【連載】Vol.064「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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マイケル・ジャクソンの兄 ティト・ジャクソンがB.B.キングス・ブルース・バンドと素晴らしいLIVE!ブルーマンとしての真骨頂を発揮したそのステージに大感激!!



ジャクソン・ファイヴがデビューした頃、既に僕はフリーランスのライターとして主に雑誌やレコードのライナーノーツを執筆していた。今でも変わらず同じことをやっているんだけどネ。その当時ジャクソン・ファイヴの日本盤シングルやLPの解説も書かせて貰った。またソウル・ミュージックの師匠・桜井ユタカさん発行編集責任者だったファンジン『SOUL ON』(何とネーミングは僕です、ホントの話)でも執筆者/インタビュアー/カメラマンとしてお手伝いしていた。73年のジャクソン・ファイヴ初来日時のウェルカム・パーティーでマイケルやティトと会った。その模様は『SOUL ON』73年5月号に掲載されている。また同誌でB.B.キングのインタビューも行った(海外のアーティスト僕がで初めて名刺をもらったのはB.B.なんだ!住所はNYの事務所になっている)。


▲『SOUL ON』73年5月号 from Mike's Library

僕にとって40数年前にいろいろ関わったアーティストが一緒に揃ってBlue Note TOKYOで【B.B.KING'S BLUES BAND FEATURING TITO JACKSON】として来日公演を行う。2月1日ファースト・ステージ前、僕はティト・ジャクソンとBBKBBのジェームス“ブーガルー”ボールデン、ラッセル・ジャクソンにインタビューした。

まずはティト・ジャクソン!



Mike:音楽との最初の出会いから教えてください。
Tito:僕が幼いころ父と叔父が毎週末ギターをプレイしていた。僕は彼らの演奏がとても大好きだった。いつもあんな風に弾いてみたいと思った。父は僕に「ギターは絶対に触らないように!」と言っていたんだけど、当時7~8歳の頃だったんだけど、クローゼットにしまってあったギターを取り出して内緒で弾いていたんだ。ある時、弦を切ってしまって僕が弾いているのが父にばれてしまった。その時はとても怒られたものだ。でもそれでもあきらめないで弾いていたんだヨ。それから父は僕の中に才能を見つけたようでそのギターをくれたんだ。エアライン・ギターだったよ。今でも持っているし時々弾いているんだ。

M: 1960年代初頭にジャクソン・ブラザーズというグループがスタートした時の経緯を教えてください。
T:僕が小さい頃に母がキッチンでよく歌っていたカントリー・ソングに僕がハーモニーをつけて遊んでいたんだ。父はラジオでかかる曲を全部覚えなさいと言っていた。中でもモータウン・サウンドが好きで、ラジオでオン・エアーされる殆どの曲を覚えたものさ。僕とジャーメインが主に歌っていた。そう、テンプテーションズ、アイズレー・ブラザーズなど。その後マイケルが学校で歌い始めた。彼は僕たちと歌いたがっていたけれども、まだ小さかったからまだ上手くかみ合わなかった。当時マイケルは5歳くらいだった。それでもマイケルとマーロンをグループに入れたんだ。ジャクソン・ファイヴの誕生だ。さっきも少し触れたけれどジャッキーとジャーメインと僕が部屋でよく歌っていた。父が朝早く起きて仕事に出かけるんだけど、僕たちが歌っていたのでうるさくて眠れなかったみたいで、よく静かにしろと叱られたものだ。でも母が父に「彼らの歌をちゃんと聴いたことがあるの?」と言った。「彼らはとってもいいわよ。何か良いものを持ってるんじゃないかしら」。ある日、父がしっかり僕らの歌を聴いてくれて、父も母と同じように感じたようだ。 次の日、父がマイクやアンプやPAなどの機材を揃えてきたんだ。それから毎日リハーサル。学校から帰り家のドアを入るとすぐにマイクの前に立って練習を始めるのさ。父は本当に真剣だった。僕らも何かを成し遂げようと本当に真剣だったんだ。父にとっても鉄工所の仕事から解放される唯一の手段でもあったんだ。彼は子供がたくさんいたから、これは何か大きなことが起こるかもしれないと思ったんだろう。本当にその通りになったよ。



