【インタビュー】寺島惇太、ソングライターとしての手腕も発揮したミニアルバム『29+1 -MISo-』でアーティストデビュー

ツイート

アニメ「KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-」の一条シン役や、ゲーム「アイドルマスター SideM」の大河タケル役などで人気を博している声優の寺島惇太が、ミニアルバム『29+1 -MISo-』でアーティストデビューを果たす。これまでも数々の人気キャラクターを演じながらその歌声を披露してきたが、今作では自ら作詞・作曲も手がけるなど、ソングライターとしての手腕も発揮。本格的に音楽活動をしようと思ったきっかけはなんだったのか?その答えを探るべく、旺盛すぎる好奇心に突き動かされてきた彼の半生を聞いてみた。

■アニメやマンガを作って声優もやりたい
■声優になれたらその主題歌を自分で作って歌いたい


――1stアルバム「29+1-MISo-」が完成。いよいよアーティストデビューということで、喜びもひとしおといったところでしょうか。

寺島惇太(以下、寺島):そうですね、念願だったので。

――声優としてのお仕事は、今年10年目。今回のデビューは、区切りとしてのタイミングでもあったんですか?

寺島:気付けば10年という感じで、あまり意識せずにやってきました。でも9年目から10年目にかけての期間がとても濃密で、本当にいろんな経験をさせていただいたので、自分で意図したことではなかったけど、“10年目感”はすごくありました。(今回のデビューに関しても)念願ではあったけど「いつかできたらいいな」と思っていたくらいで、タイミングを見計らっていたわけではないんですよ。たまたま声優としての10年目に、ありがたいお話をいただけたので「ぜひ!」という感じでした。

――もうひとつ、30歳というタイミングでもあるんですよね。

寺島:はい。声優業界の先輩方を見ていても、結構20代はがむしゃらに仕事をやって、30代からは自分のやりたいことや趣味を踏まえた上での仕事のやり方をされてる方が多いんです。僕も20代のうちに色んな方と出会って作れた人間関係があるので、30代からはそういった人達と一緒に、何か独自のお仕事がやっていけたらいいなということは思っていたんです。音楽も、そういった中のひとつでした。

――もともと音楽はお好きだったんですよね。ラジオの選曲も、ひとクセあるなという印象です(笑)。

寺島:(笑)。確かに中学の頃から好きで聴いてきたのは、ヒットチャートに入るようなものじゃなくて、いわゆるインディーズのバンドとか、地元のCDショップでは売っていないようなアーティストだったんですよ。でも仲間内ではそれが普通で、カラオケに行ってもそういう曲を歌ったりしていました。「なんでこのバンド、1曲しか入ってないんだよ!」とか言いながら(笑)。

――ちなみにどういうアーティストだったんですか?

寺島:藍坊主とかLUNK HEAD、LOST IN TIME、tacica、あとはムラマサ☆とか。ムラマサ☆は解散しちゃいましたけど、僕の地元・長野の上田城でMVを撮影したりしていたんです。自分のラジオとかではそういうアーティストの曲をかけさせてもらったりもしてるんです。

――寺島さんご自身も、バンドをやっていたそうですね。

寺島:軽音部でコピーバンドをやっていました。それが解散したあとは、地元の友達と3ピースのバンドでthe pillowsのコピーをやったりして。そもそも歌がやりたかったんだけど、ギター&ボーカルが当たり前みたいなところもあって、全然うまく弾けないんだけど一応簡単なコードだけ弾いて歌っていました。僕は指が太くて短いんですよ。コードを押さえても他の弦に触っちゃったり、複雑なコードになると小指が届かない。軽音部に入った時も先輩に「君の指はギター向きじゃない」とか「下半身がどっしりしてるからドラムが向いてる」とか言われていました(笑)。


▲『29+1 -MISo-』初回限定盤


▲『29+1 -MISo-』通常盤

――歌がやりたいと思ったのは、何かきっかけがありました?

寺島:高校入学前の春休みに、初めて学校の友達とカラオケに行ったんです。それまでは、歌うのは好きだったけど恥ずかしくて人前では絶対に歌いたくなかったんですよ。合唱の練習ですらサボってましたからね。「ダセェ」みたいな。

――それ、女子に怒られる男子の典型ですね(笑)。

寺島:(笑)。でも家ではめちゃくちゃ歌うんですよ。田舎で周りは田んぼだから、深夜まで全力で歌って、いつも親から「うるさい!」みたいな。

――ものすごいギャップですね。

寺島:やっぱり田舎なんで、イケてないやつが目立ったことをするとバカにされるんですよ。中学の時は、イケてる人達とイケてない人達のヒエラルキーがすごかった。イケてる人はちょっと不良っぽくて、髪染めたり制服着崩したりして、カラオケとかボーリングとかもバンバン行ってる。それ以外の生徒は、ひたすら部活か勉強に打ち込むしかないんですよ。

