【連載】Vol.084「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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ジェイソン・イズベルの音楽へ対する直向きさをダイレクトに感じさせた魅力溢れるステージ!!!ブルース・スプリングスティーン loves ジェイソンなのです…祝 初来日公演!!



アメリカン・ロックのルーツをしっかり守りながら自らの信ずる音楽道を邁進するジェイソン・イズベルの初来日公演を1月13日Billboard Live TOKYOで楽しんだ。今回はジェイソン(ヴォーカル ギター)と奥方でもあるアマンダ・シャイアズ(フィドル ヴォーカル)というシンプルなデュオ編成。息の合った雰囲気で全15曲を披露してくれた。カントリー・フィーリングをブレンドしたジェイソンのヴォーカル・スタイルは魅力溢れる。この夜、彼のソロ・アルバム・ナンバーやThe 400 Unit楽曲そして夏前にリリース予定の新曲まで披露してくれたのだ。このファースト・ステージで僕は完全にジェイソンに魅了された!!

オープニングは2015年大ヒット・アルバム『Something More Than Free』からのシングル・カット「24 Frames」。ミディアム・テンポのとってもメロディが綺麗なナンバー。この曲はグラミー/ベスト・アメリカン・ルーツ・ソング受賞曲だけあってオーディアンスはイントロから大きな拍手だ。


▲CD『Something More Than Free』 提供:BSMF RECORDS

2曲目はミディアム・アップのブルーグラス・タッチな展開がとても魅力的な「Tour Of Duty」。The 400 Unit名義の2011年リリースのアルバム『Here We Rest』
から。



「Traveling Alone」は2013年リリースのソロ名義アルバム『Southeastern』からのナンバー。アマンダのフィドルとコーラスがとても印象的だ。アメリカーナ・ミュージック・アワード三部門受賞のこのアルバムは彼自身のパーソナルな作品集でもあるのだ(インタビュー参照)。実にドラマティックな楽曲である。そして、このナンバーはブルース・スプリングスティーンが大好きなのだ!そういえばジェイソン&アマンダの“Born in the USA”は要チェックだ…。



4曲目も『Southeastern』から、「Stockholm」。ジェイソン&アマンダのハーモニー・ヴォーカルがファンタスティック。数年前のアマンダとの欧州ツアー中ストックホルムでこのナンバーを演ったらとても盛り上がったという…。



そしてレコーディングが終了したばかりのニュー・ソング「Overseas」。とてもエモーショナルなナンバーだ。早くCDで聴きたい!



曲間MCでフィドルとヴァイオリンはどう違うのかアマンダ説を披露。“購入する時はフィドル”、“売却する時はヴァイオリン”だそう…(笑)。



『Southeastern』からもう2曲。しっとりとしたバラード「Live Oak」。アマンダのテキサス流フィドルがジェイソンを見事にサポートする。そして感動的内容の「Elephant」と続く。ジェイソンのシンガー=ソングライターとしての実力をまざまざとみせつける楽曲である。



「Parking Lot Pirouette」はアマンダのヴォーカルから入っていく。ということで2018年リリースの彼女の作品集『To The Sunset』収録ナンバーでアルバム・オープング・ソングである(アルバムはナッシュヴィルRCAスタジオ録音)。この日のステージでもレコーディング同様ジェイソンはバックに徹する。


▲CD『To The Sunset』 from Mike's Collection

今度は2017年リリースのThe 400 Unit名義アルバム『Nashville Sound』が続く。「If We Were Vampires」はジェイソン&アマンダのデュオ・ソングだ。グラミー賞ベスト・アメリカン・ルーツ・ソング、アメリカーナ・ミュージック・アワードのソング・オブ・ジ・イヤーを受賞した。


CD『Nashville Sound』 提供:BSMF RECORDS

「Hope The High Road」も『Nashville Sound』収録。カントリー色をダイレクトに感じさせる。これぞアメリカーナだ。

“僕はカントリー・マンで、シンガー。フォーク・シンガー、ロック・シンガーでもあるんだけど、次にご紹介する新曲は完全にカントリー・ソングです”というMC後登場の11曲目はまだタイトルの決まっていない「新曲」だ。



「Flagship」もカントリー・チューンだ。アルバム『Something More Than Free』収録。インスト・パート(ギター&フィドル)でぐっとセッション的雰囲気を醸し出す。



「St Peter」はジェントルな感じを押し出した作品。これもニュー・ソングである。まだタイトルの決まっていない⑪を含めこの日披露してくれた3曲のうち何曲がニュー・アルバムに?!これは期待せずにいられない。

