今だからこそ明かされる、KISS来日公演秘話

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去る12月8日から、<END OF THE ROAD WORLD TOUR>の一環として、最後のジャパン・ツアーを実施中のKISS。その後、東京、盛岡、大阪と公演が重ねられてきたが、いよいよ12月19日、名古屋はドルフィンズアリーナにてこのツアーも終着点に到達することになる。

彼らの来日公演は1977年の初来日時から今回を含め、トータル12回にわたり行なわれてきたが、そのすべてを手掛けてきたのがウドー音楽事務所である。今回は、一昨年には創設50周年を迎えている同社の現在の代表取締役である重冨章二、高橋辰雄の両氏に、これまでの来日時の話をお聞きした。

まずは1977年、1978年と連続で実現した初期の来日公演を担当された高橋氏の証言からお届けするとしよう。

「当時はとにかく不安だった。というのも、KISSはそれまでのロック・バンドとは違う見てくれをしていて、独自のコンセプトがあり、どういう連中なのかというのが見当もつかなかったからね。人間性どころか素顔すらもわからない。それまでにもグランド・ファンク・レイルロードやバッド・カンパニーを担当していたけど、このバンドは他とは違うはずだし、何をしでかされるかわからないぞ、と用心していたようなところがあった」

「当時の羽田国際空港に出迎えに行って、まず驚かされたのは、彼らが乗ってきたパンアメリカン機に、パンナムのロゴと並んでKISSのロゴがあったこと。とはいえプライヴェート・ジェットではなく、正確には“半分貸し切り”の状態で、一般客も何割かは乗っていた。到着ロビーでは、数百人のファンが待ち構えていた。当時、飛行機のタラップの下まで車を寄せることができたので、僕はそこに乗り付けていたんだけど、彼らはなかなか出てこなかった。この話は有名だよね? 飛行機のなかでの彼らは素顔だった。メイクをしてから降りてきたんだけど、入国審査で、そのままだとパスポートの写真と同じ人物か確認できないということになり、一度機内に戻ってメイクを落として入国手続きを済ませ、ふたたび機内でメイクをしてから出てきた。その間、約3時間。さすがにファンはもうすでにKISS一行が空港を出てしまったものと思っていて、帰路に就こうとしていた。そこに彼らを乗せたリンカーン・コンチネンタル・タウンカーが2台通りかかったものだから、当然のように人だかりになった。フロントガラスの前が人で埋め尽くされて、前がまったく見えないほどだったよ。そのうち1台は僕が運転していて、ジーンとポール、セキュリティを乗せていたんだけど、もしかするとそこを通過する際、何人かの足を車で踏んでしまってたかもしれない(笑)。その後は、高速道路の入口までパトカーに先導してもらった」

「車のなかでの彼らは気さくだった。まず名前を聞いてきて、日本はどんな国なのかと尋ねてきた。いろんな場所に行きたがっていたね。ただ、実際にはあまり出かけることもできなかった。滞在先はホテル・オークラで、国賓は泊めたことがあっても、KISSみたいなロック・バンドが宿泊したことはなかった。そこでホテル側から申し渡されたのは、1フロアを全部押さえて、他のフロアに行かないようにすること。そして、すべての出入り口に24時間、制服の警備員を配置すること。それを全部、うちが手配しないとならなかった。KISS一行は確か、35~36人ほどだった。彼らの泊まった階にはもっと部屋があったけども、余分な部屋もうちで借りなければならなくなった。当然、僕自身もそのうちの一部屋に泊まりましたけどね(笑)。とにかく他の宿泊客に迷惑をかけないように、というところで神経を尖らせていないとならなかった」

「正直な話、当時のこぼれ話というのはさほどないんですよ。というのも、彼らはとにかく全神経、全体力をステージに集中させているから、ほとんど外出することもない。一度、ホテルの部屋でコスプレをして遊んでいたことはあったな。素顔で軍服とかを着て、写真を撮り合ってね。ジーンとポールを連れて、銀座に買い物に出たことはあった。もちろん素顔でね。ただ、その時にポールがKISSのロゴの入ったTシャツを着てきて、ジーンが怒ったことがあったな。そんな恰好をしていれば、自分はKISSのメンバーだと言って歩いてるようなもの。2人ともブーツを履かなくても背が高いから、銀座の街を歩いればただでさえ目立つからね。そんな時、エースは部屋で酒を呑んでいることが多かったし、ピーターは何をしているのかと思えばドラムを練習していたりもした。ポールも曲作りをしていた記憶がある。ドラッグとかとはまったく無縁だった。だから意外なくらい、ハチャメチャなエピソードというのはないんですよ。非常に統率がとれていて、仕事として決められていること、つまり金が派生することについては、きちんとやるし、一生懸命取り組む。当時の彼らはまだ20代だったわけだけど(注:ピーターのみすでに30代になっていた)、ものすごくプロ意識の高いバンドだな、と思わされたね」

