ルディ・サーゾ、文無しだったが、オジー・オズボーンからの最初の誘いを断った理由
80年代初め、オジー・オズボーンのバンドに加入したベーシストのルディ・サーゾは、“腹をすかせたミュージシャン”だったにも関わらず、1回目の誘いは断り、2回目に声をかけられたとき、承諾したそうだ。
◆『Speak Of The Devil』画像
彼は、最初断った理由を、『Chuck Shute』ポッドキャストでこう明かした。「俺は困難な状況から立ち去るタイプではない。人々を置き去りにはしない。(当時は)床で寝てた。Angel(バンド)のツアーは全く金にならなかった。LAにいる腹をすかせたミュージシャンの1人だった。Angelってバンドにいたが、レコード契約はなく、新しい契約を見つけるのに苦戦してた。約束された未来なんてものはなかったよ。でも、俺はバンドの一員だったから、さっさと逃げ出すつもりなんてなかった」
サーゾは当時、オジーの現在の妻/マネージャー、シャロンから電話を貰ったが、オジーのこともシャロンのこともよく知らず、断ることに躊躇しなかったという。「いま、シャロンと言えば、誰でも知ってる、この業界で最も成功を収めたアーティストの1人と結婚し彼をマネージメントする、力を持つ成功した女性だ。でも、40年くらい前はそうじゃなかった。オジーもシャロンもいまのようなプロフィールではなかった。彼女はただオジーのマネージャーだった。マネージャーでさえなかったかもしれない。マネージャーの娘だった。だから、“ワオ、シャロンから電話があった”っていうんじゃなかったよ」
オジーに対しても、彼のソロ・アルバムは聴いたことがなく、彼のバンドにはランディ・ローズがいるということくらいしか知識がなかったそうだ。
サーゾは1981年にオジーのバンドに加入した。翌年(1982年)、ランディ・ローズが亡くなったのを機に脱退している。
Ako Suzuki
この記事の関連情報
メタリカのロバート・トゥルヒーヨ「オジーなくしていまの自分はない」
オジー・オズボーン、ビリー・モリソンの新曲に参加
オジー・オズボーンの妻「オジーはいつだって女性に対し不適切」
オジー・オズボーン、「『シンドラーのリスト』はみんな観るべき」
ロックの殿堂2024、ファン投票初週の1位はオジー・オズボーン
オジー・オズボーン、故郷バーミンガムで最後の2公演開催を計画
シャロン・オズボーン「爆弾が落ちても、ゴキブリとキース・リチャーズとオジーは生き残る」
オジー・オズボーン、T-ペインの「War Pigs」カバーを「過去最高」と絶賛
オジー・オズボーン、フェイク・ニュースに「俺は死んでない。その前にステージに立つ」