再び『Nashville Sound』からで「Last Of My Kind」。ジェイソンのポップな歌いっぷりをここでしっかり味わう。アマンダのコーラスが心地よく響く。

そしてラストはお馴染み「Cover Me Up」。アルバム『Southeastern』収録。アメリカーナ・ミュージック・アワード/ソング・オブ・ジ・イヤー受賞。大きく盛り上がるバラード。ジェイソンはシンガーとしての実力をいかんなく発揮した。

素晴らしいライヴを味わいその興奮冷めやらぬファースト・セット終了後(セカンド・セット直前のインターバル間)にジェイソン・イザベルは僕のインタビューに応じてくれた。



Mike:アラバマ生まれ、もうすぐ41歳。音楽的にまさに脂にのりきっている“今”の君のライヴを味わえて感動!したんだよ。幼い頃から音楽に囲まれた環境で育ったとか。初めての楽器はマンドリン?ゴスペル、カントリー…。
Jason:最初の楽器は祖父に買ってもらったマンドリン。確か6~7歳、ギターを弾くにはまだ手が小さかったからー数年後にギターを始めました。今思うと音楽的にとても恵まれた環境でした。祖父や従兄弟、両親も音楽に親しんでいましたしね。僕の周りの友人たちもギターやバンジョーをプレイしていた環境だったんです。
M:ラジオではどんな番組を聴いていましたか。
J:ロック・ミュージック専門の独立系ラジオ局のいくつかを好んで聴いていましたよ。公共放送局ではインタビューやらニュースなどを聴いていました。アメリカでは公共放送局は信頼できるニュース発信源で、それ以外のラジオ局はエンターテインメント専門です。



M:10代になると、TOP40とかロックンロールにも興味を持つようになりませんでしたか。
J:少年期の1980年代はよくポップ・ミュージックを聴いていましたが、それはとても大切なことでした。南部の田舎育ちの僕がポップ・ミュージックに接することによって、自分の音楽がよりメロディアスになったと思います。当時スクィーズ、ティル・チューズデイ、バングルズなどが大人気で、そういった音楽を聴くことによって、僕の田舎っぽいフォーク・ソングにポップなメロディを加えることが出来たので、ありがたかったですね。
M:最初に真剣に取り組むようになった楽器はギターでしたか。
J:そうです。真剣に取り組んだ最初の楽器がギターでした。多分7~8歳の頃。何時間も弾きまくって、ときには一日8~9時間くらい弾いたりしましたよ。



M:1990年代半ば、君が14~5歳の頃にその後ソングライターとしても有名になるクリス・トンプキンスと演奏活動していたとか。グループ名は?誰の曲をカバーしていたの。
J:野球が大好きで、15歳までやってました、ピッチャー。今ではアトランタ・ブレーブスの試合をよく見に行きます。何人かの選手とも知り合いです。野球後は音楽に熱中しました。当時の僕はクリス・トンプキンスとヤング・カントリーという既にあったカントリー・バンドに加入したんです。バンドはピアノ・プレイヤーが必要だったのでクリスを入れたかったのですが、彼は自分の友人でギターが弾けるジェイソンも一緒ならバンドへOKと了解得たんです。人前で本格的に演奏したのはヤング・カントリーが初めてでした。そのバンドでキース・ホイットリーやジョージ・ストレイトのカバーのほかクリスのオリジナル曲などもプレイしていました。当時クリスはソングライティングを始めた頃で僕も負けじと何曲か書いたんですが、まだ人に聴かせるレベルではなかったです。
M:グランド・オール・オープリーにも出演しちゃったんだって?!
J:そうなんです。ベストを着てカウボーイハットを被って出演しましたよ。まだ15歳くらいだったかな。



