答えは神のみぞ知る? ボブ・ディラン、フジロック出演の顛末

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「ボブ・ディランといえば…何?」というお題を出せば、多くの人が「ノーベル文学賞」と答えるところだろう。一方で「神様」と即答する人も少なくないのではないか。半世紀に渡り「フォークの神様/ロックの神様」と呼ばれているのも、これまた事実。1970年代フォークソングに青春を捧げた世代であれば「学生街の喫茶店/ガロ」を思い出す人もいるかもしれない。歌詞の中でアーティストの実名がはっきりと歌われていたのも、当時としてはエポックなことだった。

いろんな意見があることだろうが、BARKSとしてはただ一点、今は「ボブ・ディランがフジロック」である。

現状、我々がわかっているのは「ボブ・ディランがフジロックにやってくる」という事実だけだが、果たしてどんなライブになるのか、そもそもどうしてフジロックに出演しようと思ったのかも一切わからない。まさに神のような手の届かぬ存在感を放つ“生ける伝説”が苗場のメインステージに降り立つ…それだけが“信じていい唯一の真実”という状況にある。「ノーベル文学賞」受賞後初の来日ではあるけれど、きっとボブ・ディランにとってそんなことは全く関係ないところ。ちょうど初来日40周年にあたるとか、これが101回目の来日公演なんだとか、そういった俗世間の話題もどうでもいいことなんだろう。

フジロックにボブ・ディランがやってくるということは、日本のロックシーンにとってどういう意味を持つのか? ここ日本でのボブ・ディラン作品を一手に担うソニー・ミュージックジャパンインターナショナルのゼネラルマネージャー白木哲也氏をキャッチ、ボブ・ディランへの造詣が最も深い人物のひとりとして、様々な疑問/質問をぶつけてみた。

  ◆  ◆  ◆

■ ボブ・ディランへのお願いは決して叶わないんです(笑)

──ボブ・ディラン相手にいろいろ苦労を重ねてきたことは断片的にお聞きしていますが、要はストイックなアーティストということでしょうか。

白木哲也:よく“ロックの神様”と呼ばれていますよね。人々の人生に影響を与え、例えようのない唯一無二の存在でもあり、一方で我々大衆の常識を超越してる…そういった意味での「神様」イメージは理解できます。でも神様はお願いすれば叶えてくれることがあるかもしれませんが、ボブ・ディランへのお願いは決して叶わないんです(笑)。「何かこうしてほしい」「こうあって欲しい」とか、ファンとしては「仲良くなりたい」「近づきたい」「会ったら何かを話したい」とか思いがちですけど、そういうことを考えちゃいけない方なんだってことが担当になって初めて身に沁みて分かりました…。真の意味での「芸術家」なんですよ。

──日本でのボブ・ディラン作品をリリースしてきた白木さんでさえ、そうなんですか?

白木:例えば、プロモーションのためにインタビューして欲しいとか当然皆さん思うでしょうけど、100%できない。というか、それは最初から考えてはいけないことなんですね。ライブの現場に行けば、普通は担当アーティストと談笑とかあるわけですが、彼とは会う機会も一切ないという(笑)。

──え?

白木:それがルール、しきたりであり、そういう意味でも孤高の存在なんです。ボブ・ディランはボブ・ディランであり、彼にとって周りの人達が良かれと思って考えることなんて特に興味ないし、関係もないんです。

▲白木哲也氏


──逆にオーディエンスって凄いんですね。チケットさえ入手すれば、ボブ・ディランを間近で観ることができるんだから。

白木:全くその通り、凄いことなんです。ボブ・ディランは日本でのライブが大好きなんだと思いますよ。あれだけのアーティストにもかかわらず、日本に定期的に来てくれますし。1978年の初来日まではちょっとかかりましたけど、その後は1986年、1994年、1997年、2001年と続いた。東大寺のライブ(1994年に奈良・東大寺で行われた世界的音楽イベント<AONIYOSHI>)もありました。その後の2010年のZeppツアーでは何かが変わった気がします(2010年3月にZeppツアーを実施。大阪公演4回、名古屋公演2回、東京公演6回)。

──変わった?

