【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第70回「多気城(栃木県)卓偉が行ったことある回数 2回」

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まず初めに、悔しい、自分にとってとてつもなく悔しい城である。その全貌を、その素晴らしさを把握することが出来ない城、いや、把握させてくれない城なのである。来城二度目でも把握させてもらえなかった。部屋まで行けるのにヤらせてくれない女、に近い。冒頭から下ネタ、か!

そもそもがはっきりとした歴史が残っておらず、掲示板もなく、曲輪の説明もない。謎が多い。城としての整備も行き届いていない。よってこの城を語る人がいない。もちろん城マニアからの評価は高い。二度目の来城はtvk ミュートマ2の城ロケであったので、私の気合いたるもの半端なかった。前日は興奮のあまり眠れず、鼻息で家中の埃が舞い、マニアの証言をネットで検索。予習、復習したつもりでいたのだがやはり全部を見切れなかった。きっとこの城にテレビ撮影が入ったのは初だと思うし、この城の素晴らしさを恐縮だが私が伝えなければいけなかった。そんな使命すらあったのに。だが、しこりが残りまくり。これは三度目の正直がないと心が落ち着かない。いいとこまで行ったのにやっぱりヤらせてくれない女、だった。やっぱり下ネタ、か!


築城はすでに謎で、1400年代とも1500年代とも言われているが戦国時代末期に宇都宮氏が北条氏からの攻めを恐れ、宇都宮城からこの多気山に移って築城させたのがこの城を今の形にした原型と言えるだろう。宇都宮城は平城であったので防御が甘く、攻め落とされてはかなわない。すぐ裏の一番眺めの良い377メートルの山に築城するには立地も良かっただろうし、北条氏が攻めて来たことをすぐに察知出来る。元々宇都宮氏よりも先にここに城を築いた跡があったともされるので築城の条件は良かったとも言える。最もこの城には約20年しか住まなかった宇都宮氏。北条氏が豊臣政権に滅ぼされ、この城でこの地を守る理由が変わったのである。北条が攻めて来ねえんだったらこんな高い山に住むのやめようぜ、やっぱり平城の方が何するにでも楽だから前の城に戻ろうぜ、そんなノリである。意外と愛着湧かなかったのね。たったの20年で廃城、廃墟と化した多気城なのであった。その後宇都宮氏も関ヶ原の戦いで東軍に付かなかったため色々あって滅亡。(随分と端折る)宇都宮という名前が地名として残るだけとなってしまった。隆もびっくりだ。え?そっち?


現在は城全域がハイキングコースとなっていて、ハイキングする上での掲示板は存在するのだが、城としての説明書きがほぼない。多気不動尊に来る人達で賑わっているがこれも当時はなかったので多気不動尊付近の石垣は後付けであり多気城の石垣ではない。あしからず。この城を把握出来ない理由の一つとして大手がどこかわからないというのがある。そしていくつもの登り口があることに惑わされる。これはハイキングコースとしての道も後付けされているのでよっぽどわからない。不動尊の手前に駐車場がいくつかあり、お茶屋も並んでいてこの辺りまで車で来ることをお勧めはするが、どの道を通って登るかはあなた次第である。私は初回は不動尊の方から登った。二度目はどうしようか悩んだあげく、近くを歩いていた若めの住職に声をかけ本丸までの登り方を聞いたが、この住職も城にはさっぱりなようで、第一声が「へ?城?」だった。でもやはりこの不動尊側から登ることを勧められた。眉毛が細い住職であった。きっと休みの日はそのスキンヘッドにBボーイ系のファッションに身を包みヒップホップを聴いてると思う。おそらく名前は隆かもしれない。宇都宮だけにGET WILDだ。え?そっちヒップホップじゃなくね?


そこから登ると本丸へは30分ほどで到着出来る。でも本来はそう簡単に本丸まで行けるわけはないのでやはりこの道は大手では絶対にない。むしろこの急斜を考えると搦手だと言えるだろう。自分のイマジンでしかない城なのだが、中世の城としては最高のレベルだと断言したい。まず曲輪の数、そして土塁の高さ。本丸からの眺め。竪堀、横堀、堀切、犬走り、食い違い虎口、などなど魅力はいっぱいだ。初回は真夏、今回は春に来城したが草がぼうぼう過ぎて把握は困難だった。やっぱり次回は冬に来よう。冬じゃなきゃ木が枯れないし土塁や空堀がよく見渡せない。ヤらせてくれない女も冬に出向けば餃子の皮で包み込んでくれるかもしれない。GET WILD!