M:学業との兼業で音楽活動を続けていったんでしょう。フェイム・スタジオにはどういった経緯で出入りするようになったの。それはデイヴィッド・フッドとの出会いがきっかけだったんですか?
J:高校と大学はメンフィスでした。19~21歳頃、夏休みで里帰りすると、ギター教室で教えたりしていました。21歳の時に友人が開くお店のコンサート用に30分を埋めるくらいに7曲ほどを書いて、それを里帰りした時にフェイム・スタジオに持って行って聴いてもらったところ、スタジオに出入りするアーティストへのソングライティング契約をもらうことが出来たんです。実はデイヴィッドとは13~14歳の頃からの友人で、それまで彼とは多くの時間を一緒に過ごしてました。フェイムが僕の作品を真剣に検討してくれたのは、デイヴィッドが彼らに僕のことを口添えしてくれたからです。今でも僕にとってデイヴィッドは家族の一員みたいなものです。フェイム・スタジオは若い僕をプロのソングライター達と同じ待遇で扱ってくれたのです。クリスやビル・ブラックバーン、そしてドニー・フリッツなどにかなりの楽曲を提供しました。ただヒットするような曲はなかなか書けなかったけど…。
M:21世紀に入ると君はサザン・ロック・バンド、ドライヴ-バイ・トラッカーズにジョイン。どういった経緯で参加したんですか。
J:僕はデイヴィッドを通じて彼の息子、ドライヴ-バイ・トラッカーズの創始者のひとりでもあるパターソン・フッドとも仲が良かった。或日DBTがハウス・コンサートを行った時にギター・プレイヤーが現れなかったのです。グループにはコンサートをサボったらバンドはクビというルールがありました。ライヴの休憩時に「僕は君たちのレパートリーは全部知ってるし、ギターも出来るから、代わりにプレイしようか?」とパターソンに訊くと、じゃあ試しにやってみるかということになったのです。次の日から彼らと一緒にツアーに出るようになったのです。


▲CD『Decoration Day』 from Mike's Collection

M:DBT3枚のアルバム『Decoration Day』(03)、『The Dirty South』(04)『A Blessing and a Curse』(06)に君はクレジットされています。この時代の想い出、エピソードなどについて語ってください。
J:ドライヴ‐バイ・トラッカーズに在籍出来て本当にラッキーでした。不慣れなツアーに関して多くのことを学びました。未だ右も左も分からない状態、しかもクルーもいません。DBTスタッフは僕の当時の妻ショーナ・タッカーひとり。携帯電話とクレジットカードを持っているのは彼女だけで、それをメンバーが使いまわしていたんです。CCでガソリン代を支払い、次公演主催者にその携帯電話で連絡をとったり…。2年間で300公演をこなしたんです。移動は一日6~8時間の運転です。全てが目からうろこの経験でした。ショーナは途中からDBTのベーシストとしてもステージに立ったりレコーディングにも参加したんです。
M:ビッグ・アーティストとの共演などは?
J:レーナード・スキナードの前座を務めたことがあります。20歳そこそこ若造にとってあんなビッグ・ステージの経験は凄かったですよ!



M:2007年春君はDBTを離脱、その理由は…。
J:2007年でした。理由は酒です。僕は酒にどっぷり呑まれてしまいバンドを辞めましたが、DBT脱退後に禁酒して、その後はソロ活動をずっとしています。今でもDBTとは連絡を取り合っています、特にパターソンとはしょっちゅういろんな話しをしています。お互いのコンサートに足を運びますし、僕らの子供たちはよく一緒に遊んでいるんです。
M:そしてソロ活動、ユニットTHE 400 UNIT。この10年余りは精力的に活動なさっています。THE 400 UNITにはどういった意味合いがあるんですか?
J:精神病科の病院のことなんです。家族がそこで治療していたこともあります。病院は軽症患者さんたちをバンに乗せて町に行き、ランチ代としてお金を渡してバンから降ろして、各自で昼食を買いに行かせるのです。初めてその様子を見た時に、これってまるでバンドみたいだなと思ったんです。地元の人たちはそんな患者を怖がりながらも、バンから降りてきた人たちが町の人たちに話しかける様子は、そう、バンから出てきて昼食を求める自分たちの様子とまるで同じですよ。そんなところからこのユニット名にしたんです。
M:ところで今回の初来日でBSMF RECORDSから5枚のアルバムが来日記念盤としてわが国でもリリースされました。それらについてコメントをお願いします。2009年の『Jason Isbell and 400 Unit』では 僕は特に「No Choice In The Matter」が好きです!まさにサザン・ソウル・ミュージック!!


