クイーン+アダム・ランバート、“伝説誕生の瞬間”を再び

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3月上旬、WOWOWでクイーンの歴史的ライヴ映像3篇が集中的に放映されることについてはこれまでにもお伝えしてきたが、今回はそれを締め括る3本目のライヴについてご紹介しておこう。1986年、1975年のロンドンへとタイムスリップした後に届けられるのは、2014年8月17日、千葉・ZOZOマリンスタジアム(当時の呼称はQVCマリンフィールド)でのライヴ・パフォーマンスだ。

その時期や会場からすぐに察することのできる読者も多いはずだが、これはクイーン+アダム・ランバートが同年の<サマーソニック>でヘッドライナーを務めた際のものだ。クイーンは1986年を最後に、ライヴ活動を停止。1991年11月にフレディ・マーキュリーが他界し、のちにジョン・ディーコンは脱退を表明。解散を宣言することはないながらも、バンドとしてステージに立つことからはずっと遠ざかっていた。その長い沈黙が破られたのが、ポール・ロジャースをフロントに据え、クイーン+ポール・ロジャースとして行なわれた2005年から2008年にかけてのツアーであり、2005年10月から11月にかけてはその形態での日本公演も実現に至っている。


ブライアン・メイとロジャー・テイラーが、そのポール・ロジャースに続いて声を掛けたのがアダム・ランバートだった。アメリカの人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』にアダムが出場し、その際にゲスト出演していたブライアンとロジャーが彼の歌唱に圧倒されたことが、そもそもの始まりだった。いくつかのTV出演などの機会を経ながら、クイーン+アダム・ランバートは2012年に本格始動。そして、2014年の<サマーソニック>は、その布陣での初の日本上陸の機会となったのだった。

WOWOWでは同年、そこでの彼らのライヴ・パフォーマンスの模様を放映しているが、残念ながらその際には一部の演奏曲を紹介することが叶わなかった。が、今回は全演奏曲がオン・エアされることになる。

筆者自身も当然ながら同夜は会場に居り、その一部始終を目撃していた。正直に告白すれば、そのライヴは涙で視界が歪んでしまうような瞬間の連続でもあり、とても冷静に観察し続けられるものではなかった。その記憶を辿ってみようと、当時書いた記事を掘り起こしてみると、僕は「伝説誕生の瞬間。こんな言葉を安易に使うべきではないことは充分にわかっているつもりだが、おそらく僕はそれに立ち会うことができたのだろう」と書いている。その際の長いレポートの一部を要約し、この場に引用しておくことにする。

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胸の高鳴りと同調するかのような「プロセッション」が聴こえてきた瞬間、いきなり涙が溢れてきた。これは単なるオープニングSEであり、ステージはまだ幕に閉ざされている。が、なにしろこれは、僕自身が間違いなく生涯を通じてのベスト・アルバムのひとつに選ぶはずの『クイーンII』(1974年)の冒頭に収められていたもの。しかもそれに続いて聴こえてきたのは第三作『シアー・ハート・アタック』(同じく1974年)から生まれたヒット曲「ナウ・アイム・ヒア」だ。この冒頭の流れは、このバンドのファンの間でも長きにわたり伝説的ライヴとして語られてきた、1974年11月、ロンドンのレインボー・シアターでの公演の際のオープニング展開と同じものである。それに気付いた時、きっと僕は40年前へとタイムスリップしていたのだろう。

そこから先も、付き合いの長い曲ばかりが続いた。メタリカによるカヴァーでもお馴染みの「ストーン・コールド・クレイジー」が序盤から飛び出したかと思えば、そこからいきなり「地獄へ道づれ」へと転じていく。どんな時代の、どんな傾向の楽曲が飛び出してこようと、多様性に富んだクイーン・サウンドは完璧な構築感を失わず再現され、アダムも器用だとか臨機応変といった次元ではない変幻自在さで、さまざまな楽曲の登場人物を演じていく。かつてフレディがそうしていたように。

