【スペシャル対談】ニーナ・クラヴィッツ×沖野修也「きっと私たちのコラボレーションは面白くなるわ!」

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いわゆるジャズ選曲家である沖野修也と、いわゆるテクノDJであるニーナ・クラヴィッツ。一見なんらつながりがないうように思えるこの二人には浅からぬ関係があった……。今回行ったのは1月に来日したニーナ・クラヴィッツと沖野修也の初となる対談である。冒頭から取材が終わり別れるまで、ハグをしながら意見交換を行う姿が印象的な対談となった。ニーナ・クラヴィッツと沖野修也……この二人の関係とは? そして二人が見据えるクラブシーンとは?

■ヴァイナル ・ジャンキーになる
■悪いきっかけを与えちゃったね(沖野)

沖野修也(以下、沖野) ニーナのお母さんは、すごくニーナの仕事を理解してるよね? 本当にラッキーだと思うよ(編注:今回のニーナのツアーに母親が同行していた模様)。

ニーナ・クラヴィッツ(以下、ニーナ) そうね。でも、12月中、20日間ほど休暇を取ったの。新年の前後2〜3日間から忙しくなったけどね。韓国でニューイヤーパーティに出演して、そのあとに日本に来たのよ。休暇の最終日、本当にどこにも行きたくなかったから遅めのフライトに変更したの。ただ家にもう少し長くいたかっただけなのに、周りはだらしがない仕事に行きたくないの?って心配した。でもわたしはこの5年間一度も休まずに働いてきたのよ。

沖野 ところで昨日(1月5日@Contact)のセットは最高だったよ。東京に“喝”を入れてくれてるような……。

ニーナ 昨晩はテンションが高まって、まだまだ回せる勢いだったんだけど、腹9分目くらいで終わっちゃった感じだったわ(笑)。

──お二人が初めて会ったときについて教えていただけますか?

Photo by Kenichi Yamaguchi

ニーナ 初めて会ったのはもう何年も前の話ね。モスクワで会ったの。とにかく、いつか思い出せないほど昔の話(笑)。 当時、私は医者になるために勉強しながらプロモーションエージェンシーで働いていたの。主な仕事はDJやミュージシャンをブッキングしたり、航空券を予約したり、アテンドをすること。ある日会社でKyoto Jazz Massiveをブッキングすることになって、私が担当することになったの。最初の任務は沖野さんにモスクワのテレビ塔を見せること。彼は当時“ミニチュアタワー”のコレクターだったから、とてもテレビ塔に行きたがっていたのを覚えているわ。

結局テレビ塔の中には入れなかったけど、代わりに中古のレコードショップ屋さんへ行ったんだけど……この話は本当に長くなるわよ(笑) 。そのとき沖野さんは40〜45分くらいお店から戻ってこなかった。で、探しに行こうかと思ったら突然一枚のレコードを持って現れたの。「ニーナちゃん、ハウスミュージックは好き?」。私は「うん」と答えた。そして彼は続けて「もしハウスミュージックが好きなら、このレコードを聴いた方がいい。このアルバムは多くのハウスミュージックに影響を与えたんだ。特別なレコードだから持っていて」。

──そのレコードがジョージ・デュークの『Master Of The Game』だった。

ニーナ 当時もちろん私はDJを始めていなかった。リスニング用のレコードを数枚持ってただけで、ほどんどCDかデジタル音源で音楽を聴いていたの。でもこのレコードとの出会いをきっかけに、本格的にレコード収集を始めたのよ。なぜならレコードショップに行ったのも初めての経験だったし、実は昨日のショーの後、私、眠らずにそのままレコードショップに行ったのよ(笑)。

沖野 ヴァイナル ・ジャンキーになる悪いきっかけを与えちゃったね(笑)。

ニーナ そして今レコードレーベルをはじめて、プレス・ファイリングなど、あらゆる工程を自分自身で行なっている。本当にヴァイナルが大好きになったわ。

沖野 昨日は娘の成功を観に行く父親のような気分だったね(笑)。最近日本のクラブシーンが変わってしまい、僕は複雑な心境でいたんだ。

ニーナ 日本だけじゃないわ。世界中どこでもそう。

沖野 有名なDJというだけで観に行くお客さん……彼らは音楽性を全く気にしない。でも昨日のニーナのプレイは、あまりこういう言い方をしたくないけど、いい意味でシリアスだった。