――だからカラオケも、その時初めて行ったんですね。

寺島:無理やり連れて行かれたんです。最初は歌わずに見てたんだけど、一緒に行った人達がすごく下手で(笑)。下手なんだけど、カッコつけて歌ってるからだんだんイライラしてきて。

――俺の方が上手いぞと(笑)。

寺島:そうそう(笑)。それで歌ってみたら、みんなが「いいじゃん!」って。確か、BUMP OF CHICKENの「天体観測」を歌いました。褒められると調子に乗るので、そこから一気にカラオケにはまりましたね。

――これは想像ですけど、寺島さんはきっと耳がいいから、歌い方も少し真似てたんじゃないですか?より上手く聴こえるようなコツを掴んでいたんじゃないかなと思います。

寺島:言われてみれば確かに基本は完コピでした。曲によって歌い方を変えていましたからね。BUMP OF CHICKENの藤原基央さんのようなハスキー声になりたくて、喉に負担をかける歌い方をして喉を壊そうとしていましたし。ガガガSPも好きだったんだけど、怒鳴り散らすような歌い方とかすごい刺さるじゃないですか。

――キレイに歌うんじゃなくて、思いを叫ぶようなGOING STEADYとか。

寺島:そうです、そうです。でも僕はまだ声変わり直後で声も高かったし、どちらかというとマイルドな感じ。BUMP OF CHICKENの曲の低音とか出せませんでしたからね。

――そこから音楽の道を目指すのではなく、同じ声を使ったお仕事でも、声優を目指したのはどうしてだったんですか?

寺島:自分でわかったんです。僕の声は、自分が好きなタイプのバンドでやれる声じゃない。自分の声を録音して聴いても、「ロッカーの声ではないな」って。最終的にはどこかで挫折するだろうなって高校くらいの時に思ったんです。でも、歌は好きだから歌いたい。そんな時に、最近は声優さんでもアーティストデビューされてる方が多いから、そういう方向から行けば、ひょっとしたらこの声でもやれる歌手としての道に繋がるかもしれないなって思ったんです。

――どういった方に注目されてましたか?

寺島:やはり女性が多かったですよね。田村ゆかりさんや水樹奈々さんなど、声優の活動もやりながら何千人という規模の会場でツアーをやってらっしゃって。水樹さんは、地上波の音楽番組にもたくさん出てましたからね。その後、宮野真守さんもアーティスト活動を始められて、僕もこんな風になれたらいいな、すごい理想だなって思っていました。


――もともとアニメやゲームがお好きだったというのもあって、声優さんの活動に注目されたんですよね。

寺島:はい。僕は当時から色んなことに興味があって、軽音部だったけど、ゲームとかアニメとかマンガが好きなオタクでもあって(笑)。どっちが本当の姿なんだろう?って、結構異質な存在に思われてたみたいなんですよね。

――というと?

寺島:軽音部ではどちらかといえばちょっとイケてるグループの中にいるんだけど、読んでるのはオタクっぽいラノベだったりする。田舎だからオタクってすごくバカにされたりするんだけど、僕はあえて堂々と「これ、面白いから読んでみろよ」って勧めたりしながら、うまいこと融合させられないかなって思っていました。自分がいいと思ったものは色々貸したりしてたんですよ。で、そのうち全部やりたくなったというか。アニメやマンガを作りたいって気持ちもあるし、そこに出てくる声優もやりたいし、声優になれたらその主題歌を自分で作って歌いたいし…って。実際全部自分でやるなんて無理なんですけど、当時まだ16、17歳でしたからね。

――夢は膨らみます。

寺島:とりあえずマンガを描いてコミケで本を出したりして、次は当時普通に手に入ったソフトで友達とゲームを作ったりして。「じゃあこのゲームの主題歌作っちゃおうぜ」とか言ってやってたけど、何ひとつも完成しなかった(笑)。だって、絵はヘタクソだし、作曲する方法とか知らないし、なんとなくギター弾いて作っても次の日は忘れているし(笑)。

――若さがほとばしってますね(笑)。

寺島:若さ、若さ(笑)。そういうことを、ファミレスで喋ってる時がいちばん盛り上がってるんですよね(笑)。

――でもそうやって、今に繋がるタネをたくさん蒔いてきたんですね。

寺島:かもしれないです(笑)。

◆インタビュー(2)へ
この記事をツイート

この記事の関連情報