M:60年代中期、ジャクソン・ファイヴはアメリカ東部や中東部でライヴ活動。その頃はどんな楽曲を取り上げていたんですか?
T:モータウン・ナンバーが中心。アイズレー・ブラザーズ、サム&デイヴ、そしてスタックスのヒットなど殆どがカヴァー・ソング。何曲かブルースも演ったよ。シカゴではペパーミント・ラウンジ、ガイズ&ギャルズなどのクラブでもギクをした。毎週末どこかでギク。最初のレコーディングはモータウンではなかったんだ。60年代中頃に「I'm A Big Boy Now」をリリースした。それはオリジナルだったけれども全国には全く流れなかった。今ではyoutubeにアップされているみたいだ…。

M:モータウン・レコードからセンセーショナルにデビュー。「I Want You Back」「ABC」で一躍大スター。当時どんな気分でしたか?
T:僕らは子供だったからからあまり実感がわかなかったんだ。どれだけ多くのファンの心をつかんだかなんて分らなかった。自分たちがスターだということは大人になってから実感した。子供の頃は単に楽しみたいだけだから。そう、いろんな国を旅行したり、知らない街に行ったりすることが楽しかった。音楽的に本当に集中するようになったのももっと成長してからのことだ。ロックの殿堂にノミネートされたと聞いた時も、何それ?僕たちはそんなに歳をとってないよと思ったものだからね(笑)。ロックの殿堂に選ばれた歴史上1番若いグループなんだ。モータウンでデビューした時、僕は14歳でマイケルは9歳だったじゃないかな。



M:普通の子供時代を送れなかったことに対して、憧れのようなものはありましたか?
T:知らなければ何とも思わない。子供の頃からノーマルな生活を送ってこなかったから、ノーマルとはどういうものか知らなかった。他の子供たちがどういった生活をしているのか分らなかった。今、あの頃に戻ってもう一度チャンスをくれると言われれば、多分同じ道を選んだと思う。父はいつも言ってたんだ、人生は子供時代よりももっと大きなものだと。大人になる準備をしなければいけない。大人でいる時間の方がずっと長いわけだからね。子供でいる時間は本当に短いものさ。せいぜい18歳くらいまでだろう。だから子供時代のことを恋しく思うってあまりないね。もっともマイケルは僕よりもずっと子供時代のことを恋しく思っていただろうけれど。それでもマイケルが大人になってから達成した多くの素晴らしい出来事は、あの子供時代の準備期間があったからこそなんだよ。そして僕たちは常に兄弟であり友達であった。全てを一緒に経験してきたんだ。

M:1973年の初来日時、東京ほか数か所でジャクソン・ファイヴのコンサート。広島でアンプがトラブル、貴方がブルースを弾きまくって急場をしのいだという記録が残っていますが、その時のことを憶えてますか?
T:それはホントのことだよ。そんな経験は何度かあった。もしステージでマイクの音が出なかったりすると「ティト、ブルースをやってくれよ」って言われるんだ。ブルース進行の曲にギターソロをずっと弾くだけだったけどね。

M:1985年の“WE ARE THE WORLD”の想い出を語ってください。
T:素晴らしいイベントだった。僕らがスタジオに入ろうとする時クインシー・ジョーンズが「皆エゴはドアのところに置いてきてくれ」と言ったのを今でもよく憶えている。スターと呼ばれる人の殆ど全てがその部屋にいたんだ。