ニーナ ええ。私はクリエイティブなユーモアを除いて、間違いなくシリアスな音楽をプレイしている自信はあるの。デタラメじゃない。自分のセンスにおいて、いい音楽をいい順番でプレイするということに関して、本当にシリアス。もちろんシリアスになりすぎたり、ビジネスのことばかり考えたりしてないつもり。フロウやフィーリングも大事にするけど、音楽に対しては誠実でいる。

沖野 昨日は観客はハッピーでエキサイティングだったね。夜中の3時半に会場に向かったんだけど、入場制限で入れなかったくらい。会場内もたくさんの人で溢れてて、もちろんニーナの成功に感動したんだけど、同時にお客さんのリアクションにも感動したんだ……本当に良かった。これが本当のナイトクラブだ。

■プレイ中に一番大事なことは、
■自分が何をしているのか“自覚しない”こと(ニーナ)

ニーナ 実は私、DJを始めたころの音楽テイストはトランスだったの。でも、今までたくさんの音楽ジャンルを聴いて成長してきたから、さまざまな音楽を折り混ぜてアプローチする。それはまるで時代を旅をしているように感じるわ。ジャンルは音のパレットのようなもので、一枚の絵を描くにはどんなに小さな部分も重要で、身体も同じ。身体も全ての部分が繋がっていて、健康のために機能しているでしょ? だからどんな音楽も意味があると思っているの。音楽は経験を表し、すべての影響が今の現実を表しているのよ。

キャリアを始めたころは、本当に今と異なるジャンルをかけていた……ハウス、エレクトロ、そのほかいろいろ。最終的にテクノミュージックに移ったの。すべてのジャンルに面白さを感じたけれど、私はいつもある種のミスや偶然の一致で生まれたような音楽が好きだった。ただスタジオで作られた計画的なのものではなく、少しだけ未完成に感じるような音楽に魅力を感じていたの。イントロ〜アウトロなど形式にハマったものではなく、どこか調子外れで、でもソウルを感じるもの。

私がアンダーグラウンドシーンで音楽を勉強し始めたときから、もちろん多くの人々はこの手の音楽を支持していたわ。でもフェスティバルでのテクノはあまりにも国際的で、大規模で、自分が音楽を始めたときと大きく違ってきたの。リッチー・ホウティンはたくさんのミニマム音楽の遺産を残してきたけれども、彼の後から数多くのDJが彼のような音楽をプレイしていたから、テクノをかけることは本当に難しかった。当時私は、お客さんに何をかけてるか理解してもらえなかった……私の居場所はなかったのよ。

──認められるようになったのは……。

ニーナ 5年後、たくさんの人が私の音楽を求め始めた……本当に信じられなかったわ。フェスティバルでプレイすることは夢に見ていた出来事だったし、観客はみな盛り上がっていたから自由にプレイできた。ただこういう出来事はいつも起きる。この音楽シーンは本当に大きくなってきたけど、私の大好きな音楽はまだシーンに属していない気がしているの。私にとってテクノはテクノ。実際にはキックやベースラインなど曲ごとに多くの違いがあるでしょ? でもどんな種類の音楽があるのか、またどんな意図で作られているのかを区別することはとても困難よ。今でもフェスティバルでプレイしているとき、エレクトロやその他の音楽をセットの中に取り込もうとしているわ。その中で分かりやすい音楽になりすぎないようにすることは本当に難しかった……もちろんセットの流れも重要だけど、時には感情的になりすぎず、人々のリアクションに気をそらす必要もある。

自分が何をかけたいかは、自分を感じれば分かる。自分が心地よく自由になって、本当に良い音を流す……おかしく聞こえるかもしれないけど、それ以上ことは何も考えなくても、曲を混ぜ合わせることができるわ。一番大事なことは、自分が何をしているのか“自覚しない”ということ。自分のしていることは分かっているし自分を感じているけど、していることについては何も考えない。トラックを見つけてミックスする前に、何をプレイするかは分かっているでしょう? 間違いが認められず、計画的で、機能性ばかりでは人間らしくない。テクノフェスティバルでひとつのリズムだけをプレイし、このエネルギーを維持し続ける。それだとアーティストとしてどうあるべきか、理解できないわ。フェスティバルでは誰もが同じような音楽をプレイしていて、ほとんどの音楽が典型的。何もかもが同じだとは思わないけど、とにかく、音楽がどこかに行ってしまったように感じる。だから沖野さんが音楽が変わってしまったと話してくれたことにとても感謝している。わたしもそのことについて、長い間自問自答して来たから。でもそれはネガティブな感情ではないと思う。苦手な部分に対しての一意見なだけ。