続いては、KISSが素顔で初めての日本上陸を果たした1988年以来、彼らのツアーを担当してこられた重冨氏による証言をお届けしよう。

「初めて担当させてもらった1988年の来日時は、正直なところ『ちょっと違うんじゃないか?』と言う印象があった。自分が知っているKISSとは違うように思えたというか、同じように火薬とかをガンガン使うライヴをやってはいても、メイクをしていないというだけで、違う人たちのように感じられてね。ただ、その後も変化がいろいろと続いた。フェアウェル・ツアー(2001年)の時にはツアー・マネジャーだったトミー・セイヤーが、2003年のツアーではメンバーとしてステージに立つことになった。あの時は、『えっ、今回からおまえが弾くの?』と驚かされたしね。実際、2001年のエースは風邪をひいてしまって、プレイも間違えたりすることがあったし、かなりボロボロだった。帰りの車の中で、ジーンがエースに『それでもプロなのか!』と説教し始めたことがあったのをよく憶えてますよ。そこまでボロクソに言わなくてもいいんじゃないか、と思えるほどキツい言い方だった。大きな声でガンガン言うもんだから、聞きたくなくても聞こえてきてしまう。ただ、それは単純にジーンがキツいというんじゃなく、彼らのプロ意識が高いということ。よほどのことがない限り、ライヴをキャンセルすることもない。だから先日のオーストラリア/ニュージーランド公演が中止になった時には驚いたけども」

「KISSといえば、やっぱりあのライヴ。しかもお馴染みの大掛かりな演出が不可欠。ただ、向こうで使っているものすべてを持ってくるのは、基本的には不可能なんです。というのも、持ってきても会場の規模や作りが違うから、搬入しきれないし、現地と同じようにステージを組むことができないケースが多い。東京ドームができてからはそれも解消されたけども、他の地方会場などでは、どうしてもスケール・ダウンしなければならなくなる。以前も蜘蛛みたいなセットで降りてくる演出があったけど、会場によっては天井からの“吊り”ができなかったり、その重量に厳しい制限があったりする。しかもステージセット一式の設置が、1日がかりでも間に合わない。今回も、うちのスタッフが2回ほど現地にツアーを観に行って、『これはこのままできるけど、これはできない』という判断をして、日本ではこんなふうに変更しよう、という交渉をしてきた。同じものを持ち込む場合でも、設置の仕方を変えたりとかね。ポールが空中移動することについても実はいろいろと制約があって、あれを日本でやること自体も実はかなり大変なんです。日本では消防法がとても厳しくて、火柱は天井から何メートルまでと決められているし、一度の特効で使っていい火薬の量、一回のライヴを通じて使用可能な火薬の総量の上限も定められている。そこで、この特効の回数を減らしてこっちを増やそうとか、そういった調整をすることになるわけです。しかも彼らのライヴには、かならず消防の担当者がやって来て、ジーンが火を吹くところがチェックされる。初来日以来、事故なんか一度も起きていないし、消防との信頼関係も築けているはずなんだけど、それでも観にやって来る。もしかすると、単純に観たいのかもしれないけどね(笑)。ただ、万が一のことがあったら、影響は大きい。他のアーティスト、邦楽アーティストの興行でも、そういったことがやりにくくなるケースも出てくるわけで」

「僕が担当するようになった当時、すでにバンドは大人だったし、初めて日本に来た若いバンドみたいに騒ぐことも、あちこちに出かけたがることもなかった。そういう意味では手がかからないし、逆に言うと、エピソードも少ない(笑)。トミーやドク・マギーとは一緒にゴルフに行くこともある。ドクは毎回のようにやるし、トミーも上手いよ。ゴルフ好きのアーティストというと、アリス・クーパーもそうだね。これがまた上手いんだ。勝てなかったね(笑)」

「食事は肉が多い。ステーキハウスとか焼き肉屋とか。アレルギーとかを抱えているミュージシャンも多いけども、KISSの場合はそれもないし、面倒な注文もない。うちが主催するディナーの時、ポールにはファウンダー(同社創設者の有働誠次郎氏)の近くの席についてもらうことが多い。ポールは気配りの人だし、バンドとしての意向を持っているからね。食事といえば、フェアウェル・ツアーの時のディナーはすごく印象に残っている。というのも、ファウンダーが『今、辞めるのはあまりにもったいないよ。まだまだバンドも元気だし、お客さんもたくさん入っているのに』と言い出して、それに対してジーンとかも『確かにそうだよな』と言って…。ドク・マギーも同じ場にいたし、明らかにそこで空気が変わったような気がした。彼らがあのツアーに引退を撤回したのは、あの時の会話が発端だったのかもしれない。もちろん、実際のところはわからないけどね」

両氏の口からは他にも興味深い話がたくさん出てきたが、今回はこのへんで。1月末にシンコーミュージック・エンタテイメントより発売される予定の『KISS来日大全』にはさらなるエピソードも掲載される予定なので、楽しみにしていてほしい。すでにジャパン・ツアーのファイナルとなる名古屋公演のチケットは完売となっているが、そこでKISSがどんなショウを披露し、彼らの口から何が語られることになるのかにも注目したいところだ。

文:増田勇一
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