【連載】Vol.051「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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エリック・クラプトン含む多くのアーティストと共演してきたアルバート・リーがピーター・アッシャーと来日し息の合ったLIVEを披露。そんなアルバートへロング・インタビュー。ECはじめビル・ワイマンからカントリー・ミュージックまで幅広くQuestion!


▲提供:COTTON CLUB  Pic.by Y.Yoneda

我が国ではアルバート・リーの素晴らしいギター・ワークがエリック・クラプトン・フリークを中心にして多くのロック・ファンに注目されている。そして、僕ら1960年代をリアル・タイムで走って来た爺の音楽愛好家にとってはアルバートはソウル&カントリー・ミュージックをしっかり演奏出来るミュージシャンの一人としても印象深いミュージシャンなのだ。

丁度2年前COTTON CLUBでのアルバートのLIVEにスペシャル・ゲストとしてクリス・ファーロウが出演。昔僕がRSFCレコード・コンサートでミック・ジャガーよりもっとソウルフルな人と紹介しながらクリスのストーンズ・カヴァーをよくプレイしていた。そんな事情からクリスにロング・インタビューしを行ったところ、アルバート本人から次回来日の際は僕にもインタビューと懇願された。ということで、約束通り公演最終日前、COTTON CLUBの計らいでMr.ジェントルマン、アルバート・リーにインタビュー。吃驚するような発見もあったりと、特に若いマニアの方には目から鱗、必読なのだ。余談ながらこのコラムを纏める時のBGMは勿論カントリー、何故か猛暑になるとへヴィー・ローテーションになるロレッタ・リン『20 GREATEST HITS』をラウドに楽しみながら…。
ではアルバート・リーさんの登場だ!



Mike:お帰りなさい。前回のLive in Japanが2年前。日本でのライヴはもう何回目になりますか?
Albert:たぶん8回目か10回目くらいでしょうか。エリック・クラプトンと来たのが79年、81年でした。


▲2年前のクリス・ファーロウとのLIVE 提供:COTTON CLUB  Pic.by Y.Yoneda

M:前回はクリス・ファーロウと一緒でした。今回はピーター・アッシャー。ここ最近、ピーターとアメリカやイギリスでライヴを演っていますね?

A:最初は自分のバンドだけ引き連れてのステージでした。そんな時、ゲストを連れてくるアイディアを思いついたんです。前回はクリス・ファーロウでした。彼は1960年代に一緒にやっていた仲間ですから、とても楽しかったです。ピーターとはアメリカ、イギリス中心に活動しています。二人のアルバムだって発表しているんです。アコースティック中心でがっかりする人もいます。エレキを弾いて欲しい、「Country Boy」を歌って欲しい。一方でピーターとゴードンのヒット曲を全面に出して欲しいというファンもいます。でも、時間の都合もあって全部を演るわけにはいかないんです。


▲提供:COTTON CLUB  Pic.by Y.Yoneda

M:貴方は若い頃、ピーターとゴードンを聴いていたと思いますが、当時彼らの音楽をどう感じてました?
A:私はピーターと同い年です。もちろん彼らの音楽は聴いていました。彼らはエヴァリー・ブラザーズの影響を受けています。僕もエヴァリーズの音楽に大きな感動を受けました。
M:そんなピーターの魅力を語ってください。


▲提供:COTTON CLUB  Pic.by Y.Yoneda

A:彼は本当にナイス・ガイですよ。才能に溢れています。プロデュースしたアーティストの多くが成功しているのは偶然ではありません。彼は心から楽しみながらプロデュースして新しい作品を誕生させていくのです。今夜お観せ出来るのは彼の魅力のほんの一部でしかありません。
M:今日はエヴァリー・ブラザーズ57年の素晴らしいナンバー「Bye Bye Love」を演ってくれるんですよね!
A:その通りです。我々はエヴァリー・ブラザーズが大好きです。二人が14歳の時のヒット・チューンです。

M:音楽との出会いをお教えください。お父様がピアノやアコーディオンを演奏したとか。音楽と接するのはそんな環境からですか。最初に練習した楽器はピアノですか。何歳頃のこと?



