【ラストライブ直前対談:3】ベビレ林×堀江晶太「何も取り繕う必要はない。めちゃくちゃでいい。ベビレらしく」

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9月24日に山中湖でのラストライブをもって解散するベイビーレイズJAPAN。ラストライブ<全虎が啼いた!伝説の最高雷舞(クライマックス)>までのこり一週間となった今、BARKSではベイビーレイズJAPANのメンバーと、彼女たちに楽曲提供を行なってきたアーティスト達との対談を全3回にわけて掲載していく。

対談ラストを飾る第3回は、ベイビーレイズJAPAN林愛夏と、ベビレに多数の楽曲を提供してきた堀江晶太との対談。堀江が所属するバンド・PENGUIN RESEARCHもまた、2014年のベビレ武道館公演から様々なステージで彼女たちのバックバンドを務めてきた。ベビレに対する熱さを行動で示してきた2人は、ベビレ解散を前に何を語るのか。

◆ベイビーレイズJAPAN(林愛夏)、堀江晶太 写真

■残りの時間でなにができるか。やれることはしようという気持ちがいまは一番大きい(堀江晶太)

——ラストライブに向けて、いまどんな心境ですか?


▲林愛夏(ベイビーレイズJAPAN)

林愛夏(以下、林):解散発表をして以降、ファンのみなさんのお話を聞く時間もあって。発表する前はいろんな意見が飛び交うんじゃないかと心配していたんですが、お互い残り少ない時間を大切に過ごそうという温かい空気をみなさんが作って寄り添ってくださっているので、解散に向けてのライブも前向きに取り組むことができています。

——これまでベビレに楽曲提供されてきた堀江さんは、ラストライブでバックバンドとしても彼女たちをサポートされるんですよね?


▲堀江晶太

堀江晶太(以下、堀江):はい。自分は、曲を作るとか、ステージではバックで演奏するという役回りでこれまでベビレに関わってきたので。解散発表を聞いてからは、自分自身を含めて、残りの時間でなにができるか。やれることはしようという気持ちがいまは一番大きいです。それとは別に、ベビレを好きないちファンとしては、解散は惜しいですけど、そこに浸る時間はもう過ぎたので。あとはラストの日を迎えるにあたって、腹をくくっておこうという気持ちで今はいますね。

——お二人が出会ったのはいつ頃ですか?

堀江:「ベビレというグループが始まるんで1stシングル(「ベイビーレイズ」)をお願いします」というお話を事務所の方からいただいて。メンバーとは会う前にね。

林:それ、いま初めて聞きました。

堀江:曲提供が先で、一番最初に会ったのは。

林:ちょうど2012年、新宿LOFTで初めてワンマンライブを3回やったときですね。持ち曲が「ベイビーレイズ」と「S.O.K.」と「Level 1」と「クリスマスがライバル」、「ベイビーレボリューション」ぐらいしかなくて。デビュー曲の「ベイビーレイズ」を1ステージで3回歌うというのをやったんですよ。

堀江:すごいシュールだったな、あれは。それでライブ終演後に初めてメンバーが並んでるところに呼ばれて。メンバーはガッチガチ、俺も作家としてメジャーのアーティストに関わるのは初めてだったから緊張してて。なんともいえない空気でした。

——そんな出会いだったんですね。

林:私たちもいきなり事務所の方に与えてもらってのCDデビューだった訳ですけど。そのデビュー曲を作って下さったのが堀江さんで。グループの印象って、楽曲のイメージで決まるじゃないですか? ベビレの曲はすごく勢いのあるロックで、人間くさいんですよ。歌詞が。普通のアイドルがあまり歌わない“なにくそ根性”を歌ってるグループなので。ベビレのそういう部分を作って下さった堀江さんと、デビューからこうしていままでずっとお仕事できたことが本当に嬉しくて感謝しています。だから、今日はメンバーみんな堀江さんに会いたがってたんですよ。

堀江:嬉しいな。ありがとう。

——堀江さんのなかに、ベビレをずっとやっていきたいなという意識はあったんですか?

堀江:ずっと関われたらいいなというのはあの新宿LOFTワンマンを観たときに思いました。

林:え! そうなんですか? 

堀江:うん。そのとき「ボクラノリアル」を一番最後に演って。まだまだ歌は下手だし、なんだったら1名踊れてない子もいたけど。

——ああ~(微笑)。

堀江:それでも、自分が思ってた以上にベビレはよかったんですよ。で、隣を見たら一緒に行ってた人がボロ泣きしてて。そのとき、人をこんなに感動させるエネルギーがこの子たちにはあるんだなと確信したので「このままずっと関わらせてください」って、当時のディレクターにメールしました。

林:いま初めて聞いて感動しました。デビュー当時はとにかく私たちは必死だったんで、そんなことに気づく余裕もなかったんですよ。ちょうどアイドルの戦国時代、そのピークの頃に『私たち、まだ間に合いますか?』というキャッチフレーズでデビューして。

堀江:それ、めっちゃ面白いじゃん!

