矢野顕子、藤巻亮太からサム・ムーアまで。<SRP presents EAST MEETS WEST 2019>国境を超える名演

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▲サム・ムーア

■サム・ムーア インタビュー

──“I Thank You”から“Soul Man”に続くメドレーにはもう心躍りまくりでした。イヴェント全公演を観ていますが、クライマックスといえるような盛り上がりをみせていました。

「ほんとかい?それは嬉しいね」

──歌声のとてつもないパワーはいったいどこから湧いてくるのでしょうか。

「この歌声は神からの贈り物さ。持って生まれたものだから、大事にしているよ」

──東西の文化の融合をめざし、アメリカをはじめとする海外のミュージシャンと日本のミュージシャンがジャム・セッションを行うこのイヴェントの趣旨について、どう感じていますか?

「こういう形のイヴェントに参加するのは初めてだが、素晴らしいと思うよ。1回目にしては上出来の内容じゃないかな。もっと早く実現していたら、レイ・チャールズやジェイムス・ブラウンなども参加したがっただろうに。もうみんなが亡くなってしまったからなぁ……。私がサム&デイヴとしてはじめて日本に来たのは1969年。あの頃と比べると、日本もだいぶ様変りしたものだよ」

──いまはもういなくなってしまったあなたの大切な人のひとりに、忌野清志郎がいますね。彼はあなたと日本を結ぶ架け橋の役割を担っていたように思います。彼がこの世を去ってからもうすぐ10年。あなたがステージで歌う“That Lucky Old Sun”を聴きながら、在りし日の彼の姿をぼんやり思い浮かべていました。清志郎さんはサム&デイヴのヴァージョンによる“That Lucky Old Sun”をレパートリーにされていましたから。

「そうだな……初めて会ったのは清志郎がまだ少年だった頃さ。サム&デイヴのコンサートのときに彼が訪ねてきて、〈サムさ~ん、いっしょについていっていいかい?〉って言うんだ。〈なんだって?ムリだよムリ!〉って追い払おうとしたんだが、ズカズカとバスに乗り込んできちゃってね。それからコンサートが終わってからもホテルの部屋までついて来て、ソファーでスヤスヤ寝ちゃってさ、ハハハ。その後、再会したのは彼がRCサクセションをやっていた頃だ。私とチャック・ベリーとRCサクセションの3組がいっしょにコンサートをやったんだが、ショーのあとで〈サムさ~ん!〉と手を振りながら私を呼ぶ男がいる。RCサクセションのヴォーカルだった清志郎さ。彼は日本語で必死に何かを伝えようとしているんだが、誰なのか一向に思い出せない。〈どこで会ったっけ?〉って尋ねると、〈僕のことおぼえてないの?〉って言うんだ。よ~く顔を見てやっと思い出したよ、〈あゝあのときの少年か!〉って。ビックリしたね。あの子があんな素晴らしいバンドを率いるまでに成長していたなんて。その後は日本に来るたび会うようになるんだが、あるとき彼は病気になってしまい、入院して言葉も喋れないほどの状態になっていたにも関わらず、私のライヴに飛び入りしてくれて……あのときのことを思い出すと、いまでも感情が高ぶってしまうよ(と言いながら、手で涙を拭う)。彼のことは血を分けたわが子だと思っている」

──セットリストは誰が決めたのですか?

「妻だよ。実をいうと、私は来日少し前に腰を悪くしてね。治療をしていたものだから行けないかもしれないと思ってたんだが、どうしても行くべきだと妻が尻を叩いてくれてね。〈あなたは何としても日本に行って、“That Lucky Old Sun”だけでも歌わなきゃいけない。あなたの息子のためにも〉と説得されたんだよ」

──そうだったんですか。ところでミュージック・ディレクターとしてのウィル・リーの仕事ぶりはどうですか?

「素晴らしいね。『デヴィッド・レターマン・ショー』でベースを弾いている彼を知っていたからプレイヤーとして一流だってことはもちろんわかっていたけれども、こんなに才能豊かなミュージシャンだったとはね。個性豊かなミュージシャンをきちっとオーガナイズし、最高のショウを作り上げてくれたよ」

──これからも長く歌い続けていかれると思いますが、これからやりたいことなどを教えてください。

「すぐにでもゴスペル・アルバムを作りたいと思っている。それから帰ったらすぐにロスに向かい、グラミー賞の特別功労賞を受け取ることになっているんだ。たくさんの素晴らしいミュージシャンに与えられている名誉ある賞だからね。大変光栄なことなのですごく喜んでいるよ」

取材・文◎桑原シロー
写真:(C)Ryo Higuchi

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