A:父はアマチュアでしたが、ピアノを弾いていました。8歳か9歳の頃にピアノのレッスンを受けることになったのです。でも2~3年で止めてしまいました。練習をほとんどサボってました、週に1回だけなのに(笑)。当時僕は怠け者だったんです。業を煮やしたピアノ教師は両親にこう告げたのです、「お金の無駄使いは止めましょう。アルバートは殆ど練習に来ません」。

M:ギターを弾くようになったのは何歳くらいの時ですか。どういったことがきっかけ?
A:初めてギターを弾いたのは13歳か14歳の時だと思います。僕らの世代は、子供時代にロニー・ドネガンと出会い、誰もがギターを弾きたいと思ったもんです。僕はギターを借りてきて18か月練習しました。ギターへの熱中ぶりに周囲は吃驚してたみたいです。その後、自分でギターを購入するようになり、現在ではそのギターで生計を立てているのです。

M:スキッフルを楽しむようになり、そしてロックンロールへと移っていったわけですね。
A:ロニー・ドネガンが最初です。それからすぐにエルヴィス・プレスリーややバディ・ホリー、ジェリー・リー・ルイスのレコードも聴くようになったんです。1957~58年、素晴らしいアメリカのロックンロールのレコードが大挙してイギリスに上陸したのです

M:最初はアマチュアだったと思うのですが、初めてバンドで演奏するようになった時の話しをお願いします。
A:小さなスキッフルのグループで演奏してました。音楽好きの仲間が集まってただ練習をするだけです。いろんな曲が演奏できるようになると、段々と高い楽器を手にするようになっていくのです。一人がギターを買い、別の仲間がダブル・ベースを購入。そして近所の二人がドラムを叩くようになるといった具合。僕はエレキ・ギターとアンプを持っていました。2本のギターと1本のベースを同じアンプにつなぐスタイル。1959年~60年頃でした。こうしてスキッフルからロックンロールへの大ムーブメントの中でイギリスでは多くのバンドが誕生していったのです。



M:プロとしてやっていこうと決心したのはいつですか。そのきっかけは。16歳頃とどこかで読んだのですが。
A:1960年にテレビにも出演していた有名な歌手、ディッキー・プライドについてスコットランドに行くチャンスがあったんです。プロといえる最初の仕事です。ロンドンでジュウェリーというバンドで活動している時に素晴らしいギブソンのギターを入手。以来よりよいギターを求めるようになったのです。

M:1960年代前半にジミー・ペイジと交流があったそうですね。
A:60年代前半はいろいろなスポットで演奏していましたが、最終的にツー・アイス・コーヒー・バーでハウス・バンドのような形でステージに立っていました。週3~4回、ナイト・ライヴしてました。ギャラは1曲1ポンド、もしくはコーラ1杯!ジミー・ペイジと出会ったのはその頃でした。彼はお客として僕らの演奏を聴いてくれ、意気投合するようになりお互いの家を行き来するようになったんです。ほぼ同い年。家ではよくいろんなレコードを楽しんだものです。彼はジェームス・ブラウンとスコッティ・ムーアの大ファンだったんです。おそらく1962年のことです。その後、僕らのバンドはドイツのハンブルグに飛んで演奏活動するようになりました。これは素晴らしい経験でした。当時イギリスから多くのバンドが来てました。ハンブルクでは1時間演奏して、1時間オフ。その休み時間は別のクラブでどんなバンドが出演しているかチェックしながら勉強してました。音楽にとって良き時代でした。ドイツとイギリスを何度も行き来してとにかくハードワークでしたね。ドイツでは1日6時間、週に6~7回演奏してました。これは最高の音楽トレーニング。イギリスではこんなに演奏する機会なんてありませんでした。



M:そしてニール・クリスチャン&ザ・クルセーダーズに参加…。
A:ジミー・ペイジの後釜としてグループに参加。このグループで2~3週間ほど活動して、すぐにドイツに戻って別のバンドでライヴ、そんな生活でした。
M:ジョー・ミークの想い出を語ってください。
A:彼のスタジオには2~3度行ったことがあります。そこで僕はバック・コーラスを担当したのです!スクリーミング・ロード・サッチのあの「Jack The Ripper」でコーラスですよ!
M:ワオ!!!これは初耳。
A:♪Ripper Jack The Ripper♪(と歌ってみせる)。62年か63年だったと思います(㊟UKデッカから同曲がシングル・リリースされたのは63年)。とても興味深いジョーのスタジオでしたね。建物の4&5階がスタジオ、床一面がケーブルだらけで、もの凄く散らかってましたね。