▲CD『Jason Isbell and 400 Unit』 提供:BSMF RECORDS

J:「No Choice In The Matter」は僕なりのR&Bソングを作ろうとした作品です。思い起こすとレコーディングがとても楽しかったです。10年前でしたがあんなホーン・セクションを入れてやるのは初めてでしたからね。ハービー・トンプソン、チャールズ・ロールズ、キム・ウォーターズら、ウェイロン・ジェニングスのようなビッグ・アーティストとプレイした人たちですよ!その時ハービーからオモシロイ話を聞いたんです。彼は年配のサックス・プレイヤー。1960年代後半にテキサスで大学時代を過ごしたそうで、そこにフレディ・キングがツアーでやって来た時に、サポートで演奏してくれと言われて公演に行ったそうです。するとハービーはフレディに気に入られて「一緒にナッシュヴィルに来てくれないか。明晩の公演でもプレイしてくれ」。翌日ハービーは大学での試験でしたが、フレディ・キングとプレイする機会なんて、これを逃すわけにはいかない、翌日ナッシュヴィルでフレディ・キングのバックでサックスを吹きました。その為試験を受けることが出来ず、単位を落としてしまい、結果ベトナムに行くことになってしまったのです。在学中は兵役が繰り延べられますが、フレディ・キングとプレイしたことによって単位を落として大学に残れなくなってしまい、徴兵されてしまったのです。兵役を終えて家に戻ると取り残されたように感じていたそうですが、2~3年後には再びフレディのツアーでサックスを吹くようになったそうです。全く彼は後悔はなかったでしょうね。



M:2011年『Here We Rest』。収録曲「Alabama Pines」はアメリカーナ・ミュージック・アワードでソング・オブ・ジ・イヤーを受賞!


▲CD『Here We Rest』 提供:BSMF RECORDS

J:妻アマンダが初めてレコーディング参加してくれた曲です。ドラマーのチャド・ギャンブルとも初めてでした。

M:2013年『Southeastern』は注目作。ソロ名義4作目でアメリカーナ・ミュージック・アワードではアルバム・オブ・ジ・イヤーほかソング・オブ・ジ・イヤー(Cover Me Up)、アーティスト・オブ・ジ・イヤー3部門受賞!


▲CD『Southeastern』 提供:BSMF RECORDS

J:僕にとってのブレイクスルー・アルバム、ここで大きく飛び立てたんです。そしてとてもパーソナルな作品集でもあります。禁酒してアラバマからナッシュヴィルに引っ越し、もっとパーソナルな音楽を作りたいと思ったのです。レコーディングはプロデューサーのデイヴ・コブのホーム・スタジオで、出来上がりとしては音に余白のある落ち着いたものです。



M:2015年の『Something More Than Free』、ソロ名義です。Billboard/Top Country Albums・Folk Album・Top Rock Albums 1位!Billboard 200(Album Chart)6位!グラミー賞ベスト・アメリカーナ・アルバム、そしてベスト・アメリカン・ルーツ・ソング(24 Frames)受賞!アメリカーナ・ミュージック・アワード ソング・オブ・ジ・イヤー(24 Frames)受賞!


▲CD『Something More Than Free』 from Mike's collection

J:僕はグラミーに対して何で賞をくれないんだって昔は怒ってたんですよ。でもこれで賞をもらったから、もう怒っていません(爆笑)。

M:2017年『The Nashville Sound』、The 400 Unit名義。大ヒット・アルバムです。Billboard/Top Country Albums・Folk Album・Top Rock Albums・Independent Albums 1位!Billboard 200(Album Chart)4位!グラミー賞ベスト・アメリカーナ・アルバム、ベスト・アメリカン・ルーツ・ソング(If We Were Vampires)受賞!アメリカーナ・ミュージック・アワードのソング・オブ・ジ・イヤー(If We Were Vampires)、デュオ・オア・グループ・オブ・ジ・イヤー、アルバム・オブ・ジ・イヤー受賞!


▲CD『The Nashville Sound』 from Mike's Collection

J:僕自身これら3作品が続けて大きな成功を収めたことに驚いています。本当に素晴らしい結果だとしか言えません。デイヴ・コブ他多くの人たちと作業。作り終えた時に、何て気が楽なんだろうと初めて思ったアルバムです。このアルバムをこれ以上のものにするなんてあり得ないと感じました。誰もが良いアルバムだと称賛してくれました。この時点でThe 400 Unitは本当に上手く纏まって、お互いをより理解し合えるようになれたと思います。



M:シェリル・クロウのアルバム『THREADS』にジョイン、ボブ・ディランの「Everything Is Broken」を彼女と共演!いかがでしたか。


▲CD『THREADS』 from Mike's collection

J:シェリル・クロウは男性的です。皆が彼女をミック・ジャガーのように扱いますからね。ロック・スターです。彼女の声はいつも完璧。様々な場所で彼女が歌うのを観ましたが、完璧以外の何物でもないですよ。彼女のスタジオは牧場の納屋みたいなんです。スティーヴ・ジョーダンと一緒だったのですが、素晴らしかったですよ。そうそう、僕はボブ・ディランが大好きなんだ・・・。

