【インタビュー】BAROQUE、重要作『SIN DIVISION』完成「本当の悪は、善より純粋なのかもしれない」

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怜と圭。2人というミニマルな体制となったBAROQUEにとっての新たな起点となった『PLANETARY SECRET』(2015年)が世に出てからすでに5年が経過している。それから丸4年以上を経て2019年夏に登場した『PUER ET PUELLA』は、前作を“黒”とするなら“白”にあたる作品だった。そして同作のリリースからわずか半年で、彼らは赤いアルバム、よりニュアンスに忠実に言うなら赤黒い色彩をまとった作品を発表するに至った。題して『SIN DIVISION』。

◆BAROQUE 画像

手元の資料のなかに綴られている圭の言葉を引用すれば、前々作は“哲学的な生命の誕生”、前作は“現実的な、人の一生”、そして今作においては“現実のなかで人が普段は隠しているもの”がテーマになっている。三部作的ともいえる流れを決定付けるこのアルバムにただようのは、“罪の境界線”を意味する表題にも似つかわしい禁断の匂い。さっそく2人に、この重要作について語ってもらおう。

   ◆   ◆   ◆

■かつての音楽を三歩ぐらい
■進化させたようなサウンドで

──前作からわずか半年。正直なところ、このタイミングで本当に新作が登場したこと自体にまず驚かされました。

圭:そうですよね。マスタリングまで終わったのは1月14日のことだったんです。10日にはライヴ (ハーモニーホール座間での、前ツアー・ファイナル公演)があったじゃないですか。あの時点では俺、無事に出るとは思ってなかったですよ(笑)。

怜:ふふっ。本当にそこに関してはギリギリだったよね。

圭:うん。本当にあと3~4日でできるものなのかは、自分でも疑わしく思ってた。

怜:なにしろ俺も、そのライヴの2日前にまだ「END VISION」を歌ってたくらいですから。で、ライヴの前日はそれのハモ録りとかをしていて。ホントにギリギリでした。

──そんな状況下、大きな流れの節目となる1月10日のライヴには、集中するのが難しかったんじゃないですか?

怜:いや、むしろずっとやってたからこそ集中しっぱなしでいられた、ということのほうが大きかったですね。今回の制作って、『PUER ET PUELLA』を作ってた当時からずっと続いてたんで。しかもライヴ→制作→ライヴという繰り返しでもあったわけですけど、結果的にはその流れも良かったのかな、と思う。

圭:うん。ホントにここ1年ぐらい、ずっと何かしらレコーディングしてきて。俺のソロ・アルバムも含めてね。それがすごくいい意味で日常になってるんです。そんななか、週に一度ツアーに行く、みたいな感じになっていて(笑)。常に音楽と向き合ったり演奏したりしてるなかでステージに立てるんで、逆に集中できるというか、同じ感覚で臨めるんですよね。

▲『SIN DIVISION』

──制作モードから気分を切り替えてライヴに臨むわけではなくとも、ライヴはリフレッシュにも繋がるはずでしょうしね。前々作から前作までの間には4年が経過していて、前作から今作まではあっという間だった。しかも圭さんはその間にソロ・アルバムまで作っている。この流れだったからこその加速度みたいなものも生じていたんでしょうか?

圭:これが2人になってから3枚目ということになるわけですけど、やっぱり最初の頃は、作り方とか作業の仕方自体についても、試行錯誤しながらだったんですよね。4人だったものが2人になったりとか、いろいろあったんで。どういう流れでやるのがいちばんいいのか、と。自分たちみたいないわゆるユニット的な形態の人たちって、もうひとりマニピュレーター的な人がライヴだけじゃなく実際の作業にも関わってたりして、そういうまとめ役的な存在を立ててうまくバランスをとってるケースも結構ある。そういう人と組んだほうがうまくいくんじゃないかと思ってた時期もあるし、『PUER ET PUELLA』の制作期間中にも実際そういうことを試してみたりしたんですね。でも、なんかしっくりこなかったり、逆に時間がかかったりしてたんで、その途中……あれは今から1年前ぐらいということになるのかな。その時点で、もう完全に2人だけの作業にしようって決めたんですね。その結果、『PUER ET PUELLA』ができて、この『SIN DIVISION』も完成して。なんか単純に、やりやすくなったというか。誰かにまとめてもらうんじゃなく、逆に2人でいいんだなって今は思えてますね。

──BAROQUEとして有効な、自分たちなりの方法論というかシステムみたいなものが確立できてきた、ということですね?

