【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第80回「前川本城/中ノ内城(宮城県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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日本の中世の山城でベスト5に確実に入る最強な城、前川本城である。先にこの城の本当の呼び方をお伝えしたいので説明を入れるが、この城の本来の名前は中ノ内城が正しい。伊達の家臣だった砂金氏の城である。江戸時代に現在の川崎町の中心にある前川城を築き引越しをしたことにより廃城、その前川城の元の城、本城という意味で前川本城と呼ばれるようになったそうな。この城はマニアな私でも完全にノーマークだった。知ったきっかけは春風亭昇太さんのラジオ番組にゲストで出させていただいた時である。隙間産業である歌とROCKの方でのオーファーではなく、ありがたいことに私の本業である城について大いに語って構わないと言われ、同じく城マニアである春風亭昇太さんと楽しく城トークをさせていただいたわけだが、その会話の中でこの城の話題になり、行ったことがなかった私に対し春風亭昇太さんは

「鳥肌が立つくらい最高な城だからマジで行ってみて!」

と熱く語られていた。このくだりの「マジで」の部分を強く大きく発音すると本人に言われた感が出ます。



ネットなどで情報を調べてもあまり詳しい情報が入手出来ない。これは直接この目で見ないと語れない最高な城なんだなと思った。その件をtvkの私の城番組ミュートマ2の天才Dの菊谷さんに相談。菊谷Dに不可能はなく見事今年の1月撮影に成功。感無量である。この城こそ写真で全く伝わらない最高な城だと言える。むしろ凄すぎて何も言えねえ。

毎回城を撮影するにあたりその町の役場などに出向き、許可もいただき、なんでこんな城を撮影していただけるんですか~?何も残ってないですよ~?なんて言われつつ、我々のマニアックなアプローチが感謝される場合もありながら撮影をするわけなのだが、こういう役場や歴史委員会的な担当の方が窓口になって軽く説明をしていただけることがある。相手が歴史や城マニアじゃない場合は挨拶程度なものだが、たまに我々と同じくらいのマニアの方もいる。今回の川崎町教育委員会の歴史担当の栗野さん(仮名)は(仮名)本当に熱い方だった。名刺をいただくと前川本城の土塁の写真が載っているではないか!自分の顔を名刺に載せる人もいるがまさか名刺に土塁とは!まずここに超感動。本気にもほどがある。城まで案内していただき、色々と細かい歴史について教えていただけた。中島家は伊達の家来だったことを伝えると栗野さんも同じく伊達の家来とのこと。やはり宮城県には多くの伊達藩の末裔が残っており、城の大手付近、搦手付近の民家は伊達の末裔の方々が廃城になった後も住み続けて現在に至るとのこと。何それ?超熱いんすけど!


しかしこれだけの凄さを持った城の情報が上がって来ないのは何故だったのだろうか?中島卓偉のようにファンが閉鎖的で広げたがらなかった?調査報告が初めて出たのが昭和61年、縄張りが初めて作成されたのが平成4年、調査整備が入ったのは平成20年とされる。となると私がガキの頃に手にしていた城の本には当然載ってるわけがない。歴史がの詳しく書かれてないだけに謎も多い城である。誰も城に立ち入る者がいなかったことで保存状態が半端なく良い。伊達藩の支城として機能していたことがわかってはいるが、砂金氏が伊達の家臣になる前からあった城だけに当然支城というレベルや規模ではない。


現在は搦手口に掲示板や駐車場的な広場があるが、やはりここは大手から回って城に登ってほしいと思う。現在大手は完全に末裔の方の民家になっている。絶対に迷惑をかけてはならぬ。そこを抜けると早速大手の虎口がお出迎え。山城なのに道も割と広い。何度となく虎口を抜けると最初の曲輪になる。ここから大手に来る敵を常に見張ってる状態なので守りは相当頑丈だ。本丸と二の丸に入る前の馬出し的な場所が連続で続き、ここからはアップダウンがないのでどの方向にも歩けるのだが、ちょいちょい石垣もごろついていて、縦にも横にも堀が張り巡らされており、一筋縄にはいかない。土塁がくぼんでる場所があるので当時は本丸に向かう道は木橋が架けられていたことがイマジン出来る。土塁の角にはしっかりとしたスペースがあるので櫓台があったと言っても間違いはないだろう。大手から本丸を正面に見て右側は崖なので横に伸びた堀はいずれ崖に落ちる仕組みになっている。こういった排水もしっかり計算されているところが素晴らしい。崖の下は立野川が流れており、天然の水堀として機能。本丸には門跡が二ヶ所。二の丸は真ん中に仕切り土塁もある。本丸の裏に崖に降りていく虎口の門跡がある。先には道が無くどう機能していたか興味を掻き立てられる。天守台のような一つだけ高くなってるような場所はなかったので、本丸のコーナーにそれぞれ櫓が存在しただけかもしれない。



