【インタビュー】sads、清春が語る活動休止とロックの本質「sadsも黒夢もヒストリーのひとつ」

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■バンドをもう一度やるという意味では
■sadsや黒夢の復活でやり切った感はある

──“バンドorソロ”──そういう風に書き立てるメディアの存在もあったり。

清春:そうそう。やっぱり、バンドとしてメンバーが揃ってどうこうとか、そういう凝り固まった概念だけで書いてる人も居るからね。もっと言えば、ソロでも音楽に陰りがない人って少ないんだろうね。バンドでホームランしか打ってこなかったから、ソロになると小技が利かなかったり。もちろん、ここぞという時にホームランを打てるようじゃないとダメだと思うけど。難しいよね。

──特に日本では、まだまだソロとバンドの区別にとらわれがちなのかも。

清春:海外でもあると思うよ。たとえば、バンドからキャリアをスタートしたアーティストは、再結成したら、そのバンドに戻るでしょ。でも、エド・シーランとか、古くはマドンナとかもそうだけど、ソロからスタートした人にそれは関係ないことで。そう考えると、僕は黒夢というバンドでキャリアをスタートしてしまったので仕方がないけど、その辺がやっとイーブンになってきてる気がしますね。

──ソロ始動から15年ですから。

清春:“バンドがいい”って人も、“ソロのほうがいい”って人も同じくらいいるからさ。以前sadsや黒夢をやめた時より、ソロに対する疎外感っていうか、ファンの人たちの“え? ソロになっちゃうの?”みたいな寂しい想いは全くないと思います。今回、sadsで『FALLING』を作って、次はいずれソロアルバムも作るわけで、ようやく“どっちが良いか”と比べることなく、良いものは良いって聴いてくれるようなファンが増えたかなって。そうは言っても、僕はバンド出身であることに間違いなく。どこに行ったって、そういう世代の人は“黒夢の清春”とか“sadsの清春”って言ってきますし、これはもうヒストリー的に消せない。

──そうなりますよね。

清春:まあ、それももういいのかな……。どうしてもソロじゃないといけないとは思わないし、どうしてもバンドじゃなきゃいけないとも思わない。ただ、人生のタイムスケジュール的にソロなんじゃないかなっていうのは、もはや暗黙の了解だね。バンドをもう一度やるという意味では、sads再結成の7年間や黒夢の復活でやり切った感はあります。

──清春さんにとって、sadsの再始動から活動休止に至るまでの7年間は、ご自身の変化や成長を感じる時間だった?

清春:そうですね。2009年の黒夢の<“the end"〜CORKSCREW A GO GO! FINAL〜>から、すでに約10年ですからね。だから、もう本当にいいんじゃないかなって思いますね。あそこでK-A-ZくんとGOくんと一緒にプレイして10年経ってる。40代の10年間って、20代や30代の10年間とは違うもので、ここまでよくやったなと思います。

──会場限定盤の『FALLING』を聴いた時に、sadsの音像としてはとても新鮮な部分を感じたんです。今回の“Ultimate Edition”を聴いて確信したんですが、これはsadsの成熟と挑戦が合わさった作品だと思います。

清春:うん。

──こういうインパクトの強い作品を残して活動に区切りを付けるのも、味があっていいですね。

清春:だから、特に何も思わないんですよね。まだ、終わるともあんまり思ってないんですよ。またやるとも思ってないけど。

──“いつの間にか終わっちゃってた”ぐらいの感じになるんでしょうか?

清春:それについては、“終わる”とはっきりファンの人にお伝えしたかった。僕自身の経験から、さっき言ったように、sadsをやめたところで“sadsの清春”って言われるし、黒夢をやめたところで“黒夢好きだったんです”って言われるんですよ。それが永遠に続く。だから、あんまり別れを感じてないですね。“再婚して、もう一回離婚しよう”みたいな感じでしょうか。

──えっ(笑)。どういうことでしょう?

清春:もう一回会えるだろうなって。用事があったら連絡するだろうし、これで一生会わないってこともないだろうと。一回目の離婚だったら“もう連絡とらない”ってことにもなるだろうけど、同じ相手と二回結婚して二回離婚したら、一回復活した経験も縁もあるんだし、その後も連絡ぐらいはとるでしょ。銀行の手続きとか“あの時って、どうしたんだっけ?”みたいな。

──そういうものなのかもしれませんね。

清春:そう思いますね、sadsしかり、黒夢しかり。あんまり別れだとは思わない。二回目の活動休止については、それしかないです。

──言われてみれば、清春さんのことを熟知してらっしゃるコアファンほど、今回の活動休止に対して、サバサバしているような印象があります。

清春:うん、あんまり寂しいと思ってないんじゃないかな。泣く人なんていないんじゃないですか。ファンの人が泣くのは、僕の引退ライヴぐらいでしょうね。ファンの人にとってはこの終わり方も想定内というか。僕が今まで言ってきたことを総合して考えれば、“50歳になったらsadsをやめる”というのは“あ、なるほど”って思うはずだから。そういう意味でも暗黙の了解なんです。

──ここ数年の活動のなかで、そういうことをほのめかしていたわけですからね。

清春:そうです。まあ、僕はそれを言えちゃう人なんで。

──唐突に活動休止する人もいるかと思えば、清春さんのように猶予を設ける人もいる。

清春:僕はもはや、バンドの活動休止とか解散なんてたいしたことだとは思ってないんです。事件の大きさでいうと、(テーブルの上の缶コーヒーを見ながら)飲んでたコーヒーが途中で捨てられちゃうみたいなもんですよ。また買えばいいじゃんって。

──なるほど(笑)。

清春:死ぬことや病気になること以外は、そんなにたいしたことではない。

──生きていれば、いつでもいろんなことが始められますからね。

清春:始める……まあ、それはわかんないけどね。バンド自体が今の僕にとってはもうタイムリーじゃないので。別にバンドを否定してるわけじゃないんですよ。sadsも黒夢もそれぞれ二度ずつ活動してるけど、元々は東條(雅人:元FOOL'S MATE誌編集長/2009年に他界)さんへの追悼の気持ちから動き始めたからね。そっちのほうが僕の人生にとっては全然デカいんです。

──再始動のきっかけはそうでしたね。

清春:そう、バンドに対する愛情よりも、そっちの理由のほうが大きい。自分の人生はわかってますよ。“あと何年ぐらい頑張れるかな”っていうぼんやりとしたイメージがあって、仮にこのままsadsを続けたとしてもワクワクしない。具体的なプランがないんですよ、バンドに。ライヴとかに出たらカッコよくできると思うんですけど、カッコよくするために何かしなきゃいけないっていうプランがないんです。

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