【インタビュー】NAYUTAH「あの人のライブに行ったら絶対にいい思い出を持って帰れる、そういう、記憶に残るアーティストになりたい」

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11月3日、「レコードの日」となるこの日、女性シンガーのNAYUTAHがデビューする。作曲をDJ KAWASAKIが手がけ、作詞を沖野修也が手がける。またMUROによるエディッティングがされ、ディレクターはRYUHEI THE MANが担当した……。これらクラブシーンのツワモノたちを虜にしたNAYUTAHとは何ものなのか? ソウル・シンガー兼パーカッショニストの砂川正和を父に持ち、母はダンサーにして舞踏民俗学者の柳田知子──3歳で舞台デビューという謎多きNAYUTAHの、本邦初公開となるインタビューをお届けする。

■音楽が好きで聴き始めたんじゃなくて
■最初にそこにあって、心地よくて楽しい

──音楽を意識して聴き始めたのはいつごろですか?

NAYUTAH 気付いたら周りに音楽があって……3歳くらいから音楽というものを身体で感じて舞台に立っていた感じですね。歌として、感覚として捉え始めたのは、10代前半ころ、ちょうど歌を始めるくらい。

──3歳のころはどういう音楽を?

NAYUTAH 両親ともに音楽の世界にいたので、両親が教えている西アフリカのトラディショナルな音楽、いわゆるジェンベの音やアフリカの歌、そういうものが周りに常にあったし、両親の好みが60〜70sソウル/ファンクだったのでレコードも家にたくさんあって……そういう音楽を聴いて育ったので、邦楽をほとんど聴かずに、常にリズムとグルーブが生活の中にあって、それが楽しいと思ってたんです。例えばアース・ウィンド&ファイアが流れたら勝手に踊り始めたり……いまだにそういう音楽を聴くとテンションが上がりますね(笑)。当時はもちろんミュージシャンの名前も知らないし、なんでこういう音楽があるのか意識もせずに聴いてましたが、今改めて聞き直して、情報も知識も合わせた上で、自分のソウルが響くのは、そのあたりの音楽なんです。音楽が好きで聴き始めたんじゃなくて、最初にそこにあって、そこが心地よくて楽しい。

──友達と話は……

NAYUTAH まず合うことがなかったですね(笑)。母に聞いたら、わたし10歳のころ、日本の歌が入っているCDが売ってることを知らなかったらしいです。

──当時はどちらにお住まいだったんですか?

NAYUTAH 東京です。保育園には行ってたんですけど、保育園って話すことがアニメの歌くらいで……わたし小中高に通ってなくて、いわゆる日本のヒットチャートに触れることなく、家の中でかかっている音楽しか聴いてなかったんですよね。

──ある意味サラブレッド的な……。

NAYUTAH テレビから流れてくる日本語の曲で知っていたのは、『はぐれ刑事純情派』の……。

──なんでそこに行くのか(笑)。

NAYUTAH そういう曲とか(笑)、ピンポイントなんです。ジャニーズって存在するんだな、とか。

──いわゆる日本のヒットチャートには全く触れてない?

NAYUTAH 当時のはほとんど触れてないですね。成長してから知りました。フリースクールに行っていたので、いろんな世代の人がいて流行りがあって、みんなでカラオケに行っても、まあ、知らないわけです(笑)。当時は「私、おかしいのかな」なんて悩んだこともありましたし、のちにはいろいろな日本語の曲を聴いて自分の好きな曲もできたんですけど、10代後半くらいになったら“戻りたい音楽”があって、結局それがソウル、ファンク、R&Bだったんですね。そういう音楽に触れていたいし、やりたいんだなと。そこが自分の原点なんだろうなって思いました。

──日本の曲を聴き始めたときはどういう感覚でしたか?

NAYUTAH 全く別のもの、新しいものという感覚で聴いてましたね。どちらかというと、私が知らなかったことがおかしかっただけで、普通に存在していていい音楽がいっぱいあって……ひとつ言えるとしたらそういう音楽もベースがソウル、ファンク、ブラックミュージックだったりするわけで。例えば宇多田ヒカルさんのデビューから2000年前半くらいのバックサウンドって、アメリカンミュージックですよね? また椎名林檎さんのようにエキセントリックなロックっぽい部分もありつつ日本にしかない要素があるものも好きだったり。普通のトップチャートはもちろんアニソンを聴いてみたり、韓国の歌を聴いたり、ジャンルとか言葉とかこだわりはなく、自分にハマったらそれでいいんです。ベースの音楽があるので、どんなものを聴いても好きなものはそんなにブレないです。

──歌い始めたのは10代のころ?

NAYUTAH 14歳くらいのときにゴスペルシンガーで、ヴォイス・オブ・ジャパン代表の亀渕友香さんに出会って、ヴォイス・トレーニングを受け始めて、そこから人前で歌う機会をいただいて歌ったり、オーディションを受けたり。

──なぜ急にヴォイス・トレーニングに?

NAYUTAH そのころ体調を崩しやすくて、なぜか喉から風邪をひいてたんです。調べたんですけど、甲状腺は弱いものの原因が分からなくて。で、なんとなしに喉元にエネルギーが溜まってるよ、的なことを言われたんですね(笑)。私自身は懐疑的ながら、母には確かにエネルギーを発散できてなかったり、表現しきれてないんじゃないの?と言われて、あなたの中のものを表現するのに踊りもいいけど、歌もやってみたら?と。それが始まりで、歌をやりたくてというよりは、自分の身体のためになるというところからなんです。そしたら全く風邪をひかなくなった(笑)。要はデトックスだったのかなと。いまだに歌う機会がないと喉風邪を引いてしまうんです。

あと亀渕友香さんにズーッと言われていたのが、「無理に声を出そうとしないで、何の力も入れずに、あなた自身の地の声が出れば、それが一番いい声だから、私はあなたに何も言うことはないわ」と。しっかりと地に足をついて“土臭い”声が出たら、それがあなただからと。その土臭さを生かしていきなさいと。それが14〜15歳のころですね。で、当時は歌で食べていこうとは思わなかったので、人前で少し歌うくらいで、そこから5年ほど歌わない時期が続いたんですね。

──ヴォイス・トレーニングの後ですか?

NAYUTAH そう、途中から大学に行くために学業に専念することになって。そのときは歌を上手くなろう!とか人前で歌いたい!とかそこまで気持ちがなかった。その後20歳のときに、母が突然、父が昔歌ってた曲を英語にして、リミックスして曲を作って歌おう!と言い出して……。

──そういうプロジェクトを突然?

NAYUTAH 突然(笑)。ただ、歌いたい気持ちはいつもどこかであったけど、自分が歌っていいのかなーと思いつつも、自分の表現したいものはあるし、(昔言われたように)上手く歌う必要もないんだなと思って歌い始めたんです。レコーディングもしてミュージックビデオも作ってという徹底ぶりで(笑)。そのときにフト思ったのが、私は歌と踊りをやっているのが自分らしいなと。それからデモを作ったり、歌い機会を探したり、ヴォイス・トレーニングを始めたり……それが21〜22歳くらい。そのころはすでにROOMには遊びに来ていて、それまで触れてなかった音楽に触れるようになって、より歌いたいという欲が強くなりました。ストリートでガンガン弾き語るとか、オーディションを受けまくるとか、自分の表現したいものはどうすればやらせてもらえるのか、いろいろ考えてましたけど、ROOMに来てたことで、ここから始まって、今ここにいる(笑)。

◆NAYUTAH インタビュー(2)
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