【インタビュー】THE YELLOW MONKEY、ソリッドで生々しくモダン・ロックの前線に位置する19年振りのオリジナル・アルバム『9999』

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2016年の劇的な再集結からおよそ3年、THE YELLOW MONKEYの19年振りのオリジナル・アルバム『9999』が、4月17日にリリースされた。ファンの期待する従来のイエローモンキー節を残しつつ、ソロを経て開花した吉井和哉の自由奔放な作詞作曲能力を軸に、ミュージシャンとして成長した4人の個性を掛け合わせたサウンドは、とてつもなくソリッドで生々しい、モダン・ロックの前線に位置するもの。バンドはいかにして過去のイメージを乗り越え、新しいブランドとしてのTHE YELLOW MONKEYを確立するに至ったのか? バンドの現状を語る4人の言葉は、予想より遥かに軽やかで明るい響きに満ちたものだった。

■3年という月日があってこそのニュー・アルバムだと思っている
■気持ちはインディーズというかアマチュアの気持ちに近かった


――生きていてよかったですよ。

吉井和哉(以下、吉井):それ言われたの、今日2回目です(笑)。

――しまった(笑)。でもそういう人、多いんじゃないですか。20年近く経って、まさかイエローモンキーの新作が聴けるとは、正直思っていなかったので。

菊地英二(以下、アニー):その言葉だけで嬉しいです。

――おととしの暮れ、東京ドームでライブを観ましたけど、あの時吉井さんが「来年は最大のミッションであるアルバム制作に入る」と言っていました。

吉井:何よりも、ファンが待っているんでね。我々も新譜を出さないと本当の再結成とは言えないと思っていたし、ドームのあとに本腰入れて作るつもりではありました。

――逆に言うと、2016年と2017年にライブを積み重ねることで、新曲はこういう方向で行くべきだとか、アルバムはこうしようとか、だんだん固まって行った感じですか。

菊地英昭(以下、エマ):そうですね。アルバムを作って再集結ということも可能だったのかもしれないですけど、想像がつかないです。うちらはライブ・バンドだし、まずライブでみんなの前に立って、演奏して、そこから何か生まれるものがあったら、そっちのほうが素晴らしいと思うし。元々ライブハウスでやってた頃も、ライブをやって新曲を披露するのが普通だったし、バンドの生い立ちがそうですから。それで正解だったと思うし、時間はかかりましたけど、3年という月日があってこそのニュー・アルバムだと思っているんで。見え方はゴージャスにやっていましたけど、インディーズというか、アマチュアの気持ちに近かったんですよ、個人的には。それで今回が第二期イエローモンキーのデビュー・アルバムみたいな形になったかなと思ってますね。

――ウォーム・アップと言うと何ですが。アルバム制作までにライブを重ねたのが良かった。

アニー:そう、結果的にウォーム・アップになっちゃった、と言ったらアレですけど。アルバムを作りたい気持ちはずっとあっても、やっぱりこれだけ(プロジェクトとして)大きく動いてしまうので、本当に納得できるものを提示したいじゃないですか。となると、再集結したすぐの頃は、そうそう作れなかったですよね。自分たちにどのぐらいのスキルがあるのかも未知数ですし、どういうグルーヴが出せるのかもわかっていなかったので。「ALRIGHT」という曲を作る段階でも、どういう曲にしようか?と悩むぐらい、難しかったんですよ。誰がやっても難しいと思うんですよね。15年も空いた、一発目を何にするかというのは。

