【インタビュー】フォーカス「良い音楽の一端を担って行けたらいい」

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フォーカスが16年ぶりの来日公演を果たした。タイス・ファン・レール(Vo、Key、Fl)を中心に、クラシカルでありながらエキセントリックなサウンドは1970年代に大ヒットを記録し、当時のメンバーであったヤン・アッカーマンも名ギタリストの名をほしいままにした。1978年に解散となるも、タイスは様々な活動を経て2000年にフォーカスを再結成させ、そして2019年は6年ぶりにニューアルバムのリリースとともに結成50周年を迎えている。ここ日本公演でも、素晴らしいステージを披露してくれた。


2019年9月22、23日の川崎クラブチッタでは、その黒幕が静かに開くと美しいフルートの音色が響き、代表曲「Focus 1」からフォーカスの世界が繰り広げられた。若手メンバーのウド・パンネケート(B)はレフティの6弦プレイヤーで、メンノ・ホーチェス(G)はフォーカスというバンドを理解・リスペクトしている事がひしひしと伝わるプレイを聞かせてくれる。盟友ピエール・ファン・デル・リンデン(Dr)の信じられないパワーに圧倒され、流麗なフルートを片手に、もう片手でオルガンを、そして今なおハリのある歌声で魅了するタイスには、幾度もの感動の波が押し寄せてきた。

途中20分のインターミッションを挟んで約3時間となったコンサートは、Focusシリーズを始め数々の名曲を網羅し、要所でドラムソロやピアノからのイントロなどそれぞれの見せ場も披露し、インプロビゼーションも堪能できた感涙のステージは、スタンディングオベーションと拍手喝采の渦に包まれることとなった。

東京公演2日目のショウ前に、タイス・ファン・レールの単独インタビューを遂行した。とても静かに話しながらも、インタビュー中にもヨーデルを披露するというサービス精神たっぷりのタイスの言葉を届けよう。


──16年ぶりの来日ですね。

タイス:とても長い時間がかかってしまったよね。日本のファンとフォーカスの音楽は相通ずるものがあって、心が通う感じがあるよ。

──そして2019年は結成50周年、これまでの道のりはいかがでしたか?

タイス:自然な道のりではあったよ。フォーカス以外にも色々とやってきたからね。皆があまり知らないところで言うと、コンクシーという6人のセネガル人と6人のオランダ人、僕が7人目のオランダ人としてやっていた活動や、ペダル・ポイントという宗教のミサの曲をロック調で、言葉はラテン語でというものもあった。ツアーもしたし、アルバムも出してわりと成功したんだ。法王様にも認めてもらえたりね。それから21世紀になってからフォーカスを始めて、結果的には今のこのフォーカスが一番長く続いている。フォーカスは厳密に言うと1969年12月からのバンドなんだけど、12月ってほとんどもう1970年でしょ?1969年で60年代のバンドと思われるよりもやっぱりフォーカスは1970年代のバンドだという認識だよね。今はピエールが居て、若いギタリストとベーシストが居てとても良い状態だよ。自然とここにたどり着いたね。

──当時の人気は予想していましたか?

タイス:最初のヒット曲の「ハウス・オブ・キング」は、みんなジェスロ・タルだと思ったんだよ(笑)。フルートが入っていたからね。日本ではヒットはしなかったし、イギリスやアメリカもダメでオランダのみだったんだけど。その頃の僕のガールフレンドがお城を持っていて、無料でリハーサルスタジオとして使わせてもらえていてね、曲を作ろうというよりも遊び感覚でよく音を出していたんだ。ギターをかき鳴らしてドラムが入ってきて、そして僕が咄嗟にヨーデルボイスで歌ってみた。突然の咄嗟の3分半でインプロしながら出来てしまったのが「フォーカス・ポーカス」なんだ。ヨーデルはもちろんやった事もなかったし、ロックでもこんなの初めてだったけど、とてもユニークでいいかなと思った。

──ヒットして変わった事はありましたか?

タイス:急に色々な事が変わったよ(笑)。ステージも20センチくらいのレイザーやスポットライトを2本も当ててくれたり、それまでと同じレパートリーをプレイしているんだけど「良いんじゃない?」と言われるようになった。何も変わっていなかったのにね(笑)。

──2000年に正式に再結成を決めたのは、どんなきっかけがあったのですか?