たとえば「キラー・クイーン」。この曲におけるアダムのパフォーマンスには、ミュージカルさながらのものがあった。扇子を手にしてソファに横たわり、シャンパンのボトルをあおるその姿は、まさにこの曲の物語の主人公そのもの。誤解を恐れずに言えば、フレディすらもこの曲の世界をここまで演じきってはいなかったのではないかと思う。

アダムは1982年生まれ。クイーンの作品に置き換えれば『ホット・スペース』と同い年にあたる。彼は『アメリカン・アイドル』から生まれたポップ・スターだが、実はそれ以前から舞台俳優、ミュージカル俳優としてステージに立ってきた。いわゆるロック・バンドでの派手な実績などよりも、クイーンのフロントに立つうえで有効な素養が、彼自身のなかで長年にわたって育まれていたのだ。

フレディの声域と特徴的なメロディを難なく踏まえることができる彼は、オリジナルの歌いまわしやニュアンスを大事にしつつも、いわゆる物真似をしてみせるわけではなかった。そこに僕は、フレディとクイーンに対する彼なりの最上級のリスペクトを感じたし、僕自身もまたアダムに対する敬意をおぼえた。その彼が、スクリーン内に映し出されるフレディと歌声を重ねる場面にも心を打たれるものがあった。そう、この夜はフレディの姿も幾度か視界に飛び込んできた。ライヴ中盤、ブライアンがアコースティック・ギターの弾き語りで「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」を披露すると、その歌を途中から引き継いだのは、スクリーンのなかにいるフレディだった。

また、ロジャーが歌った「輝ける日々」にも味わい深い感動があった。『イニュエンドウ』(1991年)から生まれたこのヒット曲のオリジナルはもちろんフレディの歌唱によるものだが、この楽曲自体はロジャーの作によるもの(クレジット上はバンド名義)。そしてその歌詞は「僕の残りの人生はただの見世物になってしまっていた/あの頃は生き生きとしていたし、悪いことなどほぼ皆無だった/そんな日々はすべて過ぎ去ったが、今はただ真実がある」と綴られている。涙でぼやけた視界のなかにロジャーの姿を捉えながら、僕は、その歌詞を口にしていた。ある意味、好きな音楽というのは残酷なことをするものだ。その曲自体が大好きだというだけの理由で、意味深長という言葉では足りないほどに重く染みるこんな歌詞を、自然に口ずさませてしまうのだから。

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この夜の素晴らしいパフォーマンスは、1970年代、1980年代のライヴや1992年4月のフレディ追悼コンサートなどと同様に、語り継がれていくべきものだと僕は思う。そしてクイーン+アダム・ランバートは2016年9月には日本武道館での三夜公演を行ない、当然のごとくそれを大盛況のうちに終えている。2019年、果たしてこの布陣での三度目の日本上陸の可能性はあるのか? 彼らはこの7月から北米ツアーを開始する。その動向に注目すると同時に、まずはこの2014年の記念すべきライヴ・パフォーマンスを、改めて目に焼き付けておきたいところだ。

文:増田勇一
(c)SUMMER SONIC All Rights Reserved

『クイーン ライブ・アット・ウェンブリー・スタジアム 1986』

2019年3月3日(日)午後5:30 [WOWOWプライム]
2019年3月7日(木)夜9:10 [WOWOWライブ]
収録日:1986年7月12日
収録場所:イギリス・ロンドン ウェンブリー・スタジアム

『クイーン オデオン座の夜 ~ハマースミス 1975』

2019年3月7日(木)夜8:00 [WOWOWライブ]
収録日:1975年12月24日
収録場所:イギリス・ロンドン ハマースミス・オデオン

『クイーン+アダム・ランバート LIVE from SUMMER SONIC 2014』

2019年3月7日(木)夜10:30 [WOWOWライブ]
2019年4/26(金)夜8:30 [WOWOWライブ]
収録日:2014年8月17日
収録場所:千葉・QVCマリンフィールド

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