M:貴方はブルースのスペシャリストでもあります。いつ頃からブルースと親しむようになったんですか。
T:父がブルースをプレイしていた影響だね。ギターでブルースを弾くのが好きだった。60年代初頭の頃さ。B.B.キングが家族のお気に入りだったんだ。両親がよくB.B.を聴いていた。ポップスが僕をスターにしてくれたけれど、心の中ではいつもブルースが大好きだった。だから僕はクローゼット(押し入れの中の)・ブルース・プレイヤーだったんだ。ステージでしっかりプレイする機会はあまりなかったからね。僕自身の活動を始めるまでは。だから今こうしてB.B.キングのバンドと一緒に演奏できるのはとても特別なことなんだ。
M:B.B.と共演したことは?
T:B.B.キングとは何度か会ったことはあるけれど、共演したことはない。一度、彼のライヴに行った時に共演させてくれそうだったんだけれど、ギターを持ってなかったんだ。家に取りに帰ってもいいかと聞いたら、マネージャーがもうライヴも後半であと1~2曲で終わってしまうと言われて、共演の機会を逃したことがある。そこで次の機会にはギター持って、さらに母も連れてB.B.のライヴに行った。ところがその頃には彼はミュージシャンをステージに呼んでジャムすることをしなくなっていたんだ。実はプロになって最初のギターは68年か69年だと思うけど、ベリー・ゴーディー・ジュニアからプレゼントされたものなんだ。これはB.B.と同じモデルで彼のサイン付さ。今でも大事にしている。


▲提供:ソニー・ミュージックレーベルズ

M:2016年発表『TITO TIME』はファースト・ソロ・アルバム!
T:アルバムを制作したことはとてもグレイトだった。とても遅れたけどね。自分が家族の中でソロ・アルバムを作った最後のメンバーだった。みんな不思議に思っていたと思うよ。でも将来的には2枚目、3枚目を完成させたい。次はブルース・アルバムを作りたいね。B.B.キング・ブルース・バンドと今年の夏にはレコーディングする予定だ。

M:では最後に家族や音楽仲間について一言お願いします。
T:長男のジャッキーは元気にしてるよ。今でも家族の中で長男の役割を果たしてくれている。
ジャーメインは東フランスに住んでいる。人生を満喫している。そしてツアーも楽しんでいる。
マーロンはいつも楽しい男だ。いつもジョークを言っている。ジョージア州アトランタ在住。エンターテイメントも楽しんでいるようだ。
マイケルは我々ともう一緒にはいない。
ランディは元気だ。ジャネットが来週日本にツアーでやって来る、ランディも一緒の予定だよ。
リビーも元気だよ。彼女は母親と一緒に住んでくれている。長女だからね。まさにビック・シスター。
ラトーヤは今でも仕事をして、パフォーマンスを続けている。
3人の子供たちタジ、ダリル、ティージェイの3Tは特にヨーロッパで多くパフォーマンスをしている。レコーディングも続けているね。とてもよくやっている。

そしてベリー・ゴーディー・ジュニア。昨年6月に父ジェセフ亡くなった時に会った。
ダイアナ・ロスとはもう何年も会っていない。でも彼女は元気でやっているはずだ。
スモーキー・ロビンソンとはよく会っている。歳を経るごとに若くなっている感じがするな。愛と幸せを体現してるような人だと思う。
スティーヴィー・ワンダーとは年に1度は会っている。伝説的な人物だ。偉大なミュージシャンでもあり素晴らしい人物でもある。父の葬式でもパフォーマンスしてくれたんだ。とっても良い人だ。
『TITO TIME』に参加してくれたベティ・ライトは40年来の友達だ。素晴らしいシンガーで素晴らしい人物だ。ほんとに美しい人だよ。

☆☆☆

▲ティトと菊田俊介(右)&筆者


▲for Mike's Collection


ジェームス・ブーガルー・ボールデン



M:貴方が首を振るパフォーマンスは有名で僕はよく憶えていますよ(笑)。
J:そうだね(笑)。医者から停められているから今はもう出来ないんだけどね。
M: B.B.キングと35年間一緒に活動してきたので、彼との思い出は沢山あるでしょう…。
J:沢山あるけど、やはり一番はB.B.がバンド・メンバーを家族のように思っていたことだよ。もしメンバーの誰かが何か必要であれば必ず手を差し伸べてくれた。顔の表情や話し方などで、その日の自分たちの状態を感じ取ってくれる人だった。「息子よ大丈夫か」とB.B.が聞いてきて、「大丈夫です」と答えても彼は 「本当に大丈夫か」と再び聞いてくる。やっと自分が抱えている問題などを心開いて話すと、彼はそれについて何とかしようといつも対策を考えてくれた。メンバーの皆をそうやって家族のように扱ってくれたんだ。まるで自分の子供のようにね。バンドのこともいつも気にかけてくれて「俺はいつでも引退できるけれど、バンドの皆には仕事を与えてあげたい。だから今でも続けているんだよ」とよく言っていたものだよ。