▲UKシングル「Jack The Ripper」 from Isao Inubushi's Collection

M:1960年代中期、貴方はクリス・ファーロウのサンダーバーズに加わります。


▲UK/LP『CHRIS FARLOWE & THE THUNDERBIRDS』(1966) from Mike's Collection

A:1964年前半、ドイツから戻って来た時にグループに参加したのです。メンバーの一人で僕の友人がどうしても俳優になりたいとグループを脱退、僕がその後釜としてTBに参加したのです。クリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズは素晴らしいバンドでした。4年間在籍、イギリス各地を公演して回り、ドイツにも2~3回行きました。クリスは多くのヒット曲を発表。ギャランティーに関してはとても公平でした。他のバンドはお金のことでいろいろ揉めてたみたいだったけど、僕らはとても上手くいってました。クリス・ファーロウは素晴らしい人物です。


▲UK/EP『FARLOWE IN THE MIDNIGHT HOUR』(1965)バックカバー from Mike's Collectin

M:ところでその頃ローリング・ストーンズと交流があったと思うのですが…。
A:キース・リチャーズとミック・ジャガーがいくつかのナンバーをプロデュースしました。ストーンズ・カヴァーもレコーディングしました。ストーンズのレコードは好きですが、正直言うと僕はイギリスよりアメリカのバンドの方が好きでした。でもクリスは大好きでした、彼は偉大なるブルース・シンガーです。


▲UK/Single「Think」 from Mike's Collection(前出のEP同様クリスが2年前に来日した時にサインしていただいた)

M:カール・パーマーの想い出も語ってください…。
A:サンダーバーズにまだ16~17歳だったカールも在籍していました。クリスが勧誘したんです。とってもハッピーな良い奴でした。最近はあまり会うことがなくなりましたが…。

M:1970年にヘッズ・ハンズ・アンド・フィートを結成。
A:サンダーバーズの後にカントリー・バンドを結成。とにかくカントリー&ウエスタンを演奏したかったのです。すると米軍基地のクラブのステージに立っていました。アメリカから慰問にやってきた有名カントリー・アーティストのバックも務めました。でも徐々に分って来たんです、イギリスでカントリー・ミュージックは人気が無く基地以外では仕事がない、つまり生計は立てられないんです。その頃、友人が結成したヘッズ・ハンズ・アンド・フィートにすぐ参加しました。このグループが僕を初めてアメリカへ連れて行ってくれたのです。イギリスのグループがカントリーを演奏している、それもなかなか上手い、ということで各方面から注目を集めました。ライヴではジム・リーヴスやジョニー・キャッシュのヒット曲をリクエストされるんですけど、僕らは頑なにそれを拒んでいました。僕たちはフライング・ブリトー・ブラザーズになりたかったんです、そうカントリー・ロックの始まりでした。



M:話しは少し戻りますが、貴方とカントリー・ミュージックとの出会いを教えてください。
A:ロックンロールを必死に聴いていたころ、友人からカントリー・ミュージックのコンピレーション・アルバムを貰ったんです。確かキャピトル所属アーティスト盤。これには感動しました。これぞ僕の求めている音楽だと感じ、それからジョージ・ジョーンズをはじめとして多くのカントリー・アーティストのレコードを買い求めるようになったんです。

M:ヘッズ・ハンズ・アンド・フィート解散後は…。
A:アメリカが大好きになり72年末にHH&Fが解散後も同国に残り、今度はクリケッツに加入したんです。
M:バディ・ホリーのバンドだったクリケッツ?
A:そうです。その頃はロサンゼルスとイギリスを行き来してたんですけど、段々とLAで過す時間が多くなりました。そんな時、同地のクラブでドン・エヴァリーに会ったんです。信じられないくらいの幸運でした。マイ・ヒーローが目の前で演奏しているのです!