タイス:もともとは1997年に再結成の話があったんだ。コンサートもやるはずだった。バートンというベーシストともう他界してしまったハンス(・クルフェール/Dr)、そして今のメンバーのギタリストのメンノ(・ホーチェス)とね。バートンと僕で曲を作っていたんだけど、ある時バートンが「昔のフォーカスよりも良いものが作れないし、これじゃコンサートもやれない」と辞めてしまったんだ。コンサートはやる事に決まっていたし、メンバーのクレジットも入れたポスターも刷ってしまった。「どうするんだ」とゴタゴタしてしまい、結局僕も当時のマネージャーも手を引いてこの時は全て白紙になってしまったんだ。その次に訪れたチャンスが2000年だね。僕の義理の息子であるボビー・ヤコブス(B)が、彼の友人のドラマーとギタリストとバンドをやっていたんだ。ある日、ボビーから「ハモンドオルガンを持って今からすぐに来てくれないか?」と連絡があったんだ。最初は雨も降っていたし遠い場所だったし「億劫だな」と断ったんだよ。それが何度か続いて「理由は言えないけど、すぐにオルガンを持って来て欲しい」だけでさ。ハモンドオルガンは重たいし(笑)、車も用意しなきゃいけないし、でもあまりにも言うんで行ってみたんだよ。そしたら、スタジオの外から漏れてきた音楽がフォーカスだったのさ。こんな若者達にフォーカスが受け継がれている事にとても感動したんだ。それで持ってきたハモンドオルガンで一緒に夜明けまでプレイした。1週間後にはコンサートもやって、そのギタリストが「このバンドをフォーカス・ポーカスというバンド名にしたら、南米あたりでもツアーができるんじゃないか?」と提案してきた。でもやってる音楽はフォーカスでしかないわけだから、それならフォーカスで、と南米で5000人規模のコンサートを行った。そこから本格的に再結成へと進んだんだ。

──6年ぶりのニューアルバム『FOCUS 11』もとても素晴らしいですね。制作のインスピレーションの源は、昔と今とは違いますか?

タイス:哲学や自然、美しいもの、恋している女性…題材はその時々では変わるけれど、根本的には同じだよ。今回のアルバムはこれまでよりちょっと進化しているかな?ちょっとだけメランコリックにしてみたよ。

──母国オランダでの現在の反響はいかがですか?

タイス:小さい国だからね(笑)。でもイギリスやアメリカでもとても評判は良いね。ビッグヒットはしないけれど、良い手応えは感じているよ。






──レジェンドとなって、まだ成し遂げたい事はありますか?

タイス:オーケストラと共演したいんだ。ちょっと自惚れているかもしれないけど、自分が作った曲でね。ジョン・ロードがやったでしょ?もう彼はいないから、誰かが受け継がないといけないなと思ってね。彼の1stソロアルバムで僕がフルートを演奏しているんだ。とても良い友人になれたし、本当に神様だよ。今のフォーカスとしても続けて行きたいし、1970年代から比べるとコンサート規模は縮小して大きなスタジアムではできないけれど、それは僕にとっては何も問題ではない。今のマネージメントが凄く良いので、やれる事をやって行きたいんだ。


──今後も楽しみにしています。

タイス:皆さんに幸せと幸運をもたらしたいし、良い音楽をたくさん聴くのはとても良い事だと思うんだ。その良い音楽の一端をずっとフォーカスが担って行けたらいいなと思うよ。本当にありがとう。


取材・文:Sweeet Rock / Aki
写真:Hiroyuki Yoshihama

<FOCUS ~ 50th Anniversary Japan Tour ~ In And Out & Best of FOCUS 2019>

2019.9.22-23 Kawasaki Club Citta'
【9/22】
<Stage1>
1.Focus 1
2.Anonymous
3.House of King
4.Eruption
5.Focus 4
6.Sylvia
<Stage2>
7.All Hens on Deck
8.Focus 5 & 6
9.Who's Calling?
10.Focus 7
11.Focus 8
12.Harem Scream(Including Guitar and Bass Solo)
13.Pocus Hocus(Including Drum Solo)
~Encore~
14.Focus 3
【9/23】
<Stage1>
1.Focus 1
2.Anonymous
3.House of King
4.Eruption
5.Focus 7
6.Sylvia
<Stage2>
7.All Hens on Deck
8.Focus 9 & 10(Piano)
9.Le Tango
10.Focus 2
11.La Cathedrale de Strasbourg(Intro Piano)
12.Focus 11
13.Harem Scream(Including Guitar and Bass Solo)
14.Pocus Hocus(Including Drum Solo)
~Encore~
15.Focus 3
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