――確かに。

アニー:それで一発目に「ALRIGHT」を出せたことは、すごく大きな収穫になったんですけど、「ALRIGHT」を出したあとも、ライブをやりながらじゃないと、イエローモンキーのグルーヴをもう一回立て直すことができない部分もあった。正直、アリーナ・ツアーをやりながら試行錯誤して、バンドのグルーヴを少しずつ再構築していく時間がありましたね。その時点でアルバムを作ることもできたかもしれないですけど、それはその段階の音にしかならないと思うので、結果的にその時慌てて出さなくて良かったと思っています。それでアリーナ・ツアーをやって、ファンクラブ・ライブをやって、シングルを切って行く中で、自分たちのできること、やりたいこと、求められていることを確認しながら進んで来て、ドームをやる頃になって、ようやく“グルーヴが固まってきたよね”という感覚があった。今思うと、それでももう一歩なんですけど、何万人という人に向けて演奏することによって、イエローモンキーの出すべき音は、小手先に頼らずに、自分の魂から出て来る一音を大事にしながら、大きくソリッドな音にしていきたいというふうに変わってきて、2018年に入って制作活動に入れたので。実は手探りだったんですけどいかにもお膳立てされたような活動になって、この『9999』に美しく帰着できているところが、このバンドの面白いところだなと常々思いますね。この3年間ありきの『9999』だと思います。


――今、ソリッドという言葉を使われて、まさにそれがこのアルバムのカラーだと思います。

アニー:そうなんですよ。去年までだったら、ここまでのソリッド感は絶対出せていないと思う。やればやるほどバンドのことを信頼できるようになるし、メンバーとのグルーヴの絆も、より強固になってきている。自分一人のドラム・プレーで何とかしようとか、そういうことではなくて、4人で出す音だからこその、委ねるグルーヴ感というのかな。そこに自分を置くことができるようになるために、3年という時間がないと、ここまでのソリッド感は出せなかったですね。

――グルーヴは一夜にしてならず。

アニー:15年間それぞれにやっていたから、それぞれにスキルはあるんですけど、4人で一つのカタマリを出すためには、年月が必要だったのかなと思います。

――ヒーセさんも、同じような感触を?

廣瀬洋一(以下、ヒーセ):そうですね。『9999』に入っている既発曲たちは、3年間の要所要所でレコーディングした曲で、その全てがアルバムの中ですごく良い役割をしてくれましたね。「ALRIGHT」は既に2015年の終わりに録ってて、再集結ツアーが終わって「砂の塔」を出して、その時その時に培ったものが、その次の1曲に反映されていて。2018年になって「天道虫」を作った頃ぐらいから、アルバムの完成に向かうにふさわしい流れができてきた。そこで一旦日本で録る作業が終わって、あとはLAで6曲録って総仕上げにしようみたいな、その前の2年半ぐらいの歩みが全部LAに向かうためのステップだったと思うし、それがLAで本当に開花したというか、13曲全部並べた時に一つの大きなステージにたどり着いたなと思いましたね。

――LA録音って、吉井さんが言い出したんですか。

吉井:はい。

――何が欲しかったんですか。音とか、環境とか。

吉井:全てですね。まずは、この4人で海外に行きたいというのと、自分が経験した中で、LAのサンセット・サウンドというスタジオは素晴らしかったし、ケニーというエンジニアは、僕の好きなブラック・キーズとかをやっている人なので、きっとイエローモンキーにも良い作用をするだろうという確信があったので。メンバーにLA行きを打診したら、二つ返事でOKしてくれた。本当に行って良かったし、想像以上の収穫がありました。

ヒーセ:そうだね。

吉井:ヒーセが言ったみたいに、まさに総仕上げというか、このために今までの3年間の準備期間があったみたいな。うまくできてるなと思いましたね。

ヒーセ:その、ソリッドというところに行きついたのも、「天道虫」までの流れがあって、そこまでである程度の筋力というか。イエローモンキーの肉体が再構築されたからこそ、このボディを持ってLAに行くぞ!というふうになれたんでしょうね。今思うと。

吉井:再集結した当初は、たぶん記憶喪失だったんですね(笑)。まず、やっていたことを思い出さないと新しいものに進めない。そういう、『刑事ゼロ』みたいなこともあったんだと思います(笑)。実際、歌詞はそういうイメージで書いたんだけど。