M:その後多くのアーティストのバックを務めました。憧れのジェリー・リー・ルイスともレコーディングしましたね?

A:多くのセッションでバックを務めました。その頃多くのアメリカ人アーティストがイギリスに渡り、同国のロックンロールのミュージシャンたちとレコーディング。そんなムーブメントの中でマイ・ヒーローのジェリー・リーのアルバム・レコーディングを一緒することが出来たんです。
M:そしてA&Mとソロ・アーティストとしても契約しましたね?
A:その頃フルートでお馴染みハービー・マンのレコーディンでギターを弾いていたことから彼の所属していたアトランティック・レコードと契約する話が進んでいました。丁度クリケッツの人気が下降した頃でした。その状況でジョー・コッカーのレコーディングに参加したら僕のマネージャーはアトランティックではなくA&Mに僕を売り込みに行ったんです。売り込み相手はジェリー・モスです。ハーブ・アルパートとともにA&Mを設立したMの方の人物!彼は僕のことをアルヴィン・リーだと勘違いしたみたいで最初のデモ・テープを届けた時に吃驚してました。でも何とか僕はA&Mでアルバムを制作することに成功したんです。


▲JP/LP『オン・ザ・ブールヴァード』(82年のセカンド・ソロアルバム) from Manabu's Collection

M:僕はエミルー・ハリスのMCをしたことがあります。彼女とのエピソードなどを教えてください
A:グラム・パーソンズがエミルーと知り合いでした。一方で僕はジェームス・バートンの大ファンです。エミルーのバンドで演奏したくて彼女のもとを訪れました。そこにはエルヴィス・プレスリーのTCBバンドのジェームス・バートンやグレン・D.ハーディンもいました。グレンとはクリケッツでも一緒だったんです。ジェームスがエルヴィスに専念するためにエミルーのバンドに僕は誘われたんです。76年のことでした。気づくと僕はアメリカに住み、そして偉大なるカントリー・シンガーのバックでギターを弾いていたのです。
M:そして1977年、ザ・キング、エルヴィス・プレスリーが逝去。
A:7月16日、僕はエミルーとメンフィスに滞在していました。エルヴィスの死はそれはそれは大きなショックでした。その日の日中、僕はグレンとこんなことを話していました。「エルヴィスに電話して今夜一緒にジャムろうと声をかけてみようか?」ホテルに戻ってラジオをつけたらエルヴィスが亡くなったと報じていたんです…
M:エルヴィスのコンサートは…。
A:1回だけですが堪能しました。クリケッツ時代、グレンがティケットをとってくれてLAから車を飛ばしラスベガスでエルヴィスの素晴らしいステージを味わいました。73年か74年だと記憶しています。
M:僕も72年にハワイでエルヴィスのステージをしっかり味わいました。
ところで今回のツアーでセットリストに登場した「Sweet Little Lisa」のリサはリサ・マリーのことだったりして…。
A:そうじゃないんですよ。この曲は当時エミルーのバンド・メンバーだったハンク・デヴィートゥとで二ヴァン・コワートの共作、リサという少女のことを歌ったロックンロール・ソングです。

M:日本のファンの間では1979年にエリック・クラプトンのバンドに加わったことで貴方の名前は有名です。丁度その時にリリースされたのが日本武道館ライヴ『JUST ONE NIGHT』!
A:エリックのバンドに参加したのは79年のことです。ロンドンでアルバム制作をしていると、エリックと彼のマネージャーがやってきて、二人目のギタリストとしてバンドに参加してツアーを一緒してもらえないかとオファーされたんです。まずUSツアー、その後日本にも行きました。その時に武道館でのライヴ・アルバムを作ったんですね。そして「Country Boy」も歌ったんだけどマネージャーに収録曲から外されてしまいました、とっても残念です。でもマネージャーは中々の好人物でした、ギャラも思った以上に支払ってくれました(笑)。エリックとは5年ほど一緒にやりました。バンド・メンバーを2回入れ替えていますが、僕は残りました。でも5年経過した頃、残念でしたが出て行くことになったんです。とはいえ、今でも彼とは親交がありいろいろ活動してます。エリックと演奏するのはとても楽しかったです。酒が大好きで、よく一緒に盛り上がりました。彼はイギリス人同士で集まって過ごすのが好きでした。



