【インタビュー】seek&AYA [Psycho le Cému]、「作ったのは“生で観ないと聴けないもの”」

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■もし武道館公演をやっていたら
■既に解散していたかもしれない

──seekさんとAYAさんのお二人は、“MIMIZUQ”という別バンドも始動していますが、Psycho le Cémuを客観的に見てどうですか?

seek:これまでいろいろなバンドマンに会ってきましたけど、YURAサマとLidaさんみたいな人に出会ったことがないですね。“この人らヤッバイな!”って思いますもん(笑)。発想からなにからかなりヤバイ人で、完全に天才肌ですよね。

AYA:僕はPsycho le Cémuを外から見てみると、まだ完成してないなとは思います。“天才的に面白いこの人たちの面白さを、もっと上手いこと出す方法はないんかな?”って最近ずっと考えていますね。結成20年目を前にして。

▲2004年 Maxi single「夢風車」

seek:アピールの仕方が下手なんかもしれない。特にDAISHIとLidaさんはそうですね。二人の面白さがあんまり世に出てない気がするなぁ。コアなところだけにウケてる感じがしてるもんなぁ。ツイッターひとつ見てもYURAサマは外に向けてのアピールがすごく上手い。DAISHIとLidaに関しては、ツイッター全然おもんないわ!

──あはははは! カライですね。

AYA:本当はもっとおもろいんですよ、この人ら(笑)。

Seek:その面白さがなんで出えへんの?って。内弁慶なんですよ。

──DAISHIさんも「自分は楽屋でウケるタイプ」だと今回のインタビューで言っていました。

seek:そうなんですよね。自分のテリトリーだと思ったらめっぽう強くなるんですけど、テリトリーの外に向けては弱いんですよ。昔はそうじゃなかった気がするんですけどね。

──昔っていうのは?

AYA&seek:活動休止前、つまりDAISHIの事件前ですね。

──もっと面白くなれるっていう今、バンドとしては何を目指していくんですか? 既に頭三つぐらい飛びぬけて面白い存在だと思うんですけど。

AYA:逆に頭三つ分ぐらい足りてない感じで、あと十個ぐらいいけるんじゃないかなと思うんです。

──AYAさんは具体的にはどんな未来絵図を描いているんですか?

AYA:言葉としては難しいですけど、もっと出来るなってことはいろいろあります。20年やってきましたが、やり尽くした感はないですし、まだ誰もやれてないことって、たぶん沢山ある気がするんです。

──セールス的なところではどうですか? もっと売れたいとか?

seek:売れたいですよ。この20年の中で一番売れたいと思っていますね。

──売れたいというのは具体的に言うとお金ですか? もっと多くの人に聴いて欲しい?

seek&AYA:全部ですね。

seek:デビューする前までは全部欲しかったんです。チャートの1位も、ライヴの動員も、メディア露出も、お金も。でも、デビューから3年間ぐらいして、ちょっと僕らの具合が悪くなった時に、“売れるって何なんやろ?”って分からなくなった時期があったんです。でも、今はまた“全部なのかもな”って思っています。あと、僕らの写真を見てもらえたら分かるように、目立ちたいんですよね。そこがやっぱり重要なポイントで、僕らのことを知らない人が雑誌をペラペラとめくって“こういうバンドいるんやね!”って止まってもらうことが大事なんです。そこで流されたら一番困る。その惹き付けの一発目として、こういう衣装を着ているわけなので。

▲2005年 Maxi Single「LOVE IS DEAD」

AYA:売れるってことでいえば、シンプルに武道館と東京ドームはやりたいっすけどね(笑)。それは小っちゃい頃からの夢やし、武道館に関してはお客さんにずっと言ってますしね。

seek:悔しいかな、先輩たちが武道館、ドームに立ったのを見てしまってますんで。やはりそこには立ちたいですよね。

AYA:しかも、武道館にはずっと届いてないんで、僕ら。

seek:まあ届きそうで届かない(笑)。何回もチャンスが回って来たけどその度に何かがあって、離れて。離れたからまたやりたい欲求が出ての繰り返し。だから、Psycho le Cémuは続いている気もします。僕ら、もし武道館をやっていたら既に解散していたかもしれないです。

AYA:しかも、武道館に全然届きそうもなかったら、それはそれで辞めているかもしれないです。微妙に届きかけたっていうのがあるんで、辞めてないのかもしれないです。

──いちばん武道館に届きかけたのは?

AYA:デビュー1〜2年ぐらいですね。

Seek:デビュー1年目にアルバム出した時、国際フォーラム ホールAを売り切ったんです。それで僕ら「次は武道館、売り切りたいっす!」って言ったら事務所の社長は「次はベイNKホールです!」と。「まじかーっ!」ってなりましたよ。

AYA:「着実に上っていきましょう」と言っていたところが、山がちょっと下りだし……あれあれ?って(笑)。

seek:あと、沸点で言えば復活の時じゃないですかね。

AYA:復活の時もやっぱり「着実にやろう」っていうのがあって……。

──お話を伺っているとseekさんは売れることへのこだわりがかなり強いですが、復活時の着実路線は納得したんですか?

seek:うーん……僕らが他のバンドさんと違うところの一つが多数決制なんです。多数決で負けてしまえば、媒体のインタビューを自分が代表して受ける時にも、その結論をバンドの決定事項として言えないとダメなわけです。つまり、僕自身が納得している状態。「僕的には武道館やりたかったんすけどね」っていうのは嫌なんですよ。

──武道館とは違いますが、2004年にはニューズウィーク日本版の『世界が尊敬する日本人100人』にランクインし、世界での活躍も実現を帯びたましたね。その時は?

seek:その記事に関しては、僕ら、尊敬されようと思ってやってなかったんで(笑)。まぁ、たまたまだと思います。

──あの記事、本人たちはどう受け取めたのですか?

AYA:嬉しかったんすけど、その直後にDAISHIが捕まるんですよね(笑)。尊敬されたらあかんやつやと(笑)。でも、記事自体は嬉しかったです。

seek:昭和天皇の下に僕らの写真が載ることはないですからね、人生で。

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