【連載】Vol.073「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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メリッサ・モーガンの素晴らしきソウル・レビュー!13年ぶりの新作『LOVE DEMANDS』をフィーチャーしてのステージにライド・オン!!



1980年代のR&Bシーンを語るうえで忘れることのできない歌姫メリッサ・モーガン。そのパワフルでエレガントなソウルフル・ヴォーカルを当時何度も何度も楽しんだ思い出がある。そんなメリッサが昨年なんと13年ぶりのニュー・レコーディング・アルバム『LOVE DEMANDS』を発表。


▲アルバム『LOVE DEMANDS』 from Mike’s Collection

その素晴らしい出来栄えに僕のソウル・ミュージック・パルたちは大きな感銘を受けた。その新作を中心としたステージが6月5日Billboard Live TOKYOで行われたが、まさにエクスプロージョン。僕はライド・オン!の連発だった。そんなメリッサ・モーガンにライヴ前の一時(ひととき)、バックステージでインタビューを行った。

Q:日本へようこそ!
A:19年ぶりの日本ヨ。前回日本に来た時は、丁度ニューヨークにマンションを買った時だったの。今回Billboard Live OSAKA & TOKYOでステージが実現してとてもハッピー。



Q:昨年リリースのアルバム『LOVE DEMANDS』は素晴らしい!カバー6曲、ニュー・オリジナル6曲という構成。そしてボーナス・トラック2曲もご機嫌です!とても良いアイディアですね。
A :良いアイディアでしょう。これはレコード会社からのリクエストだったんですヨ。「Do Me Baby」と「Fool’s Paradise」の再レコーディングも頼まれたの。カバーの中でも故アレサ・フランクリンの「Never Love the Man(The Way I Love You)」を歌えてとても嬉しかったわ。アル・グリーンはもうステージは観れないから「How Can You Mend A Broken Heart」をレコーディング出来て良かったと思ってます。ライヴでのオーディアンスの受けもグッドな感じなのヨ。



Q:そのアレサ他にサム・クック、オーティス・レディングらレジェンドたちの作品が新作に登場します。
A:サム・クック、オーティス・レディング、アレサ・フランクリン…、彼らの音楽は私の子供時代の思い出の一部です。母の前で私が初めて歌ったのが「Respect」(インタビュー中に歌って聴かせてくれたのです♫)。その他スプリームスやジェームス・ブラウンを聴いて育ったんです。JBの娘ディアナ・ブラウンは私の親友なのよ。彼女はジョージア州オーガスタに住んでいて、私は隣のサウス・カロライナ州アイケンに家があるの。

Q:新作にはダイアナ・ロス在籍時のスプリームス・ナンバーも登場します。
A:そうね。ダイアナ・ロスもスプリームスというグループに暫くいたわね。私がプロとして初めてバック・コーラスとして歌い始めたのはチャカ・カーン。丁度チャカがルーファスから独立した時だったの。だから私はダイアナがソロになった経緯を何となく理解できるような気がします。ダイアナ・ロスが大好きじゃない人なんていないわよね。「Love is Here And Now You’re Gone」(またまた歌ってくれたのです♫)、今晩歌うわよ。楽しんでね!

Q:トム・ジョーンズ楽曲もカバー。
A:トム・ジョーンズ。「It’s Not Unusual」はヒップ・ホップ風にやってみようなんてアイディアが私のフィアンセやレコード会社から挙がったけど、私はトラディショナルな感じでやりたかったの。だって皆トム・ジョーンズが大好きだから。マイクは彼のステージ観たことある?
Q: はい、勿論ありますよ。トムはとってもソウルフルに歌いますネ。
A:私はトムのあのタッチが好きなのよ。80年代中期だったと思うけどトムとウェイン・ニュートンのショーに招待されたことがあるわ。



Q:オリジナルは全て貴女とブレイディー・ガッサーとの共作になっています。彼を紹介してください。
A :ブレイディー・ガッサーはオハイオのプロデューサー、中西部の人なの。実際にアルバムのコーディネートをしたのは別の人だけど、彼とブレイディーは友達で、ブレイディーが彼の兄弟の結婚式でも演奏したりしたんだけど、そこからビートやったり作曲などやるようになったの。いくつかの作品を送ってきたんだけど、私は何だか気に入らなかったの。えっと、名前は、ジェームス・ウッダー。「じゃあ後はブレイディーに任せる。彼から作品を送らせる」。それからブレイディーから毎週いろんな曲を送ってくるようになったの。そう、毎週よ。でも私が毎回「ああ、これも好きじゃない、あれも好きじゃない」と返事するから、ブレイディーは送るのをストップ(笑)。それから3週間後、私は彼の送ってくれた作品を聴き直したの。そしたらどうなったと思う??とっても素晴らしい作品となって私の心をキュンと掴んだの。そこから彼の作品がとっても好きになったんです。彼はビートもやるし、素晴らしいプロデューサーです。