M:僕はビル・ワイマンと気が合い、昔はよく手紙のやり取りもしていました。彼のリズム・キングスで貴方は大活躍。ビルとの出会い、エピソードなどを語ってください。
A:ゲイリー・ブルッカーもエリックのバンドの一員でした。彼は毎年、自宅近くのホールでクリスマス・ショーをやるんです。僕やエリックも何度か参加しましたが、ある年、ビル・ワイマンがやってきて、サウンド・チェックをしている僕に「リズム・キングスに参加しないか?」と勧誘してきたのです。一緒にライヴしてレコーディング。イギリス中をツアー、そしてドイツにも行きました。ビルと一緒のステージはホント楽しかったです。
M:日本でリズム・キングス公演を何度もお願いしたんですけど実現しませんでした。
A:ビルは飛行機や船に乗るのを極端に嫌ってましたからね。
M:そうでした。1990年のストーンズ/アーバン・ジャングル・ツアーの時から彼は一人で電車移動していました。
A:僕がビルと一緒にツアーしている間に飛行機に乗ったのはニューヨークとロサンゼルスに書籍の出版仕事で出向いた二回だけです。嫌だ嫌だと言いながら実際に搭乗すると平気なんですが……。日本は少し遠すぎました。リズム・キングスはもうツアーはやらないようです。



M:ジョージ・ハリスンとのエピソードをお願いします。
A:ジョージにはエリックと一緒に何度か会いました。中々の好人物です。エヴァリー・ブラザーズとオーストラリアのアデレードに滞在中F1グランプリが開催されてました。そこにジョージがいたんです。その時彼は僕に多くのF1ドライバーを紹介してくれました。とても良い経験でした。

M:貴方は音楽以外では何を楽しんでいますか?
A:車ですね。クラシック・カーを数台持っています。メンテナンスしたりといろいろいじるのが好きです。エリックはフェラーリを持っていて、彼の影響で僕も興味を持つようになり、61年製を購入。手放すことなく、しっかり手入れして大切にしています。

M:日本のファンは貴方のギター・スタイルが大好きです。後継者、もしくは貴方のスタイルに近いギタリストというと?
A:僕のギターはカントリー・フレーヴァーを強く打ち出したロックンロール・スタイル。今では多くの人がこのスタイルで演奏するようになりました。ナッシュヴィルのブレント・メイソンもその一人、聴いてみると僕の影響が分かると思います。一緒に演ったこともある大物カントリー・シンガー、ヴィンス・ギルが僕のギター奏法に大きく影響を受けたとインタビューなどで語っているのを聞くと嬉しいです。

M:これからの目標などを聞かせてください。
A:75歳になりますが、今でもツアーの連続。これからも演奏を続けていきたいですね。ヨーロッパやオーストラリア、そして日本にも年に一度は来たいです。若手ミュージシャンによく言うんですが、音楽ビジネスはレコード会社のエグゼクティヴでもない限り年金もないので、しっかり働きましょう!演奏することは大好き、僕の演奏を楽しみたいと言ってくれる人がいる限りは頑張ります。

M:ニュー・アルバムのレコーディングの予定はありますか?3年前のリリースになりますがレイテスト『HIGHWAYMAN』素晴らしかったです。


▲CD『HIGHWAYMAN』 from Mike's Collection

A:アルバムのことはいつも頭にあります。最近の数枚のアルバムは時間をかけないアコースティックのデモのようなものでした。今度はスタジオでしっかりしたアルバムを作りたいと思っています。なかでも「The Highwayman」は大好きでいつもセットリストに加えています。


M:最後に以下のアーティストについて一言お願いします。
☆ジョー・コッカー・・・ワイルドな男です。よく飲んでステージで気持ち悪くなって吐いたりしたこともがありました。

☆マイク・ダボ・・・ロンドンで一緒にレコーディングしてデモ・テープを作ったこともあります。ナイス・ガイ。ご存知の通り「Handbags and Gladrags」は彼の作品。彼はクリア・ファーロウとも演ったこともあります。