誰でも把握出来る箇所をお伝えすると、まずは本丸の食い違い虎口だろう。敵の来る方向を単なる虎口でなく、一瞬にして混乱に追い込む仕組みである。虎口とはL字に曲がった入り口であるが、主に食い違い虎口はへの字に曲がった入り口を指す。その周りにも小規模であるが空堀が存在する。土塁が切られてる場所はほぼ門の跡だと思って良い。卓偉の曲で、なんか卓偉の意見がねじ伏せられて大人の意見で作られてる気がすんだよなあって曲は大概政治で作られた曲だと思って良い。


次は犬走り。このコラムでも説明して来たがこういった大きな曲輪の下に通路のように平地が設けらている。城の建築の時代から用いられる用語であり、現在でも家の建築に使われる用語、犬走りである。戦国当時は武者走りとも言った。逃げ道にも出来るし、敵の裏を打つ為に先回りして準備することが出来る道とも言えるだろう。そんな犬走りが本丸の周りに設けらているのである。だがこれも草が生い茂っていてマニアじゃないと見分けられない。これ残念。幅も2メートル近くあり、当時は物資を運ぶ為にも使われただろうし、位の高い人を運ぶ為に籠でも通れるほどの幅である。本丸に限らず両サイドに広がった曲輪の下を犬走りが縁取っている。これに注目だ。堀切の下など、土橋の横からよく覗いてみるとどこまでも犬走りが続いている。ロケで来た我々一行は(卓偉、天才ディレクター菊谷さん、マネージャーの顔が長い砂田の3人)この犬走りを発見した瞬間テンションが上がり、どこまでも藪をかき分けこの犬走りを行進した。いや、砂田だけはなんでこんな道進むんだよと思っていた。


ここをしっかり整備したらよっぽど観光客は増えると思うのだが。そもそも城の平地側より山側の方が防御が硬いので大手は山側だったのかもしれない。もしくは平地側から登っても正面から見て左に道を曲げて登らし、本丸の裏へ来る道順にしていた、きっとこれが正しいと私は推測する。朝から始まったロケはテンションが半端なく、いや、砂田だけは面倒くせえなあと思っていた。不動尊側から登り本丸周辺を歩き回り、そのまま一度眠った曲輪や竪堀を探す為に下山。愛宕神社周辺まで下り、そこからまた新たな登り口を発見してはどこまでも藪の中をヤブレンジャーと化して突き進むということを何度も強行。途中私のセンサーが反応し、藪を抜けると真っ平らな曲輪がいくつも顔を出してくれた。しかもその下にある曲輪とを遮る仕切り土塁も発見。曲輪と曲輪を行き来していた虎口も発見。だがそれらも掲示板を頼りに進んでるわけではないので今どこを歩いているのかが全くわからない状態での見学、いやむしろ探検であった。本丸周辺は木を切ってくれているのでいくらか見やすいが、山の中腹にある曲輪達はひっそりとどれも隠れてしまっている。現在の音楽シーンの中島卓偉のように。ヤブレンジャーをやってて思ったのだが道幅が2メートルあったその犬走りも何故か途中で道がなくなってしまう。もしかすると草が生えすぎて我々が道を把握出来なくなってしまってるだけかもしれない。だが今回という今回はそれに屈することはプライドが許さなかったのだ。私が先頭を切り、蜘蛛の巣を吉川晃司よろしくシンバルキックで遮り、枝を払い、これなんかハッパに似てんなという草を踏み倒し、なんなら茎に棘が出まくってる雑草などを痛みに耐えながらなぎ倒して進んだ。それでもやはりこれ以上進んだら危険という菊谷さんの判断もあり後退しなければならないことも多々あった。問題はこういう場合の戻りである。さっき私がなぎ倒した雑草達が当然戻りは私たちの方を向いて倒れているのだ、行きよりもきついのがこの戻りであった。おかげで棘が刺さりまくり、このロケで一番聞いた3人の声は「痛ええええ!」である。これもある意味GET WILD!良い子のみんなはやめよう。


