ACIDMANの6度目の武道館ワンマンに寄せて

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ACIDMANによる全国ツアー<ACIDMAN LIVE TOUR “Λ”>のファイナル公演が7月13日、東京・日本武道館で行なわれた。生きることは美しく、死は必ず訪れ、そして「大事なのは“愛”なんだってこと」と、大木伸夫(Vo&G)が泣きながら説いた本公演で感じたことをここに残したいと思う。

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ACIDMANのライブを観るのが怖かった。

悲しいわけでも辛いわけでもないのに、彼らのライブを観て涙が止まらなくなった経験があるからだ。当時は自分がなぜ泣いているのかがわからなくて、この感覚は“怖いもの”だと思っていた。

これまで死生観を歌ってきたACIDMANの最新作『Λ』は「ある種宗教的なアルバムになった」という。楽曲と楽曲の合間のMCで大木は自身の思想について改めて語る。

「目の前にいる人をひとりでも多く愛そう。あっという間の人生をなるべく楽しく過ごそう」

何事も前向きに考えることができたら、毎日が楽しいだろう。でも忙しく生きる日々のなかで、ついつい忘れがちになっていて、今日も電車で座れなかったとか、欲しいものが売り切れていたとか、小さなことでストレスをためていく。

「音楽は、目に見えないものを表現する可能性がまだまだある」と確信する大木は、自分たちの表現方法について、「難しいテーマを伝えることは難しくて、わかりやすいアプローチをすればもっといろんな人に届くと思うんだけど、このやり方が好きで、このやり方しか知らなくて」と話す。

ライブで受け取ることができるのは、音だけではない。大木、佐藤雅俊(B)、浦山一悟(Dr)の3人の演奏が映像や音響、照明、舞台セット、観客から生み出される空気と混じり合い、会場に充満する。ACIDMANのライブに集まる人々は、この、“音楽から発生した目に見えないもの”に魅了され、惹きつけられ、全国から足を運ぶのだと思う。そして、仕事や毎日の生活に追われてすっかり忘れてしまっていた“愛”について思い出す。

「しんどいときは僕らが支えます。僕らがしんどいときは支えてください」

大木の言葉はいつも優しい。身体に染み込むようにじんわりと響く。本編ラストに披露された「愛を両手に」は、4年前に亡くなった大木の祖母に向けて作られた曲だ。私も去年、最愛の祖母を亡くした。祖母の顔を思い浮かべながら、大木の歌声に耳をかたむけた。


「幸せだったかい? 幸せだったかい? 今でも 星の数ほど 覚えているよ あなたと生きた日々の全て」

「嗚呼 悲しみを洗うために 涙は流れるから 僕らは弱くてもいいんだよ」

武道館の片隅で、身体中の水分が全部出たのではないかと思うほど泣いた。あの日、“怖い”と感じた理由がわかった。ACIDMANのライブを観ると、“目に見えないもの”が、隠していた弱い部分を表面に引っ張り出してくる。その弱い部分と向き合うことが怖かったのだ。

最期の瞬間に、一緒にいることができなかったという負い目のような気持ちもあった。祖母にもう会えないということ、それを事実として受け止めることができないままでいた私は、「弱くてもいい」と言ってくれるACIDMANに救われた。もう怖くなかった。

原稿を書きながら、もう一度泣いた。またACIDMANのライブが観たい。

文◎高橋ひとみ(BARKS)
撮影◎AZUSA TAKADA

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