*と言いながらジェイソンはシャツを捲り腕のタトゥーを見せてくれた。そこにはディランの1964年アルバム『The Times They Are a-Changin'』の「Boots Of Spanish Leather」歌詞の一部が…。



M:映画「アリー/スター誕生」に「Maybe It's Time」を提供しました。ブラッドリー・クーパーがとても素敵に歌っていました。楽曲提供することになった経緯を詳しく教えてください。改めてこの映画の中で自分の作品が登場したことへの感想などをお聞かせ下さい。


▲CD『A STAR IS BORN/SOUNDTRACK』 from Mike's collection

J:デイヴ・コブがこの映画音楽を担当で、彼から映画用に何か楽曲はないか訊ねてきたんですけど、「デイヴ、悪いけど自分のレコーディングがあって、今それは出来ないな。“スター誕生”を映画にするのも酷いアイディアだよ。もう3度も作ってるだろう。クリス・クリストファーソンとバーブラ・ストライサンドの映画を憶えているけど、ああいった映画の曲は作りたくないよ!」と答えたんです。すると妻のアマンダは「そんなバカなこと言ってないで、とりあえずやってみればいいじゃない。いくつか曲はあるでしょう。それを仕上げればいいのよ」と言うので、「分かったよ。ちょっとの間、静かにして。やってみるから」と言って、なんとか仕上げてデイヴに聴かせると、「完璧な出来だな!」と言い、それをブラッドリー・クーパーに聴かせると、「完璧だな!」となりました。ハハハ。そして或日、自宅にいた時です。アマンダは社会人学校のマスター・クラスの勉強があるので、「今週中に終わらせなければならないの。私は部屋にいるけど、何があっても絶対にドアをノックしたりしないでね」。オーケー、僕は1歳の娘をベビー・ベッドに寝転がせて食事をあげていたんです。食べ終わると娘はピーナッツ・バターが残ったスプーンを僕によこしました。丁度そこに電話が鳴ったんです。「ジェイソン?私はステファニーよ」「ステファニー?」「ガガです」「ステファニー・ガガ?」そこで電話の相手が誰なのか分かりました。レディ・ガガ!「わざわざ電話をありがとう。でもなぜ電話してくれたんですか?」「今あなたの曲をレコーディングしてるんだけど、パーフェクトだって伝えたかったの。映画にピッタリよ」「おお、それは良かった!」「あなたは今何をしてるの?」「娘にスプーンでピーナッツ・バターを食べさせてるところです。娘とお話しされますか?」「オーケー」と言うので、電話元に娘を出しましたが、もちろん娘が話せるのは「ガーガ。ガーガ」だけ(爆笑)。その後アマンダが部屋から出てきたので、「聞いてくれよ。何があったと思う?レディ・ガガから電話があって、娘はお話ししたよ」「なんで私を呼びに来てくれなかったの?」「だって何があってもノックするなって言ってただろう?」(大爆笑)。



M:新作の予定は?!
J:ニュー・アルバムは既に仕上がってます。5月15日に発売予定です。
M:今回はアマンダ・シャイアズとのライヴです。彼女の音楽家としての魅力お願いします。『TO THE SUNSET』は素晴らしい出来栄えです。
J:彼女自身の仕事がない時は私に帯同してくれますし、僕の仕事がない時は彼女をバックアップしています、お互いがとても上手くいっています。彼女がいつも私たちと一緒にプレイ出来ればいいのです。でも「自分の曲を書くのを止めて僕たちのバンドに入ってくれよ」なんて言えるはずないですからね(笑)。



M:最後に以下の人物について一言ください。
J:ハ~イ!
☆リック・ホール
リックは私が音楽業界で会った中で最もハードワーキングな人です。たまにクソヤローになりますが、大好きでした。彼は僕に怒鳴ったり、皆に怒鳴ったりしますが良い人ですよ。彼とは友人でした。

☆パターソン・フッド
今でも一番の親友です!