M:このB.B.キングス・ブルース・バンドのプロジェクトはあなたのアイディアによるものですか?
J:B.B.が亡くなった後も活動を続けようとメンバーで話し合ってはいたんだ。だから解散はしなかったんだ。でもメンバーは大きく変わった。サックスのメルヴィン、トランペットのスタンリー、ギターのリオン、キーボードのトニーら当時のメンバーの殆どが亡くなってしまったんだ。新しいメンバーを迎えなければならなかった。そこで昔B.B.と一緒にやっていたラッセルを呼び寄せたんだ。バンドを続けることでB.B.の音楽や彼が残した偉業を伝えていくことが出来るからね。この後もメンフィス、ミシシッピー、メリーランド、マサチューセッツ、カリフォルニア、フロリダなど全米もいろいろ回る予定だ。
M:ティトは南部で一緒に演る。他の都市はマイケル・リーをリード・シンガーに迎えることになっている。



☆☆☆

ラッセル・ジャクソン



M:B.B.キングとの出会いは…。
R:B.B.と活動を始めた時、僕はまだまだ若かった。20歳からベースを弾き始めて22歳のときにオーティス・クレイのバンドに入った。1970年代後半の名盤『LIVE!OTIS CLAY』では僕がベースを弾いているんだ。
それからB.B.キングのバンドに移ったんだ。24歳の時だった。まるで父と子供のような関係だったよ。これをしなさい、あれをしなさいといろいろ教えてくれて、今自分がこうしてベーシストとしてやっていけるのもB.B.のおかげだと思っている。街から街へのバスの長い移動が多かった。そんな中でB.B.はよく「僕は君にこんなプレイをして欲しいんだ」と言ってくれた。まるで父親のようなものだね。僕を気遣ってくれ、そして成長させてくれた。彼とは7年間活動をともにしたんだ。24歳から31歳。ほんとに多くのことを学んだヨ。



M:ティトとはどのぐらい一緒に演ってるんですか?
R:1年半位だね。B.B.キングス・ブルース・バンドが活動を始めてからティトと一緒にやるようになった。最近はお互いに良いグルーヴが出てくるようになった。今度、ティトとB.B.キングス・ブルース・バンドがレコーディングをする予定なんだ。ジェームスと僕は80年代に一緒にB.B.のバンドで活動していたので、彼の音楽やレガシーをこれからも伝えていこうと話し合っているところだ。



協力:Shun Kikuta(菊田 俊介)

☆☆☆☆☆

インタビューが終了して1時間後、取材でいろいろ協力してもらった我が国を代表するブルース・ギタリスト菊田俊介とワインやビールをあおりながらB.B.KING'S BLUES BAND FEATURING TITO JACKSONを楽しんだ。菊田はトランペットのジェームスやギターのウィルバート・コスビーとは旧知の仲だそうだ。

まずはBBKBBが4曲披露、B.B.のステージを彷彿させるようにオープニングはスタンダード「Let The Good Times Roll」。B.B.&ボビー“ブルー”ブランドのデュオでもヒットした名作。ラッセルがしっかりシャウト。



そしてバンド・リーダーのジェームスがメンバー紹介。続いての曲はこれまたB.B.でお馴染み、そしてジェームスもMCでちょっと触れたようにメンフィス・スリム作品「Every Day I Have The Blues」。ジェームスがエキサイティングに歌い上げる。





ウィルバートのギターも冴える。ラッセルはウッド・べース。ブラス・セクションも早くも全開。ダレル・ラヴィーンのキーボードもブルージーだ。
マディ・ウォーターズの51年のヒット「Honey Bee」が3曲目。ウッド・ベースを弾きながらヴォーカルはラッセル。スローなブルースの世界に酔いしれる。エリック・デマーのサックスに大きな拍手だ。
BBKBBでの最後はB.B.69年のヒット作「Why I Sing The Blues」。ミディアム・アップのファンキーなナンバー、ジェームスが歌う。ラッセルはエレキ・ベース。ここでもエリックのサックスが光る。曲後半でジェームスがダイナミックなMCでティト・ジャクソンを呼び込む。ジャクソン家の次男はレスポール/ゴールドトップで登場だ。いきなりギター全開でティト&ウィルバートのGTRバトルを展開して観客を一気にブルースの世界へと誘う。



