【インタビュー 前編】SUGIZO & 真矢、LUNA SEA30周年を語る「ロックバンドという形態で最高かつ唯一無二」
■結局、人のエナジーであったり真剣度が
■すごいものを生むんじゃない?──真矢
──とは言え、5人の音楽の趣味もバラバラだったんですよね?
真矢:バラバラですね。
──違うことをやりたいという以外に、何か共通のキーワードみたいなものはあったんですか?
真矢:なかったよね。
SUGIZO:いつも言ってることなんだけど、若い頃ってメンバーの性格の違いとか趣味趣向の違いって関係ないんだよ。
真矢:そう。それは建前の理由であって、結局、人のエナジーであったり真剣度がすごいものを生むんじゃない?
SUGIZO:その通り。同じところを見ているというか、同じぐらい強力なアティテュードを持っていること。ウチらだったら5人がバラバラでも、“のし上がってやるぜ!”とか“シーンの頂点に立ってやろうぜ!”とか、そういう超漠然とした目標が最も大事で。そこで5人が結びついてるっていう。細かい音楽性の違いとかあんまり関係ないよね。
真矢:関係ないない。だって年を重ねたら好きな音楽もやりたい表現方法も変わってくるからさ。車は乗り換えるけどドライバーは変わらないみたいなものですよ。
SUGIZO:うん。
──なんですか?
真矢:RYUICHIは「ドーナツをメンバー分、5つ持って行った」と言ってるんだけど、俺はずっと4つだと思ってたの。
SUGIZO:俺は2つだと思ってた。
真矢:で、JかINORANは1つって言ってたよね。つまり最初は5つあったんだけど、俺にわたってくるまでに誰かが1個食って4つになってて、そこで俺が2個食べちゃったから、残りが2個になって、結果、1個足りなくなったらしい……っていう小噺でした(笑)。
──ははははは。そういう都市伝説が語り継がれてる。
SUGIZO:あの時代は写メも動画もないしさ。証拠がないから真実はわかんないよ(笑)。
──でも、“真矢が2つ食べちゃった”説は妙に信ぴょう性がある(笑)。
真矢:わはははは!
SUGIZO:当時はみんな、いつも腹減ってたからね(笑)。
──さっき、“のし上がっていくって野心があった”という話をしてくれましたが、実際にLUNA SEAはメジャーデビュー以降もどんどんライヴの動員を増やして、チャート1位を獲得していく。その後、2000年の終幕を経て、2010年5月29日にオフィシャルサイトで、“REBOOT”というメッセージを発表しますよね。初期に思い描いていたLUNA SEAの形と今のLUNA SEAの形に違いはありますか?
真矢:想像というのは明確にはできないものじゃないですか。でも、1個だけ証拠があるんですよ。
──というと?
真矢:30年後の今も続いているという証拠。それがさっき言った本気度なの。その灯火が消えなかったんじゃないかと思う。誰かひとりでも、「もう音楽はいいよ」となって灯火が小さくなったり、消えたりしたら、今のLUNA SEAはないんじゃないかな。今も5人には強い灯火がある。だから将来のことはうっすらかもしれないけど予測はつくよね。
真矢:集まらなきゃいけないとは思ってないの。集まりたくなかったらそれでいい。ただ、昔と変わらず、集まるのが好きなんじゃない?
──はははは。子供か。
真矢:そうそう、そういうことなんだよ。俺はよく言ってるんだけどLUNA SEAって“名字”みたいなものなのね。だから、集まらなきゃいけないっていうんじゃなくて、普通に帰ってくるっていう。
──ファミリーということですね?
真矢:しかも真剣に遊んでいるファミリーだからね。家族だから“なぁなぁでいいか”、っていうのは全然ない。
──本気度の炎が強すぎたからこそ、終幕したんでしょうかね。再び集まるために約10年の期間を費やしたけど、復活を待っていたもののREBOOT以降のLUNA SEAがこんなにコンスタントに作品をリリースして、自身主催の<LUNATIC FEST.>まで主催するとは想像してませんでした。
SUGIZO:終幕後の期間、バンドがより強力になるために1人1人自分を磨かなきゃいけなかったんじゃないですかね。真矢は“名字”っていう言い方をしたけど、俺がいつも言ってるのはLUNA SEAは“故郷”。それぐらい大事なんだけど、ファミリーって年中一緒にいるからハッピーなわけじゃないでしょ? 父親にムカつくこともあるだろうし、気が合わない肉親もいるだろうし、必ずしも安住の地ではない。そうなんだけど、ファミリーという事実は変えようがない。
──確かにそうですよね。
SUGIZO:だからこそ各々が一回、自分の道を究める必要があったんじゃないですかね。独立したアーティストとして1人1人がパワーアップして故郷に帰ってきたら、バンドという集合体はさらに強力になるっていうことをみんなが無意識に思っていた気がする。逆にいうと自分の故郷には甘えたくなかった。自分が育ったところを超えてやるぜっていう気持ちが全員にあったはずなので、結果的にはその期間がLUNA SEAをさらに大きくしたと思っています。
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