【インタビュー】焚吐、「量産型ティーン」完成「21歳の今の言葉を綴っていきたい」

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焚吐が10月31日、ニューシングル「量産型ティーン」をリリースした。表題曲「量産型ティーン」は、焚吐×みやかわくん名義のよるコラボ楽曲のアレンジを手掛けた薮崎太郎を迎えて制作されたものであり、ミニアルバム『呪いが解けた日』にて文字通り「呪いが解けた」という焚吐による、新たなサウンド&リリックが胸を奮わせる。

◆焚吐 画像

「胸を抉られるような痛みも逡巡も”テンプレ”の一言で片付けられることに常々憤りを感じていました。十代、二十代の皆さんが自分という存在を誇るための足掛かりになれば幸いです」とは焚吐自身の同作に対するコメントだ。楽曲制作過程や歌詞に対するこだわりはもとより、音楽的背景を含めて訊いたロングインタビューをお届けしたい。

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■作る時も、聴く時も
■一番こだわっているのは言葉

──5月リリースのミニアルバム『呪いが解けた日』を経ての新曲は、どのように制作していったのでしょうか?

焚吐:『呪いが解けた日』で自分を開放できたというか。前作のメッセージ性として、“自分の中の負の感情、それが誉められたものではない悲惨なものであったとしても、すべて受け入れていく、無理に自分を抑圧することはない”というものがあったので、「量産型ティーン」を書くにあたっても、別にカッコいいことを歌う必要はないし、呪いが解けたからといって明るい曲を作る必要もなくて。その時の想いをぶつけるという気持ちで書けました。僕は18歳でデビューしてずっと、その時々で書けるものをぶつけてきたつもりなんですけど、“大人対子供”という分かりやすい構図での曲を書いたことはなかったなっていう想いに至って、この曲を書きました。

──その“大人対子供”という構図は、今まで書かなかったけど、以前から焚吐さんの中にはあった想いだったのですか?

焚吐:おそらく、ずっと持っていたものだとは思います。ただ、それに気付いていなかったというか。僕は反抗期もなかったですし、無意識に抑圧していたのかなと。それが前作を作ったことで、“自分はこうあるべきだ”というルールをぶち壊せたんです。だから、「量産型ティーン」を書いたのは、自然な流れだったかなと思っています。

──耳に残るメロディはもちろん、心に刺さる歌詞の力が見事ですが、そもそも歌詞とメロディは、どのように作っていくのですか?

焚吐:詞曲同時に作っています。今までに、メロ先、詞先の作り方も試したんですが、このスタイルが自分に一番合っていると感じていて。なぜかというと、言葉が持つパワーがあって、たとえば“焚吐”であれば、“た・く・と”と発音するわけではなくて、“く”がちょっと無声音っぽかったり、そうした言葉の疾走感というものがあると思うんですよ。だから、“た”には、少しインパクトのあるメロをつけたいし、ほかにも破裂音の“ぱ” “ば”なら高音の方が映えるよなといったように、言葉が持つパワーによってメロディを作っていくことが多いので、詞と曲は同時に書いていきます。

──その際は、楽器を手にしながら?

焚吐:たいていの場合、僕は弾き語りで作ります。ただ最近は、弾き語りで作ったものを録音して、それを客観的に吟味したり、スタインバーグCubaseを使って打ち込んで、MIDIデータだとかの画面を視覚的に見て、きれいなメロディなのかを判断したりといったこともしています。新曲は、まさにそうやって作りました。

──視覚的に確認するという話は驚きですが、確かにクラシック音楽でも、名曲のスコアは音符の並びが美しいと言われますよね。

焚吐:そうなんですよ。少しも狂いがない、雑味のない音楽もどうかは思うんですけど、洗練された音楽には、人々の耳に残りやすいフレーズや音の長さというものがあると思っているので、そこは研究していきたいと思っています。

──「量産型ティーン」は、どのフレーズが最初に出来たのですか?

焚吐:僕はいつもサビから作ることが多いので、この曲も“「言葉にならない」と言葉にしちゃう僕ら テンプレート?”という詞とメロディができて、そこから広げていく作業でした。“テンプレート的感性”や“テンプレート的人格”って、割とネガティブに扱われることが多いので、“量産型”というものを表すのに相応しい言葉だと思っていて。それを自虐的な意味で使いつつ、コール&レスポンスにすると面白いだろうなということと、破裂音の“プ”が入っているので、文字の詰め込み方や響き的にも、この歌詞がフックになるかなと考えました。

──2コーラス目の“雪が降ったなら「雪が降ったね」というだけ”から続く歌詞が、文学的かつ心に突き刺さる鋭さを持っていて、とても素晴らしいと感じました。

焚吐:僕は、悲しみや葛藤が、数字的、記号的に処理されてしまうことへの疑念があって。「今年の自殺者は何人でした」とか「学校への満足度は何パーセントです」だとか。一人一人の人間の固有名詞ではなく、抽象名詞的に数で片付けられてしまうことへの、一種のアンチテーゼでもあります。僕自身も、悲しみを記号的に処理されることがあって、たとえば、「そういう悩みって、思春期にはありがちだよね」って言われても、“ありがちって何だよ”って思うんです。「いじめられると、みんなそういう感覚に陥るよね」とか。“ありがち”とか“みんな”って言われても、自分は自分の世界しか見られないんだから、他人の感覚は分からない。でも、「みんなそういうもんだ」って言われてしまうと、自分がないがしろにされているという不満しか残らないんです。それって、誰も幸せにならない、不毛な表現だと思っていて。そうしたことを歌詞で表現しました。

──そうした強い想いがあるからなのかもしれませんが、誤解を恐れずに言うと、“歌”を聴いているというより、“言葉”を聴いているという印象を強く受けました。

焚吐:そう言っていただけるのは、すごく嬉しいですし、僕自身、音楽を作る時も、聴く時も、一番こだわっているのは“言葉”なんです。音楽を作っているのは人間だから、その人間が発する言葉に一番の興味があるし、だから言葉を大切に歌っています。

◆インタビュー(2)へ
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