道が険しくなる前などにトレッキング中のおじさんと挨拶を交わしたが、おじさんは言っていた。「これ以上進むと危険かなと思って戻って来ちゃったよ、ハハハ~」でも我々はその危険の更に先を、限界の更に先を目指して、結局棘にやられて痛い目にあってしまった。これを書いている今も両手の平に棘が刺さったままで、しかも奥に入り込んでしまっている為ピンセットでも抜くことが出来ない。完全に宇都宮氏に笑われている。だがこのロケはとにかく誰も訪れない、足を踏み入れない場所に到達することが目標だったので、宇都宮氏は喜んでくれたと思う。いやもしかすると、「あれ?そこ通り過ぎちゃうの?すぐそこに最高な空堀と曲輪が存在するのに?」と何度も思われていたかもしれない。私としては城の中腹よりも下らへんにあるという城全域の2キロに渡って築かれた空堀を完全に探すことが出来なかった。これが相当な後悔である。地図上ではあっても道が無さすぎて、そして樹海と同じくらい自分の居場所がわからなくなるラビリンスな感覚に飲み込まれ時間がなくなってしまった。当然現在は埋もれてしまっているらしいが深いところで6メールくらいの空堀が存在するという。実に情けない。しかしこれほどの空堀を巡らすほど宇都宮氏は北条氏の攻めを恐れていたということか。だとしても決して滅ぼされてはならないという戦国ならではの信念が感じられる。素晴らしい。更に探せなかった場所の一つとしてほぼ城外と言える場所に割田の空堀というのが存在する。宇都宮氏はこの多気山に移ってきた時に、城下町まで全部引越しをさせたらしく、城の麓の町を囲むように更なる堀を巡らせていたのかもしれない。発掘調査でこの堀が見つかったらしいが今は破滅してしまっているらしい。せっかく掘り起こしたのに残念極まりない。

どうかどうか宇都宮のお役所のお偉いさん方、是非この城の整備にお金をかけていただきたい。曲輪の名前もなくていい、数字で呼ぶで構わない。木を切るだけで全然変わります。城の規模がでかいだけによっぽど把握が難しい。だがこれを伝えるべきと私は思う。もともと宇都宮の餃子も、餃子発祥の地では全然なく、あれ?俺たちどうやら日本全国で餃子食ってる消費量が一番らしいぜ?じゃあ餃子の街にしちまうか?そうすっか!そうしよう!で始まった宇都宮の餃子。しかしここ最近浜松の餃子に負けまくっている。もうね、そういうところで戦わず多気城を整備して日本一になろ。中世の城として凄いんですから。それとね、宇都宮城の復元、愛を持ってマニアとして言わせてもらいますがあれちょっとおかしいですから。あんな高い土塁の上にちょっと石垣組んで櫓なんて立たないですって。土塁の中に受付の窓口あるし。

ロケ終了後レンタカーを返し、駅前の餃子屋でクダ巻いて帰るかとなった。しかし凄いのが宇都宮。餃子屋とピンサロが並んで営業している。しかも何一つ不自然な空気もなく、だ。強面のお兄さんがそこに立っていると餃子屋を営業してるのかピンサロの客引きなのかわからない。街はエロと食い物と歴史と暴力でしか栄えない。これを垣間見て私は宇都宮のことがよっぽど好きになった。規則正しい街など面白くもなんともないのだ。これもGET WILDポイントである。

去年はありがたいことに二度も宇都宮でライブが出来た。いざステージに上がるとものすごいニンニク臭が漂っているではないか。きっと来てくれた方々が昼に餃子を食べたからである。だがこれが結構強烈で、カモ~ン!とマイクをフロアに突っ込むと更にものすごいオイニーだった。我々スタッフとメンバーは気を使いニンニク無しの餃子を食べて本番に挑んだが、我が卓偉ファンはこの日そういう気遣いはなかった。ライブ終了後店長さんに挨拶すると、「今日は凄いニンニク臭でしたね(笑)」と言われ、なんだかすみません!と頭を下げた。ってな話をブログに書いて、お前らちょっとは気を使わんかい!と伝えたところ、去年二度目の宇都宮ライブはニンニク臭が一切しなかった。マジで全くしなかった。むしろそこには香水の香り、シャンプーを多めに付けて洗った香り、クロレッツを噛んだ口臭、リステリンでしっかりうがいした口臭、しかなかった。ブログの一声でこの状況。自分が金正恩になった気がした。

あぁ 多気城、また訪れたい…。

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