Q:ニュー・ソングスの中での特にお薦め楽曲は?僕は「Holla」が好き。「The Only One」も良いですね!
A:私も「The Only One」好きよ、だってフィアンセがラップをやってるんだもの(笑)。彼はサバスティン・コマス。私はこれ凄く好きヨ(笑)。でも今夜のセットリスには加えてないの、だってフィアンセが「僕抜きではやらないでね」って言うから…(爆笑)。アルバム・タイトル・チューン「Love Demands」は歌います。次のシングルに予定していてアメリカに戻ってすぐビデオ・クリップの撮影に入ります。皆さん、これを楽しみにしていてネ。

Q:ところでアルバム『LOVE DEMANDS』は13年ぶりの新作。カムバック作品ともいえます。アルバム・リリースまでの経緯をお教えください。
A:ジェームス・ウッダーがクレオパトラ・レコードに私を売り込んでくれたのがそもそもの始まり。13年間お休みしていたわけじゃないの、クリスマスCDに参加したり、私のヒット曲をリメイクしたリと…。まあ“カムバック”みたいだけど、私はどこにも行ってなかったのヨ、ハハハ。その間ずっと仕事はしていたの。ツアーもしてたし、シングルも発表してました。フル・フォースとシェリル・ペプシー・ライリーらともお仕事したし。だからずっと音楽活動は続けていたんです。でも13年ぶりのフル・アルバムというのは事実ネ。



Q:ところで「Joel Whitburn presents TOP R&B Singles 1942-1999 Billboard」にファースト・ネームをme-lee-say と発音すると記載されてますが…。
A:“マリーサ“、”マリーサ“ね。
Q:ニューヨークはクイーンズのお生まれ。女性に生年月日をお聞きするのは失礼かな。生まれた年を聞くと大体の音楽的背景が分るもので…。1964年?スミマセン。
A:何年かなんて言わないわヨー(爆笑)!そう、女性は何年かなんて言わないのよ、ハハハ。そう、そのくらいの頃(1964年)よ。



私のアシスタントのドーリーンとは親友。私たちはすごく小さい頃からの幼馴染みなの。クイーンズ地区コロナの34番街生まれよ。当時は、皆家族同士でお互い面倒を見てたのヨ。子供が悪いことすると、ぶったりもできて、その子の家に行ってそれをお母さんに言ったり、私が彼女をぶったら、彼女はお母さんに言いつけたわよ。今はもうそんなこと出来ないけどね…。

Q:音楽との最初の出会いは?
A:母の名前はマージー・モーガン。ママは音楽が大好きでジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、スプリームス、そしてアレサ・フランクリンらを楽しんでいたの。私も一緒に音楽を聴いていたわ。音楽との出会いは自宅の居間でした。
Q:9歳の頃からゴスペル・グループに加わって歌っていたとか…。
A:9歳のときザ・スターレッツ・オブ・コロナっていうゴスペル隊に参加。ドーリーンも一緒だったわ。
一つの教会に属しているグループではなく地域全体のゴスペル隊だったの。ボストン、フィラデルフィア、ワシントンにも行ったことがあったわ。ブルックリン、ブロンクス、クイーンズとかいろんなところで歌った。
50ドルのギャランティーをいただき初めて銀行口座を作ったの。

Q:14歳でファンク・バンドB.B.Q.に参加したとか。
A:正式には参加しなかったのよ。14歳よりもう少し年上だったんだけどね、その頃フレッド・ペトラスがニューヨークに来て、多くのミュージシャンと仕事し始めたのね、チェンジとかルーサー・ヴァンドロスとか。彼は私とデートしたがったの。その時私をどこかのグループに参加させるって言ったの。ちょっとだけB.B.Q.とツアーに出て、その後80年代に入ってからだけどシェイズ・オブ・ラヴに参加したの。その当時、私は高校を卒業してチェイス・マンハッタン銀行で働いていたの。臨時雇いのセクレタリー。でも結構いい給料を貰ってて時給10ドルだったワ。銀行で働きながらバック・コーラスとしても活動。ジョスリン・ブラウンとか、その他にも有名なハウス・ミュージックのアーティストとかのバックで歌ってたの。で、シェイズ・オブ・ラヴの「Body 2 Body」っていう曲のバック・シンガーの仕事が来たの。スタジオに行ってバック・パートをレコーディング。でもリード・シンガーが来なかったのヨ。それならとその場の雰囲気で私がリードも歌わされたの。バックで50ドル、リードで75ドル、合計125ドル頂いたわ。2週間後には私の歌った「Body 2 Body」がラジオから流れ始め、ついにはダンス・ソング1位に輝いたの!骨の折れる歌だったわ(またまたその場で歌う♫)、時にはこういうのもやったの。

