【インタビュー #2】吉本大樹、doa15周年とレーサーの両輪「絶対に自分は速い。でも追い抜くことは難しいんです」

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メジャーデビュー15周年を迎えるdoaが、三部作からなるベストアルバムをリリースする。当初、オフィシャルサイトにて『doa 15th Anniversary BEST SONGS リクエスト投票』を実施したが、予想をはるかに上回る投票数と音楽的に多岐にわたる上位楽曲の結果を受けて、夏、秋、冬の3期に分けて発売されることが決定したものだ。リクエスト上位曲から『ROCK』『MIDDLE』『BALLAD』をメンバー自身が選曲、『doa Best Selection』収録曲はそれぞれ19曲という大ボリュームで全3作がリリースされる。

◆「WINDOW」ミュージックビデオ 動画

BARKSでは、doaの15年間を紐解くヒストリーを前編および後編の二部構成でお届けするほか、メンバー個々の背景に迫るパーソナルインタビューを実施中だ。全5本のインタビューから、“3ボーカル”という道なき道を歩んできた彼らの軌跡を辿り、doaの向かう先に迫る。先ごろ公開した第一弾“ヒストリー前編”に続く第二弾は、吉本大樹のパーソナルインタビュー。プロのレーシングドライバーとしても数々の輝かしい実績を残している彼の過去と現在に迫る。

「レースも音楽活動も中途半端に遊びでやっているとは絶対に思われたくない」とは以前のインタビューで語られた言葉だが、どちらにも一切妥協をすることなく着実に成果を出してきた吉本大樹の本質が語られるロングインタビューとなった。

   ◆   ◆   ◆

■オーストラリア時代はカートを自作して
■走らせて楽しんでいたという感じ

──幼少期の家庭の記憶ってありますか?

吉本:小学校6年までの間に6回くらい引越をしたから、小学校は4回くらい変わっているんです。大阪で生まれて、大阪の中で何度か引っ越して、その後に兵庫県豊岡市に引っ越して、また大阪に戻るっていう感じだったので、ほぼ2年ごとに学校が変わったんです。

──それはたいへんでしたね。

吉本:だから僕には、幼馴染みがいないんですよ。小学校1~2年の頃の友達が今は神戸にいるので、たまに会ったりしますけど、唯一それくらいです。姉は僕の4つ上。とても若い頃に両親が結婚して、父親の仕事の関係で引越が多かったんです。

──転校が多かった子供は人見知りになったり、逆に人懐っこくなると言われますが、いかがでした?

吉本:人の輪に入れなかった記憶はありますね。周りは幼馴染み同士の友達関係ができあがっているし、同じ関西でも喋り方とか、ちょっとした風習が違っていたので、“ええっ?”みたいになることがあったんですよ。深く仲がいい友達は少なくて、ちょっとハブかれてる感があった(笑)。それに、小学校の頃の自分は、めちゃめちゃ変わっていたと思うんです。

──どんな子供でしたか?

吉本:周りはみんなファミコンとかスーパーファミコン、プレイステーションを持っていたけど、僕は買ってもらえなくて、ゲームの話題にも入れなかったんですね。その頃から僕はレースが好きだったけど、レースの話なんて小学生にはわからないじゃないですか。だから、ホントに友達と遊んだ記憶が少ない。でも、当時は母親が姉と僕を、週に2~3回カラオケに連れていってくれたんです。それが、音楽が好きになるきっかけで。

──レースに興味を持つようになったのは、きっかけがあったのでしょうか?

吉本:父親が車が好きで、その血を受け継いだんだと思う。父親とよくテレビでレースを見ていたし。

──そんな少年期を経て、吉本さんはオーストラリアで生活するようになるんですよね?

吉本:小学6年に上がってすぐのタイミングでした。その頃の僕は何故かヤンキーとかに憧れていたんですよ。当時テレビで見ていたアメリカのハイスクールは不良の世界で、それに少し憧れていたから、オーストラリアはどんなだろうとワクワクしてたんです。そうしたら、クリスチャンスクールで、そのエリアはみんなすごくいい子ちゃんで“なんだよ……”みたいな(笑)。でも、そういう感じだったから、特に構えることもなくオーストラリア生活に入っていけましたけどね。

──英語は?

吉本:全く喋れなかったので、最初にその学校の語学スクールみたいなところに通うことになるんですけど、なぜか2ヶ月くらいでそのスクールがなくなってしまって。ほとんど喋れない状態で、普通の学校に入ることになったので最初は大変でした。たとえば、計算の仕方も違うんですよ。小学生なのにみんな電卓を持っているんです。

▲ベストアルバム第1弾『doa Best Selection “ROCK COAST”』

──そうなんですか?

吉本:電卓で計算するのが当たり前で、電卓の使い方を学ぶというのは結構なカルチャーショックでしたね(笑)。そこで、すごく仲良くなった友達がギターをやっていたんです。だけど、彼はサウスポーで弦が逆に張ってあったんですよ。弾かせてもらったりしていたんですけど、わけがわからなくて、結果、ギターは放棄したという(笑)。今思えばもったいないですよね。

──その友達が右利きだったら、吉本さんはギタリストになっていたかもしれませんね。レーシングドライバーに向けた活動も、オーストラリアにいた頃に始められたのでしょうか?

吉本:お遊びみたいなことはオーストラリアにいた頃に始めたけど、正式に活動を始めたのは日本に帰ってきてからです。

──日本には、いつ帰ってこられたんでしたっけ?

吉本:1999年です。19歳になりかけの18歳の時ですね。

──レーサーとしてスタートするには遅くないですか?

吉本:遅いですね。普通は5~6歳の頃からカートレースを始めるんですけど、僕はそういう環境になくて。父親は車好きなのに、反対されていたんですよ。レースというのはすごくお金がかかるスポーツで、親がお金持ちというケースが多いんですよね。オーストラリアでレーサーに向けて動き出した時は、20年落ちのゴーカートのフレームを譲ってもらって、150ドルくらいの安いエンジンをバイトで貯めたお金で買って、タイヤはゴーカート場にいくとまだ使えるタイヤがゴミ箱に捨てられているから、それを拾ってきて……自分で組み上げて走らせるみたいな。でも、そのカートだと、サーキットで走る事はできてもレースには出られないんです。オーストラリア時代はカートを自作して、走らせて楽しんでいたという感じで。

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