☆ガース・ブルックス
アマンダがガース・ブルックス大好きなんです。僕も好きですよ。いちどミドル・イースト・テネシー・フェア会場でたった1ドルのガース・ブルックスの公演を味わったことがあります。昼間のステージ、素晴らしかった。

☆エミルー・ハリス
最も好きなハーモニー・シンガーです。知り合えて本当に良かったです。内面的にも素晴らしい人です。

☆ブルース・スプリングスティーン
彼が僕の楽曲を歌ってるのを観て、自分の歌がブルース・スプリングスティーンの歌声になってる!と思ったのです。ブルース・スプリングスティーンが歌ってるんですから、そうなります(笑)。その時彼はツアー中で爪が剥がれてしまい指は血だらけになってましたが、そのまま最後までそのステージをやり遂げました。未だにハードワーキングなんですね。数年前のジャズ・フェスティバルの出来事です。

☆ウィリー・ネルソン
ウィリー・ネルソンはいちどアマンダに口づけしたことがあるんです。僕たちはステージ上にいて、メドレーを演奏していました。するとウィリーが歩み寄って来て口づけしてきたそうです。まあウィリー・ネルソンだから仕方ないか、です。

☆ローリング・ストーンズ
ローリング・ストーンズは大好きです。『Sticky Fingers』のほうが『Exile On The Main Street』より気に入ってます。

☆デイヴィッド・クロスビー
ナッシュヴィルに来てくれて、僕のニュー・アルバムで歌ってくれたんです。その時、デイヴィッド、アマンダらと一緒にレストランに行ったのですが、そこでジョイントに火をつけるんです。先週のことですよ。1970年代とかじゃないんです。公共の場所でふかしてるんですからねえ!(爆笑)そんなことするのは、デイヴィッド・クロスビーとウィリー・ネルソンとスヌープ・ドッグだけですよ。



*Special thanks to Todd Horn and Masato Nishimura/BSMF RECORDS
*協力:S.Yoshida
*LIVEショット:Pic.by Masanori Naruse

☆☆☆☆☆

<Billboard Live YOKOHAMA 2020年4月12日オープン!>
クラブ&レストランBillboard Live、東京&大阪に続き三店目が開業する、Billboard Live YOKOHAMA。4月12日オープンである。運営は阪神コンテンツリンク。昨年末、同社代表取締役社長/Billboard Japan CEOの北口正人氏と食事をする機会があったが、その際彼はBillboard Live YOKOHAMAへ対する意気込みを僕にこう語った。「これまでBillboard Live TOKYO、OSAKAで培ったノウハウをより全面に押し出し、音楽の素晴らしさ、LIVEの魅力を新しいクラブ&レストランで提供していきたい。真のエンターテイメント・スポットを誕生させる。国内外の一流アーティストたちのパフォーマンスを楽しめるBLYが国際都市・横浜の文化交流に大いに貢献出来ればと考えている」。彼は近著「billboardを呼んできたサラリーマン~電鉄会社の傭兵たちが作った夢の棲家」でもBLYについて触れている。


▲書籍「billboardを呼んできたサラリーマン~電鉄会社の傭兵たちが作った夢の棲家★北口正人」(ダイヤモンド社)from Mike's Library


*所在地:横浜市中区北仲通5-57-2 KITANAKA BRICK & WHITE 1F
*最寄り駅:みなとみらい線“馬車道”直結
     JR京浜東北・根岸線・横浜市営地下鉄ブルーライン“桜木町”徒歩8分
*座席数:約300席
URL:http://www.billboard-live.com/pg/shop/index.php?mode=top&shop=4

Billboard Live YOKOHAMAオープニング・ステージを飾るのはアメリカ音楽界を代表するヒット・メーカーのバート・バカラック。



バカラックは作詞家のハル・デイヴィッドとのコンビで1960年代初頭から70年代にかけて枚挙にいとまがないほど数多くのヒット作を生み出している。ディオンヌ・ワーウィック、ジーン・ピット二ー、ボビー・ヴィントン、ジャッキー・デシャノン、アレサ・フランクリン、ダスティー・スプリングフィールド、トム・ジョーンズ、ハーブ・アルパート・・・、彼らの代表作にはバカラックがクレジットされている。彼の名が我が国でも音楽雑誌などに登場したころ、その表記が“バート・バカラッチャ”だった。65年頃、確か雑誌“ポップス”でそう記されていたのを見たような…。“バカラッチャ”、湯川れい子さん、亀渕昭信さん、朝妻一郎さん、音楽業界大先輩諸氏は憶えていらっしゃることだろう。1971年のバカラック初来日公演@日本武道館を楽しんだ筆者としてはBillboard Live YOKOHAMAのこけら落としにもうすぐ92歳の御大が決定というニュースに毎日大拍手している。

その後も連日ビッグ・アーティストのパフォーマンスが続く!!!
http://billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=calendar&date=202004&shop=4

◆「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」まとめページ
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