フジロックが謳う「自己責任」とは?

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■「フジロックの抱える問題」

──フジロックの来場者の「ゴミ・マナー」から派生する問題についてお聞かせください。

鯉沼:本当に難しいテーマです。お金を使ってきれいにするのは簡単ですけど、それは違う。みんなでやっていかなきゃいけない問題なので、そこは来場者の皆さんにも認識していただかなければいけないと考えています。

──昨年は、「OSAHO- Festival Etiquette -」を展開されましたね。

鯉沼:近年、会場の中が「汚くない?」という話があがり、「世界一クリーンなフェス」と言われているけど現実は全然違うよね、と。実際は、終演後にボランティアさんや会場内の係員がゴミを拾い集めたり、放置された椅子やブルーシートをすべて回収しています。翌朝、お客さんが入ってくるときれいな状態に見えるけれど、それは違うよねというのが僕らの意識の中にもあって。

──レジャーシートでの場所取りを、日をまたいで出来ると勘違いしている人がいると思いますが、当日であっても場所取りや放置はダメですよね?

鯉沼:そこが一番ダメなんです。テーブルや椅子を使っての占拠もそうですが、日本特有の花見の場所取り文化が悪く出てしまっている。海外のフェスでは場所取りなんかしませんからね。

──運動会の場所取りとも同じですね。早く何かを置けば自分のスペースだという誤った考えですね。

鯉沼:そうなんですよね。海外ならばフェス会場のフードコートでも食べ終わったらすぐ移動して次の人が食べるという風に循環していますが、日本では荷物を置いて何時間も居座ってしまうんですよ。遊園地やフードコートなどでもベンチに荷物を置きっ放しにしたまま遊びに行ってしまって、他の人が使えない。日本の至る所で起きているそれが、フジロックの会場内でも起きてしまっているんです。「それは違う」と教えてあげないといけませんよね。日本がそういう社会なのでしようがないのかもしれないですけど、ここではやめましょうと、フジロックは違うよ、と。

ただ、来場者も入れ替わっているので、昔のことは知らないし、97年なんて伝説状態でしょうから、気にされなくてもしようがないかなと。ですから、“啓蒙活動をしていかないと”というのが一昨年あたりからあり、でも来場者の方にゆだねたい部分なので、昨年、アニメという少し砕けた形でやってみました。

──「OSAHO」の取り組みの成果は?

鯉沼:去年の施策の中では、まだまだ伝わり切れてないのかなというのが正直な感想です。先日も反省会をして、何がちゃんと伝わってなかったのか、まだまだ認知不足だし、続けていかないと駄目だよねということになりました。今年どうするかを今やっているところで、動画、アピールの仕方を今いろいろ打ち合わせ中です。

──フジロックの「ゴミ・マナー」問題は過去にも繰り返されてきましたか?

鯉沼:5〜7年周期ですかねえ。でもね、言うと皆さん分かってくれるわけです。iPledgeの方が終演後に「みんなでゴミを拾いましょう!」と活動してくださると、それなりに会場がきれいになってくる。ですが、こちらが言わなくなるとやはり続かなくなってしまうんです。自分の部屋はきれいにするけど他所は知らない、みたいな。昨今、街中でのゴミ問題は厳しくなってきていますし、フジロックでもそうなって欲しいと思うんですが…難しい問題です。でも、去年は風のせいでゴミが散乱したというのもありました。

──台風の影響によるもの?

鯉沼:はい。土曜の夜に吹き荒れた台風の影響による強風でキャンプサイトや裏導線を仕切るパネルが全崩壊したり、店の看板やゴミ箱の案内板などが飛んでしまったりして。ゴミも散らかりましたが、今思うと台風の影響は97年の状況よりもひどかったんじゃないかと思います。97年は雨でしたが、今回は風による影響が出ました。

▲台風の影響による倒木


──そうですよね。97年は大雨とぬかるみには参りましたが風などはなく、単に自分の装備が甘かったという記憶があります。翌日も天気はよかったですよね? 

鯉沼:どぴーかんですよ。

──「え、やらないんだ?!」と思って帰ったような。

鯉沼:(笑)。97年は主催者側の能力不足、そして来場者側の準備不足などがすべて重なって2日目を開催できなくなってしまった。ですが、去年の雨は97年よりも降っていた時間帯もありましたし、風は壊滅的で本当に危ない状況で。それを加味すると、97年の天候よりもひどい状況だったのかなと思い返しています。

──実際はどんな状況だったんですか?

鯉沼:夜中12時を超えて天候の悲惨さはどんどんひどくなっていき、深夜2時頃から明け方にかけて会場が受けたダメージも大きかった。ステージは当然大丈夫でライブをやる上での施工面では一切ダメージを受けてはいなかったんですけど、風の強かった場所はかなりダメージを受けてましたね。入場ゲートと場外付近の風が一番強くて、場外に立てたオフィシャルグッズやチケット用テントに大型トラックを横付けして風除けにしたりして。

──そんなことが起きていたとは! 苗場に移ってからの台風は初?

鯉沼:雨の影響が出たことはあったと思いますが、風が伴ったのは初でした。

── 22年開催していても、お初なことがまだあるんですね。

鯉沼:はい。本部は夜通し対応していて夜中3時に各チームの首脳陣が招集されて緊急会議が開かれました。97年に近しい空気感が出たりもしました。あらゆる対応を話し合いましたが、誰もが日曜を「やらない」という選択は無いと心では決めていたと思います。日高さんからも「やめるっていうことはあり得ない」とバシッと言われました。そうこうしているうちに、今度はキャンプサイトが大変なことになっていて。

◆インタビュー(2)へ
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