【インタビュー】GEZANマヒトが明かす“フジロックの良心”の意味。そして主催フェス<全感覚祭>の価値とは

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2009年に結成し、レーベル“十三月”や野外フェス<全感覚祭>を主催するアンダーグラウンドをひた走り続けてきたオルタナティブ・ロック・バンド、GEZAN。

そのフロントに立つのが、マヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo&Gt)だ。2011年と2014年にはソロ・アルバムをリリースし、2014年からは青葉市子とコンセプチュアルなユニットのNUUAMMも活動、2015年にはpeepow a.k.aマヒトゥ・ザ・ピーポーとしてのラップアルバムの発表に加え、小林祐介(THE NOVEMBERS)、青葉市子、原田郁子(クラムボン)らを迎えたZINE展を主催、そして今年5月には小説「銀河で一番静かな革命」を発表。そしてつい先日には、フジロックで開催されるアトミック・カフェにも登壇することが明らかになった。ここに並べただけでも、彼の活動域は幅広いなんてものではなく、おそらくバンドもジャンルも何もかもがきっとボーダレスなのだろう。

東京に拠点を移したのと時を同じくして出演したフジロックでは、ルーキーアゴーゴーに出演。しかし翌年の、主要ステージへの出演をかけた企画には唯一エントリーせずに辞退した。あれから7年、メンバー脱退も乗り越え、独自の道を突き進むGEZANが再びフジロックに出演することを決めた経緯や想いをマヒトゥ・ザ・ピーポーに訊いた。

  ◆  ◆  ◆

■ 俺らはもう今後フジには出れないかもねって

── 今回のフジロック出演はオファーを受けたのはいつ頃ですか?

マヒトゥ・ザ・ピーポー(以下、マヒト):…1月末かな。クアトロでワンマンやったちょっと後くらいだったから。

── 全員一致で出ようと?

マヒト:個人的には一番思い入れのある出たいステージだったから、そこは即答でしたね。自分が今まで30年生きてきた中で見た大きな光景というのは、ルーキーアゴーゴーに出た年にグリーンステージで観たRadioheadで、ホワイトステージではRefusedがすごい格好良くて。THA BLUE HERBもそうだった。自分はルーキーに出た足でそのまま東京へ出たんですけど、そんなタイミングでこの光景を見せられて、自分がこのステージに立てないという未来はあり得ないって思った。それは、もしも神様がいたとしたら、ちょっとイタズラ過ぎる。だからオファーがきたのもホワイトステージだったのですごい嬉しかったですよね。出演が発表されたとき、よく「赤好き」とか言ってるから周りの最初の反応は「GEZAN、レッド(RED MARQUEE)でしょ」みたいな反応もあったんですけど、「言えないけどホワイトだよ」って(笑)。

── でも、ルーキーアゴーゴーに初出演した2012年、GEZANは企画『来年目指すはメインステージ』にはエントリーせずに辞退されていたので、どういう気持ちで今回の出演を決めたのだろうと気になっていました。

マヒト:フジロックに拘わらず、自分が表に出て投票される、みたいなのをやることをそんなにいいとは思ってなくて。そういうのに関しては疑問があるかな。もちろん初めて出た時も、もっと違うステージでやりたい気持ちはあった。なんかこう、バンドは人気があってもなくても、バシッと張っててほしいという気持ちがあるので。



── GEZANがとった行動が当時話題になったのも、自分たちのスタンスを主張できるバンドの出現を待望していた人たちがいたからではないかと。

マヒト:当時、渋さ知らズの不破さん(不破大輔)が、面識ないのに「それが正しいでしょ」って言ってくれてたのは覚えてる。でもルーキーと次のステージへのエントリーはワンセットになってるものだから、俺らはもう今後フジには出れないかもねって、そう思われても仕方ないとずっと思ってました。

── しかしその7年後、フジロック側がオファーした。アーティストとフェスの在るべき姿というか、健全な関係に映ります。

マヒト:ほとんどのフェスがそうだと思うんだけど、いろんなイベンター会社とか事務所とのつながりで出演が決まっていくというのが基本にはある。でも自分たちはマネージャーもいないバンド。そういうところにもスポットを当てて、フジロックのひとつのやり方についてポジティブではないリアクションをした者に対してもそれを抜きに今の自分たちを見て声をかけてくれた。良心があるイベントがちゃんとあって良かった、という気持ちもありますね。


── では、フジロックはGEZANにとって特別ですか?

マヒト:そうですね。大阪から東京へ出るタイミングだったのと、これはよく言われることですけど、出演以外では絶対行かないでおこうとも思ってたし、光景としてすごい綺麗だったから。それと自分たちは大阪から東京出る前の最後に、大阪の十三のファンダンゴでワンマンをやってからフジのルーキーに出て東京に行ったんですけど、そのファンダンゴがなくなることになったので、この7月29日にワンマンやること決めてたらフジロックも決まって。だから、俺らが一番お世話になっていた箱のファンダンゴからルーキーに出て東京へ、というのが逆順になったりしてる。自分たちのバンドの流れとしては勝手に運命的な存在になってるかな。

── 巡り合わせですね。フジロックは、GEZANが主催する<全感覚祭>に影響したりも?

マヒト:正直してないですね。全然違う、メンタルみたいなところから<全感覚祭>は生まれてるから。フェスにはターゲットの層や役割がそれぞれにあると思うんですよ。ロック・イン・ジャパンにはロック・イン・ジャパンの、ライジングサンにはライジングサンの、フジロックにはフジロックの。それを好きな人が行くのでいいと思う。でも自分は音楽に惹かれてバンドを始めた頃の自分みたいな10代のやつに届いてほしいっていう気持ちがずっとある。そういう場所に居合わせて見た景色が次の新しい音楽を作っていく。でも、中高校生がフェスに行くために何万円ものお金を出せるわけがない。それが日本のフェスの現状だと思うんです。

◆インタビュー(2)へ
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