まずは「T Bone Shuffle」、タイトルでお分かりのようにT-ボーン・ウォーカーの代表作で49年にヒットしたスタンダード。ティトのブルース・ギタリストとしての敏腕ぶりを早くも披露。素晴らしい!菊田も脱帽だ。



続いてのナンバーはティトのオリジナル「Dirty Dawg」。ミディアム・アップのリズミックな展開によるソフィストケイトされた作品。思わず上半身ダンスしてしまった、WOW!!
今度はB.B.作品が登場。52年のR&Bチャート、ナンバーバー・ワン・ソング「3 O'Clock Blues」。スロー・ブルースの名作である。ティトのブルース・シンガーとしてのエモーショナルな魅力を噴出したライヴ・ヴァージョンとして印象に残った。



そしてこんな素晴らしい楽曲もティトは取り上げてくれた。Z.Z.ヒル82年のナンバーから「Someone Else Is Steppin'In」。作者のデニス・ラサールほかバディ・ガイ、ジョニー・テイラーでも知られる。このステージではソウルフル&ブルージーなフィーリングが見事に醸し出されているのだ。チトリン・サーキットではお馴染みの楽曲だという。このナンバーは僕も何度となく通ったシカゴのサウスサイドにあったクラブ、アーティスでも人気があった。
そして再びB.B.名作の登場だ、「Rock Me Baby」64年作品。 ティトのB.B.へのリスペクトをひしひしと感じさせながら、彼のブルース・ギターに改めて感激させられてしまう。



最後はオリジナル・スロー・ブルース「I Need You」。ここでもティトのGTRをたっぷりと味わう。

アンコールでティトはレスポール・サンバーストを手にしてステージに再登場。雰囲気をがらっと変えての「Jackson 5 Medley」。リード・ヴォーカルはラリー・ボールデン。まずは69~70年にかけてのナンバー・ワン・ソングが続く、“I Want You Back(帰ってほしいの)”“ABC”。マイケルたちが衝撃的に登場した時を思い出す!この時ばかりは僕ら爺もダンス、ダンス、ダンスなのだ(大汗)。“The Love You Save(小さな経験)”も70年のベスト・セラー。そして74年のこれまたヒット“Dancing Machine”はまさにダンサブル。70年代同様、ティトがコーラスに絡む。またまたあの時代を思い出す。ジャクソン・ファイヴは“SOUL TRAIN”でも確かこのナンバー披露していた…。



そしてファイナルは再びブルース「The Thrill Is Gone」。B.B.70年のヒット作。ティトがまず歌いジェームスが続く。そしてラッセル。GTRではティト&ウィルバートのプレイをここでもしっかりと味わう。後半ではジェームス/ティト/ラッセルがステージ中央に揃って3人でシャウト!!!僕は1971年B.B.キング初来日公演でこのナンバーが披露されたことを思い出した…。



LIVEショット:提供 Blue Note TOKYO
Pic.by Makoto Ebi
インタビュー・ショット:Pic.by K.Sato

☆☆☆☆☆

【ライヴinfo】

☆ネイザン・イースト


▲提供:Blue Note TOKYO  Pic.by Kharen Hill

エリック・クラプトン・バンドの要、盟友ネイザン・イーストが自身のバンドを率いて来日!彼の華麗なる音楽歴を今更語るまでもないが、御大エリック日本武道館直前ライヴということもあり、僕は大いに期待している!この3月LIVEはどんな展開になるだろう!!エリック・ファン、ジャズ・ファン、ベース・マニア…、じっくりネイザンの演奏ぶりを楽しみたい。
*2019年3月4日 NAGOYA Blue Note
ファースト・ステージ 開場17:30  開演18:30
セカンド・ステージ  開場20:30  開演21:15
https://www.nagoya-bluenote.com/schedule/201903.html

*2019年3月5日 3月6日 Blue Note TOKYO
ファースト・ステージ 開場17:30  開演18:30
セカンド・ステージ  開場20:20  開演21:00
http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/nathan-east/

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