とまあここまで書いて来て、中ノ内城の一番凄いところは本丸や二の丸や大手ではない。ここからがこの城の最大の魅力である。まず二の丸の外にある空堀、しかも二重に掘られている。崖の近くになると三重になる部分もある。しかも全ての土塁が10メートル以上もある。深いし高さもあるし、急斜面ではっきり言って超危ない。この大きな堀と土塁が大きくカーブしている。これを初めて目の当たりにした時、

「え?なんで?」

とその凄さに圧倒された。どうして城の裏にこれほどまでの土塁と堀があるの?というサプライズ。イマジンを超えていた。まさに鳥肌である。これはもう土の芸術と言うべきか、保存状態が良いと言うより、保存状態が良過ぎて戦国時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥る。きっとこういう感じだったんだろうと心から納得出来る。本当に凄すぎて言葉を失う。だがこの場所こそ写真でもテレビでも伝わらないのだ。このスケールがしっかりと伝わらない。なのでこれはもう自分の目で確かめてみるしかない。とにかく凄いのだ。その三重にもなった堀を山の方に散策していくとこれまた真ん中に浅めの空堀が縦に伸びていた。搦手の横の丘も曲輪として機能していたことがわかるような土塁と空堀が確認出来るので、この二重、三重になった堀の向こうにも家臣が住む曲輪が存在したのではないかとイマジンしたい。現在は木が切られており見学がしやすい状態になっていて感謝なのだが、江戸時代の初期に砂金氏がこの城を出てしまってから400年以上経ってもこれほどまでの存在感、保存状態、脱帽だ。もちろん一時は自然に帰り、誰も訪れることがない城だったわけだし、歴史に詳しく書かれていなかった城だけによっぽど情報も薄かった。城跡が辿る運命として、公園になるわけでもなく神社になるわけでもなく、壊されもせずただずっと、ひっそりとそこにあった。中島卓偉の「福岡」という名曲の歌詞のようだ。おかげで現在我々がこれほどもまでに感動出来るわけだ。超感動。ここ最近は他県の見学者も増えているらしく、もっともっとこの城の凄さが全国に伝わると良いなと思う。前川本城をネットで検索するとまず最初に春風亭昇太さんがこの城に行った時のブログがヒットするので春風亭昇太さんの影響力は絶大である。春風亭昇太さんも私のこのコラムを読んでくれたらしく、

「たまに来る下ネタが絶妙だね」

という城や歴史と全く関係ない部分への最高な褒め言葉をいただいた。


初の見学から興奮冷めやらず、この城の情報に熱くなり色々と調べていた私は、ある日そこそこ良い感じに書いてある城の本を本屋で見つけてそれを購入しようとレジへ。そうだ、図書カードがあったんだと思い提出。そうすると気の弱そうな店員さんが

「あのう…歴史関係の雑誌社の方ですか?」

と来た。いやいや~そんなそんな、ってちょっと待てよ?城番組やったり城コラム書いたりしてるのがとうとう本屋にも浸透してきたってことか?おいおい!良い感じじゃねえか~!
と手応えを感じながらも冷静なフリして、

「いやいや、そういう者じゃありませんので」と返す私。

そこで店員さんは図書カードを見て「栗野さん?ですか?」
私、「栗野さん?」

と、出した図書カードをよく見てみると栗野さんからのいただいた名刺だった。まだ財布の中に入れっぱなしにして図書カードと間違えて栗野さんの名刺を出してしまっていた。撃沈!

私、「ああああ!すみません!間違えました!これでお願いします!」

と、もう一度改めて図書カードを出すと、店員さんが今度は

「中島さん…?ですか?」と来た。

おいおい、やっぱり?城番組やってきて?城コラムも?誰も期待してないところかから書いてきて?こういう本屋でも?中島卓偉の歴史っていうか?城好きってことが?浸透して来てて?やっぱりロックやって歌うよりも?城の方が勘違いされずにちゃんと本質が伝わるっていうの?とうとうそういう時代がやって来た的な?まあそうなんでしょうね。そうだと思いますとも。

店員さん「あのう…今日はそれでどう言ったご用件で…?」

私、「え?ご用件?いや、図書カードでお願いしますってな感じなんすけど?」

店員さん「あのう…じゃあ、これでは…」

と返された物は、図書カードじゃなく、私の保険証であった。殺してくれ。

あぁ 前川本城(中ノ内城)また訪れたい…。

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