☆ジャクソン・ブラウン・・・彼の1972年リリースのファースト・アルバムで演奏しました。レコーディングはイギリスで始まったんですけど、途中でレコード会社が変わり、ロサンゼルスで録り直し。ということで、長い間一緒でした。とても楽しかったです。

☆エヴァリー・ブラザーズ・・・大好きなエヴァリーズとは何度も一緒に演奏しました。最初に出会ったのは1960年代前半のことです。ヘッズ・ハンズ・アンド・フィート時代、70年にフィル・エヴァリーと再会。その時ドンとフィルのエヴァリー兄弟は喧嘩別れしていたんです。僕はドンと親交を深め彼のバックを務めました。一緒に歌って、エヴァリー・ブラザーズとしてテレビに映ったこともあります。ドンとは26年も一緒でした。その後フィル&ドンの二人はエヴァリー・ブラザーズをリユニオン、めでたし、めでたしです。

☆ジミー・ウエブ・・・彼の作品は大好きです。グレン・キャンベルでヒットした「By the time I get to Phoenix」「Galveston」などはカントリー・タッチのとてもポップな興味深い作品です。僕の家のご近所さんだったこともあり、よくお邪魔していました。今でもたまに見かけます。彼のアルバムを運転しながらよく聴いてます。

☆ロニー・ドネガン・・・1950年代、ギターを弾く楽しさを多くの若者に教えてくれました。後年、僕は彼のアルバム3作でバックを務めました。ライヴも一緒に演ったこともあります。私の結婚式で演奏もしてくれました。写真もありますが、豪華なジャムでしたよ。ロニーに加えエミルー・ハリスやロザンナ・キャッシュも出席してくれて素晴らしい式になりました。

☆ロザンナ・キャッシュ・・・エミルーを通じて知り合いました。以前は遊び仲間でした。彼女はロニーと結婚して二人の最初の新居は僕の家の近所。僕の妻の仕事は不動産業、お世話したんです(笑)。

☆ジョージ・ジョーンズ・・・最初に買ったカントリー・アルバムがジョージでした。とても気に入っていて今でもよく聴いてます。

☆マーク・ベノ・・・アルバム『LOST IN AUSTIN』のレコーディングにエリックと一緒に参加しました。

☆バイロン・バーライン・・・ロサンゼルスで多くのアーティストとステージを共にしましたが、彼もその一人。バーでも一緒にライヴしたことがあります。

☆ドリー・バートン・・・エミルーがドリーの大ファンでした。知り合って仲良くなり、アルバム・レコーディングにも参加しました。

☆デイヴ・エドモンズ・・・知り合ったのは1960年代、勿論イギリス。何度か彼のアルバム・レーディングに参加しました。

☆リッキー・スキャッグス・・・エミルーが自分のレコーディングの時、リッキーを飛行機に乗せて連れてきたんです。その時、僕は彼ととても仲良くなり、リッキーのレコーディングに何度か参加しました。

☆ハービー・マン・・・1970年代初頭、多くのイギリス人ロックンローラーがアメリカのミュージシャンのバックを務めました。僕はハービー・マンの2枚のアルバムでギターを弾いてます。彼はとてもかっこいい男です。

協力:Karen Yamaguchi

【ライヴinfo】
☆スザンヌ・ヴェガ


▲提供:Billboard Live TOKYO

1980年代中期センセーショナルにシーンに登場したスザンヌ・ヴェガ。社会派歌手としてその後も「ルカ」などの注目作を発表。音楽的にもよりワイドな展開の中で着実な活動を続け、わが国でも何度となくライヴ。静かに…でも実にホットな雰囲気の中でのステージングが再び2018年真夏に披露される。果たして今度はどんな“衝撃”を僕らに与えてくれるのだろう!?

*2018年8月10日 Billboard Live TOKYO
ファースト・ステージ 開場17:30  開演19:00
セカンド・ステージ  開場20:45  開演21:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11104&shop=1

*2018年8月12日 Billboard Live OSAKA
ファースト・ステージ 開場15:30  開演16:30
セカンド・ステージ  開場18:30  開演19:30
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11107&shop=2

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