林:それで、他のアイドルさんの現場に行って乗り込み乗っ取り活動をコンセプトとしてやってたんですけど。

堀江:必死感、真摯な感じは印象的だったよ。

林:なにも考えず、ド直球でベイビーレイズしてましたからね。だから、ベビレのメンバーは本当にこの6年、みんながみんなベビレに人生の全てを注いでたと言い切れる。それは私たちの誇りです。

——そう言いきれるところがカッコいい!

堀江:ねっ。人間って頑張ってる人が好きじゃないですか? 自分も、ファンの人もそうだと思うんすけど。ベビレの場合、その頑張り方が初期の頃は普通じゃなくて。“なんでも頑張ろう”を本気でやってたよね?

林:来た仕事はなんでもかんでもやってましたから。滝に打たれたりプロレス入門もしたし、人気アイドルさんの現場にビラ配りにいって警備員さんに怒られたりしてました(笑)。

——たしかに普通じゃないですよね(笑)。

堀江:でも、それができちゃうんだから。ああいうのって大人になるとできないんだけど、普通の人たちではできない頑張りを、彼女たちが代わりにやってくれる。それは、見ていて爽快だったし、同じように思ってたファンも多いんじゃないかな。

——なるほど。では、そんななかでデビューからこれまでベビレは堀江さんの楽曲をたくさん歌ってきたわけですが。そのなかでも林さんにとって大切な1曲をあげるとしたら?

林:全部が“神曲”なので……私ちょっとまとめてきたノート見てもいいですか?



(広げたノートには堀江氏が提供した楽曲リスト、バックバンドをつとめたライブがびっしり手書きで書かれている)

堀江:うわっ、すげー! こういうとこなんですよ。その場で考えて言えばいいものを、ここまでね、頑張ってやってきちゃうところがこの子たちの魅力なんですよ。

林:「ベイビーレイズ」のあと、じつは自分たちの登場SEも堀江さんに作っていただいて。

堀江:そうだ、よく覚えてるな〜。あのSEもちょっとづつ改編してて、いまのはVer.8ぐらいなんですよ。

林:曲もいろいろ書いて頂いたんですけど。私が一番好きなのは「ミチシルベ」(※1stアルバム『自虎紹介』収録)なんです。

堀江:そこは変わらないんだ。前にも言ってくれてたよね。

林:はい。私たちは2年以内に武道館ができなかったら解散という公約のなかで活動してきて。1年半経った頃、武道館なんて夢の夢で「ああ、もう解散するんだな」と途方に暮れてた時期に、この曲が届いたんですけど。聴いたら涙が止まらなくなって。すごくやりたいこととか叶えたいこととか明確にあるのに、そこにたどり着けない悔しさとか。ここ以外にも道はあるけど、自分はここを進むと決めた、その覚悟は揺るがないんだという気持ち。そういうものがそのまま歌詞になってたから、歌うとすごく気持ちが入るんです。

堀江:嬉しい。

——「ミチシルベ」はどんなイメージで作った楽曲だったんですか?

堀江:これは曲を作るときに、改めてメンバーの人となりを知っておこうと思って当時のディレクターに話を聞いて。そのとき愛夏ちゃんが大きい劇団にいたけど、そこを抜けてここにきたこと、いまでもミュージカルが好きなんだという話を聞いたりして。そういうことを踏まえて書いた部分もあるんだよね。

林:えー、そうなんですか?

堀江:俺も昔バンドを組んでて。そのバンドを抜けたんだけど、そいつらはすげー売れたという経験があって。それでも自分は夢みて上を目指すというヤツが俺は好きだから、そういう部分も「ミチシルベ」には入ってる。

林:ああー。だから好きなんだ。私の決意は揺るがないんだって叫びたかった思いが、この歌で叫べるから魂がむき出しになるんです。


——なるほど。

堀江:これ、いまの前のバンドでもやったよね?

林:(ノートを見ながら)2014年9月、ベビレが2周年を迎えたツアーファイナル、キネマ倶楽部でやりました。

堀江:武道館を発表したときだ!

林:そうです、そうです。

堀江:あのとき初めて実験的な形としてバンドを入れたんですよ。

林:初めて生演奏で歌いましたね。

堀江:あのライブで「ミチシルベ」やったね。

林:はい。あれ以降もどんなにいい曲がきても、私のベスト1はこの曲です。

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