白木:昔は「日本のファンって静かだ」とよくいろんなアーティストから言われたものですが、ボブ・ディランも初来日公演の時は静かと思ったらしく「今日の会場の反応はどうだったのか?」と当時のご担当の方に毎日聞いていたそうです。でも、Zeppはライブハウスで最初からスタンディング、何か異様な空気で若い人も多かった。日本人があんなに狂乱して盛り上がってくれた姿を見て楽しかったんじゃないでしょうかね。その後、続けてもう1回Zeppツアー(2014年)をやりましたしね。

──Zeppでは「アリガトウ」と言ったとか。

白木:基本ライブでは喋らないですから、びっくりしましたね。日本のファンの皆さんへの感謝であることは間違いないと思うんですが、へりくだっているわけじゃない。ライブはその日限りのもので、その日その日のライブが違うものになるのは当たり前。コール&レスポンスやお約束のこと、みんな揃って指差し確認みたいなものは全くないし、それを許さない。ボブ・ディランのライブの面白さは「毎回違う」「原曲から崩す」のみならず、「同調させない」ことにもあるんです。そういうのも含めて、Zeppは面白かったんじゃないですかね。

──彼がライブハウス・キャパの小さな会場で演るのはレアですか?

白木:やらないわけではないですけど、あれだけ連続してやるのは超レアでしょうね。だから世界中からファンがやって来ていました。海外のファンは一番レアともいえる小さな会場Zepp Nagoyaを狙って来ていた人も多かったですし。

──元々多くのフェスに出ているボブ・ディランですが、フジロックに出演することはどう捉えていますか?

白木:SMASHさんは多分ずっとリクエスト(出演オファー)されていたでしょうけど、まぁ本当に決まるとは正直びっくりしましたね。何がそうさせたのか…っていうところですよね。

▲ボブ・ディラン(『ライヴ 1966』より)


──“びっくりした”というのは、出るはずがないと思っていたからですか?

白木:ライブハウスで演って、その後スタンダード・ナンバーをホールで演って、その次の会場の選択肢としてフェスを選んだということに驚きました。アーティストって普通はホスピタリティ含めてやり慣れた場所を選ぶことが多いですからね。フジロックって、いわゆるいい意味でフリーな空間ですから、ボブ・ディラン側のルールというか厳しい決まりごとがどうなるのか。楽屋周りとかリハーサルとかどうなるのかとか。まぁ…僕らは近づいたことがないので、裏で実際何が行われているのか分からないんですけどね(笑)。バックステージ・パスなんて出ないですから。

──え? 信じられない。

白木:本当に、僕らも皆さんと同じで、ライブを観て、感じて、想像力を働かせているんですよ。

──「お前がジャパンのシロキか? いつもありがとな」みたいなコミュニケーションもないんですか?

白木:ないです(笑)。お会いできたことは1回だけあります。2001年の日本ツアーに同行した際、ボブ・ディランのツアーマネージャーは「ずっとついてくるコイツは何者なんだろう」って感じだったと思うんです。レコード会社の人間だということは途中でわかったと思うので、なんだかずっとウロウロしてる僕の様子が可哀想に思ったんじゃないですかね(笑)。しばらく経って東京公演の時、「この時間、この場所に立ってろ」って言われたんです。そこはボブ・ディランがステージからバックステージに戻る動線のちょうど中間地点くらいのところ。真っ暗の中で立っていたら、アンコールが終わって暗がりからトコトコ歩いてくる影が見えてきて、そのままスタスタと通り過ぎようとしたところをツアーマネージャーがパッと止めて、「今の日本の担当だよ」って彼が説明してくれて。僕も挨拶しつつも何がなんだかわからないままとりあえず握手だけはした。暗闇だからほとんど見えない中、ものの30秒くらいだったと思いますが、ニッコリと一瞬笑ったかも?っていうことと、ライブをやってきた人とは思えないほど、プニャプニャ・モニョモニョの手だったという記憶くらいです。

──なんか、笑える。

白木:お会いできたのって、僕はその機会だけですからね(笑)。

──白木さんに対し、そんな塩対応だなんて。

白木:その後はもっとルールが厳しくなっていきましたから、今考えるとその30秒は超ラッキーな瞬間だったということですね。遥か昔は海外でも終演後のバックステージでゲストに会ったりしたこともあったそうですが、今は全世界全くなし。初来日の時は銀座で行なわれたソニー・ディナーにも来てくれたそうですよ。でも、もはやそういった次元ではないですし、ライブで全て見せてるからいいでしょ、ってことなんでしょうね。

◆インタビュー(2)へ
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