でも幸い、私はポジティブな部分にこだわることでモチベーションをあげているわ。だって観客は私たちがプレイをしているときに本当にリスペクトしてくれているから。それは小さいクラブではなおさら分かる。フェスティバルは常に2時間セットで決められたものをプレイする必要があるし、クラブカルチャーはフェスティバルによって死にかけているけど、だからこそクラブでの貴重な3〜4時間は自由でいられるし、表現したいものをなんでもかけられる。

実際、何時間回すことが最善なのかは分からないけど、短い時間では自由でいられなかった……フェスティバルでは、観客が音楽に対して不満をあらわにする。それはあまりにも野蛮だし、おかしく感じる。自分で自分のセットを聴き直しても、常に何か起こっていると思うし、20分間高いエネルギーを保ち続けてプレイしている場合、自分でもテンポに対して少し速くしすぎたとか、落としすぎたとか、ドラムや、別のビートがもっと必要だとか気づくことがある。でも多くの観客は20分間、ブレイク、ビルドアップ、ドラムが起こらなかったらつまらなく感じるみたい……フェスティバルのそういう部分はあまり好きじゃないわ。だって瞑想をしているときと似ている状況でしょう? どんな状況でも常に世の中は変わっている。ロブスターは成長するにつれて硬い殻が窮屈に感じる。殻を壊すのに十分な力があっても、殻のなかは暖かいし、醜い体を見せるのには勇気がいる。でも殻を壊すことで新たに成長できる。これが全てにおいて言えることだと思う。場に馴染めないとしても、自分の殻を破ることで大きく変われる。それこそすごく素敵なことよ。

沖野 とても共感するね。本当にあなたはプロフェッショナルだ。たまにすでにミックスされた音源をワンプッシュで流して場を盛り上げるとか、コンピューターでプログラムされたものを流して、「イェーイ」ってやったりしているDJを見かけるけど、ニーナのセットは即興的でリアルだよね。さっき何も考えないで、ありのまま音楽をかけると話していたけれど、独自の世界観があって自分の世界の中で演奏しているように見える。

Photo by Ryuya Amao

ニーナ もちろんときどき考えることもあるわ。多くのDJは、クラブ内で誰がボスなのかを気にしている……でもボスだってクラブの中ではひとりの人間よ。目の前で起きてること、もしくはプレイ中に何を感じるかが最も重要だと思ってるの。音楽はシチュエーション。パーティはドラマのように、さまざまな演者がいて、それぞれの役割は違うのよ。

スクリーン上で見るのはたくさんの演者たちだけど、ひとつのショーはたくさんの人々で成り立っている。だから私はリスナーの存在も経験の一部と考えているわ。誰も経験できない特別な経験。けれど遅かれ早かれシーンの考え方は変わっていくと思う。なぜならすべてのショーに対して真剣に取り組んでるし、昨夜のセットに不満な人はあまりいなかったと思う。技術的なことだけを話しているわけではなくて、今までと全く違う新しい状況と新しい人たち、そして新しいサウンドシステムと新しい音楽に対して。

沖野 昨晩の観客の反応は本当によかったと思うよ。プレイする環境、場所、国、時間、天気、人々のバランス、異なる世代によって生まれる観客のリアクションは、DJにとって非常に重要だよね。以前大阪で共演したとき、僕は屋内、ニーナは屋外でプレイしていたよね。そのときのニーナのプレイを観に来たブース前の観客はほとんど女性だった。でも昨日のお客さんは男性が多く、彼女のセットに絶叫していたのが印象的。本当に前回観たときと印象が違った。観客は彼女の選曲に影響されていたんだと思う。なぜならセットからとても強いエネルギーを感じたから。

◆対談(2)
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