Q:そして何といってもハイ・ファッション!このグループにはアリソン・ウィリアムスも在籍したことでも知られ、82年にダンサブル・チューン「Feelin’ Lucky Lately」が話題を呼びました(Billboard誌ソウル・チャート32位)。
A:(『Feelin’ Lucky Lately』を歌い始める♫)この曲は「Do Me Baby」のすぐ前だった、1982年頃ネ。丁度、私がいろいろなことを経験しながら身に付けている時。グループ内でどうやって上手くやるか、どうやってレコーディングするのか、どうやって自分の声と自分を売り出すか、とかね。アリソン・ウィリアムスは私の親愛なる友人なの、あの頃からずっと今までね、良いお友達なの。時々ハイ・ファッションをまたやらないかっていう話も出るけど、まだ実現してないワ。



Q:その頃はLady Mとも呼ばれホイットニー・ヒューストン、チャカ・カーン、その後デュオでヒットを放つことになるカシーフらのバック・コーラスとしても活動していましたネ?
A:バック・シンガーとして結構人気があって皆がLady Mって呼んでくれてたの。私にとって最高の経験の一つはホイットニー・ヒューストンなのヨ。カシーフの紹介だった。ホイットニーとはすぐ友人になってスタジオで一緒に歌ったわ。彼女はとても良い人だった。
そしてチャカ・カーン。彼女は私にはとても良い先生だったワ。ツアー中、私にいろいろなことを教えてくれたの、そして一番影響を受けた人なの。
カシーフはもうこの世にいないけど、彼が亡くなる前の最後のコンサートを一緒にやったの。カリフォルニアのジャズ・カフェでね。カシーフと私はデュオで歌ったの。レイ・パーカー・ジュニアやイヴリン・シャンペン・キングが観に来てくれたとても素敵な週末だったわ。それから1ヵ月して彼は亡くなってしまったの。本当に悲しかったわ。「Love Changes」(二人のデュエット曲)は大好き、今晩この美しい作品を歌うわ。

Q:85~86年プリンス作品「Do Me Baby」を大ヒットさせました。Billboard誌ソウル・チャートで3週1位!この楽曲を取り上げた経緯を教えてください。
A:曲を選んだのは私じゃないの。ハッシュ・プロダクションズが決めたの。フレディー・ジャクソン、メルバ・ムーア、リロイ・トーマスとかビッグ・アーティストを抱える会社。私もそこと契約したの。彼らはキャピトル・レコードと大々的に契約していて、当時キャピトルの社長はドン・グリーソン。シーナ・イーストンを担当してヒットを出してたわ。で、グリーソンが、次にキャピトルと契約するR&Bシンガーは「Do Me Baby」をカバーしなくてはならないって決めてたのヨ。で、それが私だったの。ありがたいことにね。でもその時私はまだ19歳で、ああ、こんなのやりたくないわと思った。その時はまだ父の許可が必要だったの。だってね、表現がドギツイでしょ、あの時代だし、あんなタイトルの曲を歌ったらパパや教会の人たちが何て思うかしらってね(Do Meは俺とやってくれの意味)。父に許可を求めたら即OKが出たの。結果は大ヒット!



Q:プリンスとは会ったことありますか。
A:ええ、何度かあったわ。初めてプリンスに会ったのは、ライオネル・リッチーのハリウッド・ボウルでのコンサートの楽屋。初対面したプリンスと私、二人ともその時白い皮のパンツをはいていたの。彼はとてもかっこ良かったの。
「素敵な曲を歌ってくれてありがとう」(プリンス)
「いいえ、こちらこそありがとうございます」(私)「いやいや、僕が書いたけどあの曲を素敵に仕上げてくれたのはキミだヨ」(プリンス)
そして彼が亡くなる1カ月半ほど前にあるパーティーで会ったのが最後…。
Q:彼と写真を撮った?
A:いいえ、写真はぜんぜん撮らなかったのよ。最後に会った時も写真を撮らせてくれなかったの。彼は誰にも写真を撮らせないの。

Q:改めてカシーフとの思い出を語ってください。
A:カシーフは時代の先端を行ってたわ。彼は常に頭の中で何か考えていたの。最新の楽器とかマシーンが好きだった。シンクラヴィアとかね、シンクラヴィアは一回声を録音するとそれを何回でも複製できるの。彼はそのマシーンをツアーに持参してたの。だって彼はバック・シンガーが沢山欲しかったから。私はリードを担当。ライヴで私たちのバック・シンガーはマシーンだったワ(笑)。そして彼はいつもオリジナル曲を上手く作れるかということを考えていたの。本当に天才だったわ。


