて黒蜥蜴を観た青山劇場、他の演目をほぼ観たルテアトル銀座やパルコ劇場)が次々に姿を消してさみしい限りですが、場を変えて、または全国の劇場で、今もなお美輪さんの舞台を観ることができることは奇跡的だと常々感じています。尚、『愛の讃歌』はこれから地方公演が始まるようです。2014年の紅白で歌われたことで記憶に残っている方も多いことでしょうが、いつしかの筆者にとってはピアフの歌と人生に興味を持つきっかけとなった舞台でした。

まだ真の美輪ワールドに触れたことのない方は、一度体験してみてはいかがでしょうか。人生に激震をもたらす恐れもありますが、百聞は一見にしかず。日本の誇る数少ない生けるアートは、肌で感じるに限ります。


文=早乙女‘dorami’ゆうこ

◆早乙女“ドラミ”ゆうこの【音楽ギョーカイ片隅コラム】
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