【インタビュー】鳴ル銅鑼、異形の傑作と呼ぶにふさわしくすべてを飲み込んだニューアルバム『和モノ』

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とんでもないモノを聴いてしまった。岐阜が生んだハードコア歌謡ロックバンド鳴ル銅鑼のニューアルバム『和モノ』のことだ。飛躍的に向上した演奏力、オルタナ、エモ、ファンク、歌謡ロックまでを飲み込むバラエティ、三輪和也の天才的なメロディ・センスと詩人の魂、どれをとっても令和最初の異形の傑作と呼ぶにふさわしい。ミュージック・ビデオ「奴隷」もすごい勢いで再生回数が伸びている。天運我にあり。音楽家・三輪和也の思想の中へ思い切って飛び込んでみよう。

■ロックとは絶対に先は尖っていなければいけないけど
■むやみに人に向けてはいけないナイフのようなもの


──平成が終わっちゃいましたね。

三輪和也(以下、三輪):終わりましたね。やっと平成生まれの人たちの出番ですね。

──ん? どゆこと?

三輪:平成生まれの人はまだ平成という時代を象徴するまでには至っていない。昭和に生まれた人たちが平成という時代を作っていったと思うんですよね。だから平成は昭和の人の時代で、令和が平成の人の時代だと思うんです。20歳を超えて事業を始めたり、こうして音楽をやってる人がいたりして、これから平成生まれの年代が活躍するので、やっと僕らの出番だなという感じがしています。

──いい言葉。本当に象徴的だと思うのは、『無知』から始まってるわけでしょう、このバンドって。それから『極彩色』に行って『文明開化』して『汎神論』に至る。あの前作でバンドの意思というか、三輪さんの思想を天下に宣言したんだなと僕は思っていて。それで令和の最初に何を出すのかと思ったら『和モノ』というさらにすごいのが来たわけです。

三輪:順番がちゃんとしてるのは、それが僕自身だからなんです。『無知』から生まれて、思春期のぐちゃぐちゃに混沌とした感じが『極彩色』で、決意表明として国を建てようというのが『文明開化』、次に宗教や思想が芽生えたのが『汎神論』で。そうなった時に、ぐるっと見回して“僕は自分のことばかり歌ってきたな”というのと、これからも自分のことを歌っていくし、歌詞というものは自分のことを歌わないと意味のないものだと思うから、今回『和モノ』という、三輪和也の和という字を使ったんですけど、“和モノ=僕のもの”でもあり、日本のものでもあり、すべてが円となって和むものでもあるんです。

──すごいな。なるほど。

三輪:もう一個僕が大事にしてる含みの意味があって、男性のみなさんだったらわかると思うんですけど、僕はレンタルビデオショップで働いていて、ジャンルでは洋モノというジャンルが好きだったんです。海外のアダルトビデオは“洋モノ”と俗称されているんですね。僕が小さな頃に父親はロックバンドが好きだったんですけど、親に隠れて聴く音楽があったんです。たとえばエモーショナル・ハードコアのバンドで、自傷行為をしている人や全身ピアス、全身タトゥーが入ってたりする人がいて、そういう人たちのバンドを聴いていることは親に言ってなかった。親にはRCサクセションぐらいまでですよ。ポルノも一緒だと思っていて、ロックバンドというのは親に紹介していいものとは思ってないんです。親に隠れて聴くのがロックだと思っている。そもそもロックは大衆のものではなくて、大衆に属していない人間が大衆に向けて武器としてかざすもので、看板として掲げるものではないということに気づいたんです。絶対に先は尖っていなければいけないけど、むやみに人に向けてはいけないナイフのようなもの。そういう卑しいものという意味も含めて『和モノ』にしました。


──これでインタビュー終わりにしてもいいな。完璧な理由。

三輪:僕はそういうつもりで今回のアルバムを作ったので、次はどうなるかな?というのは正直言って今は無い。自分はこれですというものなので、言うなれば『極彩色』に近いのかもしれない。僕は自分の躁鬱というかカオスな内面をコンプレックスに思っていたけれど、結局これをやめられないからこれで行く。いろいろ悩んで、『汎神論』で思想を掲げたけれども、自分が自分に抗うのではなくて、自分に従おうと思いました。悪いところも良いところも含めて、すべてが入っているアルバムです。一概に美しいとは言えないですけど、だからこそ美しいと思っています。


──考えてるレベルが違うね。偉そうに言っていい? その年代のインディーズのバンドは、どうやったら売れるかとか、動員が増えるかとか、半分くらいはそういうことを意識して曲を作ってる印象があるけど。

三輪:それは結果ですよね。売れる売れないは結果であって、目的になってはいけないというか。売れたいという情熱はエネルギーになるから、それはそれでいいことだと思うんです。だから目的の違いだと思うんです。僕がなりたいものと彼らがなりたいものは違う。彼らがなりたいものはミュージックステーションに出ている人たちで、僕がなりたいのはそうじゃなくて、シド・ヴィシャスやカート・コバーンのような、誰かの命を救うというか、自分を救いたいんですよ。僕は自分のことをなんとかして好きになりたくて、そのために音楽をやっているんです。たぶん売れるというかわかりやすいものを目指す人は、もうちゃんと自分のことを好きだと思うから、本当は音楽をやらなくたって、何やったってうまくいく人。僕は売れるかどうかわからないけど、間違いなく誰かにとって薬になる音楽を作れると思うし、僕にとって薬になっているからという、目的の違いだと思います。ただそれが本当に認められたら僕は面白いと思うから、僕が売れたら良い世の中になってるとは思います。僕らみたいな自由に好きなことをやる音楽が認められたら、みんなが好きなことをやっている証拠なので、やる意味はずっとありますね。でもそうじゃない人たちを軽蔑したりはしてないです。売れたいという情熱が強くて、そのためにこうしているという人に対して、別の仕事をしている人というふうに僕は見ているので、そういう世界で頑張っているんだなと思います。だから軽蔑もしてないですけど、そういう人が多いとは思います。それはしょうがないんじゃないですかね。ユーチューバーがなりたい職業になってしまう世の中だし。人は誰しも嬉しいですからね、キャーキャー言われたら。僕だってそうですし、人に認められるのは嬉しいことだから。

──承認欲求の時代だとは思うんですよ。明らかに。

三輪:でもそれは、昔からきっと変わってないですよ。人は誰かに認められることがすごく気持ちいいし。ただ何で認められたいかをしっかり見定めないと、認められたあとに迷子になる人が多いイメージですね。売れて何不自由ない生活をしているように見えている人が、実は問題を抱えていたりするから。好きなことをやらずに認められたら、嘘の自分を続けなきゃいけなくなるから、辛いのかなとは思いますね。それはそういう人にしかわからないし、僕にはまだわからない。一生わかるつもりもないですけど。

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