――「I don’t know」ですね。

吉井:脳裏では覚えているんだけど、まだ思い出しきれてないみたいな。それを完全に思い出して、準備できて、新しい街へ行く。という図式があったんじゃないですかね。今思えば。

――曲調についてはどうですか。昔のイエローモンキーを踏襲しようとしたのか、ソロを経ての、今のスタイルでいいと思ったのか。

吉井:たとえば、エマの作った「Horizon」は、エマのソロっぽいと僕は思う。いい意味で。僕が作った「ALRIGHT」や「砂の塔」も、ソロっぽいねとか言われたりもしたけど、今思えばそれは仕方ないことで、“イエローモンキーっぽさって何だろう?”って試行錯誤した時期はありました。だけど同じことをやるために再結成したわけではないから、絶妙のバランスで表現したいんだけど、なかなかうまくいかないんですよね、これが。いろいろチャレンジしてきましたけども、さっき言ったようにみんなそれぞれに筋力がついて手癖でもOKな状態になった時に、僕もようやく手癖で曲を作れるようになって。それがLAで録音された6曲だったりするんです。みんなが鍛えた筋力で手癖をやったというか、それがザッツ・ニュー・イエローモンキーというか、そぎ落としたイエローモンキーになった。なおかつ新しいバンド・サウンドだったし、その音はアメリカでは最先端の音だったりするんですよ。ガレージっぽさとか、昔の60年代のフレンチっぽさとか、パンクっぽさとか、そういうカルチャーが今のアメリカにはあって、イエローモンキーが結成当初やりたかったこととすごく共通してるなと思ったので、それはそれは楽しかったです。

――「I don’t know」なんか、まさにそういう曲。ソリッドで、生々しく、ざらついてる。

吉井:きれいな音だと、90年代っぽい曲になっちゃってたかもしれない。

――やっぱり音そのものが違いますか。LAは。

アニー:そうですね。ドラムって最終的に鳴らすのは空気であって、その場が一番大事なんですね。部屋の空気を全部録らないと成立しない部分があって、それは日本のスタジオとLAのスタジオとでは圧倒的に違う。昔からあるような木でできた、有機物でできたスタジオを日本で探すのは難しいんですよ。近代的なスタジオはあるけど、ドラム自体が有機物でできてるんでそういうスタジオのほうが相性がいいんですね。僕もそういう音が好きというか、好きだった人がそういう音で録っているんで。サンセット・サウンドは、レッド・ツェッペリンとかが録ってるスタジオで、そういう空気の音がするんですよ。そこだけで半分演奏できてるような気がするぐらいで、すごい満足感がありました。ケニーの録り方もすごく良かったし、この音ありきでソリッドなプレーに繋がってるというのは大きな収穫でした。

――それは1曲目「この恋のかけら」のイントロのギターから、ばっちりわかりますよ。

吉井:あれは日本で録ったんですけどね。

――しまった(笑)。でもミックスで違うじゃないですか。

吉井:ミックスも日本です(笑)。

――うわ、墓穴掘った(笑)。申し訳ない。

吉井:いいんです。あの曲はね、アメリカの雰囲気に近いスタジオで録ったんですよ。ミキサー卓がけっこう重要で、ヴィンテージのNEVEとかがある、あえて古いスタジオで録ったので全然間違ってなくて。その曲は、土屋昌巳さんプロデュースなんですよ。土屋さんはレイドバックした音が好きな人だし、土屋さんと一緒にやることで50年代にロックンロールが生まれた頃のレコーディングの仕方がやっぱり正しいんだろうなと思った。我々は4人で、生の音で勝負するバンドなので、あとからエディットで味付けするバンドじゃないから。そういう意味では、部屋の鳴りと、楽器の音と、プレイの質と、あとは曲と、すべてがものを言うというか、そういうスタイルでやるべきだと思ったので。

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