怜:うん。それこそ今作からは歌録りとかも、自分で全部録りきるようになって。結構な急展開ではあったんですけど、そういうことを経験していくなかで、やっぱ、人を挟むからこそのいい部分というのもあるけど、直接的なほうが速いよなって実感させられて。何かを試すうえでもそうだし、やりとりも2人だけならシンプルで速いし。もちろん、間に誰かを立てることの良さというのもあるはずですけどね。

──作ろうとしているものの性質や方向性によっては、そうなのかもしれませんね。そして今回、まず象徴的なのは、前々から予告されていた黒→白→赤という作品イメージの流れ。そこでテーマになっているのは“人が本来は隠したがるもの”。それはすなわち本性でもあると思うんですが、前作が“清らかで無垢なもの”という感触だっただけに、まさに真逆のもの。だけども同時に“逆もまた真なり”と思わされる部分もあります。こうした主題のものを作ろうということは、前々作、前作を作っていた流れのなかで見えてきたことだったんですか?

圭:そうですね。前作の制作期間の後半ぐらいから、徐々に明確に。まず、2人になってからまずアルバムを3枚出そうと思ってた、というのがあって。そこで何がやりたかったというと、もちろんこの2人にしかできない音楽性の追求というのもあるんだけど、テーマとしては、“この世界に生まれてきて、この世界自体について感じること、感じてきたことの色ってどんなものだろう?”というのが根本にあって。ただ、これまでの2作については、基本的には良い面というか……当然そのなかに苦難とかはあるんですけど、作りながら“これは、ある一面でしかないな”ということを感じるようになってきて。そこでもう一個、その裏側だったり、コアにあたるような部分がないと、説得力がないというか真実味がないな、と気付かされたんです。


──歌詞のテーマとしては、それもわかるんですよ。しかしそれに伴う音楽性はどういうものが相応しいのか。結果、ある意味とても往年のヴィジュアル系的な感触のものになっているように思えるんです。

圭:そこについて言うと、ヴィジュアル系というのは俺らのルーツであって、実際に80年代、90年代のヴィジュアル系を聴いて育ってきたわけですけど、そうした自分たちのルーツにあたる人たちがどういうものを聴いてきたかについても、俺はミュージシャンとしていろいろと探ってきたし、それがすでに自分のなかにもある。そういう意味では、原理主義的なヴィジュアル系ではあるかな、とも思うんです。べつにその人たちも、ヴィジュアル系をやろうと思ってそうなったわけではないはずじゃないですか。デカダンな世界観だったり、ゴシックなものだったり、そういったものを融合させていった結果、音楽的にも見た目の部分でもそういうダークなものになった。今回、そういう感覚で作ろうという意識はありましたね。実際、このアルバムにはホントにいろんな側面が……音楽性の部分ではヒップホップみたいなところもあるし、ダンス・ミュージックもあるし、ヘヴィ・メタルの要素もある。ただ、まず何より音楽というツールを使って、ダークでゴシックな世界観で、このアルバムのテーマとするものを表現しようと思ってたんで。そういう意味では、おこがましいですけど、本来そういうことをやってた人たちが思い描いてたようなことを、今、この時代の音でやろう、というような気持ではありました。

──そこが重要ですよね。だから決してリヴァイヴァルみたいなことではない。あくまで今現在なりの新しい音と解釈で作られている。

圭:そうですね。だから“今回はわざとヴィジュアル系みたいなことをやってみました”というのとも全然違うし、人間の闇の部分みたいなものを、本来の原理主義的な意味で、できればそういうかつての音楽を三歩ぐらい進化させたようなサウンドで体現したい、とは思ってました。

怜:もちろんテーマについてもそうだし、そういう話はいちばん最初にありましたね。そこに基づきながら“この曲に対してどう表現しようか?”とか考えていって。そこから俺は入っていくほうなんで。ただ、元々そういうやり方だったし、そこは変わってないですね。

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