▲for mike’s collection

Q:『LOVE DEMANDS』に続くアルバムをもう考えていらっしゃいますか?
A:近いうちに次のCDを出せるといいと思ってるワ。次はゴスペルのアルバムなんてどうかしら。10月にアフリカに行ってゴスペルを歌うの。ゴスペル・アルバム、良いかもしれないわネ。



この日メリッサから名刺をいただいた。海外アーティストではB.B.キング(72年)、ファッツ・ドミノ(72年)、ビル・ワイマン(90年)、スプーナー・オールダム(19年)に続いて5人目だ。

*インタビュー協力:河合千春

☆☆☆☆☆

インタビュー終了後のファースト・ステージを楽しんだ。“メリッサ・モーガン ソウル・レビュー!”。♪コンニチハ TOKYO♪とシャウトしながらステージに登場、「Still In Love With You」がオープニング!1992年の彼女のアルバム・タイトル・チューン。シングル・カットされBillboard誌ソウル・チャート9位。



そしてアルバムといえば最新作はご存じ『LOVE DEMANDS』。2曲目はそこからアレサ・フランクリン67年の名作「Never Loved A Man(The Way I Love You)」。♪アレサへのトリビュートの気持ちを込めて…♪。メリッサはゴスペル・タッチに見事に歌い上げる。ここで歌い手としての実力を早くも見せつける。



3曲目はカシーフへのトリビュート。87~8年にかけて彼とのデュでヒットした「Love Changes」。Billboard誌ソウル・チャート2位を記録したミッド・テンポ・バラード・ソング、懐かしい。後半からライヴ感をより噴出。見事なアレンジと出来だ。



続いては「How Can You Mend A Broken Heart」、ビージーズ71年の“傷心の日々”。勿論ソウル・ファンはアル・グリーンで馴染んだ曲だ。『LOVE DEMANDS』収録。母親のフェイバリット・ソングとMCだ。囁くようにソウルフルに歌う。僕の魂が揺さぶられる…素晴らしい。


▲アルバム『LOVE DEMANDS』 for Mike’s Collection

続いても『LOVE DEMANDS』から「Love Is Here And Now You’re Gone」“恋ははかなく”。ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス1967年ベスト・セラー。Billboard誌HOT100、ソウル・チャートの両方でナンバー・ワンを記録したこれまた名作だ。

今度は彼女の2005年アルバムのタイトル・チューン「I Remember」。彼女のソングライティングによるバラード。ドラマティックな作品である。

7曲目の「No More」は『LOVE DEMANDS』からのオリジナル・ニュー・ソング。メリッサよるとこれはロックンロールだ。そしてインスト・パートでは彼女はステージからいったん引っ込んでコスチューム・チェンジ。今度はジョージ・クリントン・グラスをかけて登場。観客を大いに沸かす。



そして8曲目は最新アルバムのタイトル・チューン「Love Demands」。コンテンポラリーな味わいのR&Bバラード。

続いて「Good Love」は87年リリースのアルバム・タイトル・チューン。♪サァ パ~ティよ♪とダンサブルなナンバーが登場。途中からメリッサは客席に降りてオーディアンスと一緒にダンス・ダンス・ダンス。会場はディスコ並みの盛り上がりようだ!(笑)
10曲目の「Fool’s Paradise」もアップ・テンポのパーティー・ナンバー、オーディアンスの手拍子は続く。メリッサ86年のヒットでBillboard誌ソウル・チャート24位。この曲でもよく踊った、懐かしい!

そしてラスト・チューンは勿論この曲だ。プリンス81年『Controversy』からの名作「Do Me Bay」。メリッサは85年にカバーし同年から86年にかけて大ヒット。Billboard誌ソウル・チャート1位を3週獲得したのだ(HOT100は46位)。とてもロマンティックな(?!)バラード。会場のミラー・ボールも回りドラマティックなムードを高める。そう、チーク・タイムには欠かせない名曲だったことを思い出す…。



勿論アンコールにメリッサ・モーガンは応えてくれた。「Ain′t No Stopping Us」、70年代後半ディスコ・シーンの名作。フィラデルフィア・ソウル・ヒットのソングライター・コンビ、マクファデン&ホワイトヘッドがアーティスとして発表した79年のヒット(Billboard誌ソウル・チャート1位、同HOT100で13位)。そんなダンサブル・ビートに乗ってメリッサがシャウトするのだ。ステージのバック・カーテンもオープン、ビルの明かりで眩しい六本木の夜景を味わいながらソフィストケイトな雰囲気でのディスコ・フィーヴァー。素晴らしいソウル・レビューを味わった。ライド・オン!連発のステージに乾杯!!

*ライヴ・ショット = Pic. by Yuma Sakata

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