【インタビュー】BAROQUE、重要作『SIN DIVISION』完成「本当の悪は、善より純粋なのかもしれない」

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■これが悪魔なんだなと理解した
■必ずしもフィクションではない

──そうした方向性や結論の求め方については、怜さんにも異論はなかったんですね?

怜:異論を持つことはないですね。ただ、それをよりきちんと理解するためには何を調べたらいいんだろう、とか。そういうことのほうが多かったかな。

──結果、わりとめんどくさそうな本を読むことになったりとか?

怜:今回はむしろ映像がヒントになることが多かったかな。もちろん本もいくつか読みましたよ。地獄に関するものとかがあれば、それを調べてみたり。そういうことは変わらずやっていて。

──以前の取材の際に、いわば圭さんが監督で怜さんが物語の主人公を演じる俳優なんだ、という話がありました。今回の場合、物語の方向性はかなり明確なものだから、そこに入り込んでいかないといけない、というのがあったわけですね。

怜:そうですね。曲ごとにテーマがしっかりあるから。それこそ1本の映画を作るぐらいの感覚ではあったんで。だから……そういう意味ではやりやすかったかもしれない。実際、ずっと熱中してましたから。

──たとえば前作では、「RINGING THE LIBERTY」という曲での“死ぬ間際の心境”とか、経験したことのない微妙な感触を表現しなければならない難しさというのもあったはずですが、今回の場合はむしろ、入り込んで、行けるとこまで行き切っちゃってOK、みたいなところもあったのかもしれませんね。

怜:うん。よく圭ちゃんとも言ってたことなんですけど、フィクションだからかえってやりやすいところはあった気がしますね。

圭:確かに俺は最初、フィクションのものを作ろうと思ったんですね。やっぱり本当の闇って、わかるようでわからないところもいっぱいあるじゃないですか。最初は結構、犯罪者とか死刑囚に関する本とかをいっぱい読んでみたりしてたんです。『PUER ET PUELLA』では現実の人生を描いてきましたけど、あれは、いわば道を踏み外してない人生だと思うんですね。あくまで健全というか。でも世の中にはそうじゃないものもいっぱいある。変な話、人を殺してしまった人、殺されてしまった人、そういう人たちが現実の世界には間違いなく存在するわけじゃないですか。それは俺にはきっと理解できない世界なんだろうと思ってたんです。そういう体験がないから。だからそこでの憎しみだったり悲しみだったりについては、あくまで想像で、フィクションとして作っていこう、と。ただ……あんまり先入観を持たせたくはないんだけど、これは一人の男の話なんですね。いわゆる堕天使、ルシファー的な存在。その男が堕天使、悪魔になっていく過程を書こうかなと考えて、“I LUCIFER”という曲を作る時に、ルシファーというのは本当はどんなやつなのか、ということを掘り下げていって。その男の根本に眠っていた悪が目覚めた理由は何だったのか、と。この曲についてはまずタイトルありきで、そうやって主人公の気持ちや生きてきた過程を考えていったんです。そうやって作っていくなかで、ある時、その心が見えたというか……。それを理解したい、わかりたいと毎日ずっと思っていたら、ものすごく悲しい、怒り狂った、傷ついた感情というのがガーッと押し寄せてきた瞬間というのがあって。“なんだ、これ?”と思って、ホントに鳥肌が立ったんですけど。いわば、怒ってるんだけど泣いてる、みたい感覚だったんです。しかも不思議なことに、それって自分のなかで知ってるものだったんです。実は小さい時に家族が自殺したりしたことがあって、その時に心に現れた感情と一緒だったというか。そこで理解したんですよね。この心こそが地獄なんだって。その時も俺は、ものすごく憎んだんです。世の中自体とか、生まれてきたこととかすらも。そして今、これが悪魔なんだな、と理解したんです。地獄というのは物質的なものではなく、やっぱり現実のなかにホントに紙一重で存在してるものというか。そこに気付いた時に、これは必ずしもフィクションではないんだな、と思わされて。

──フィクションのようでいて、現実世界に当て嵌まる。

圭:そうです。自分にもそういう要素がある。すごく心が穏やかな状態、たとえば誰かを愛してたり、人のことを考えてるような心持ちというのは、ある意味、天国なんだろうと思う。でも俺自身、遠い過去にそういう体験があった次の日から、青い空を見ても青く思えなかったというか、憎しみの対象みたいに見えてしまってたし。一瞬ですべてを地獄に感じるようになることがある、というか。

──純真で、無垢なもの。そうしたものすら、瞬時にして真逆に見えるようになる。

圭:そう、同じものを見ても。そこから道を踏み外して、それこそ誰かを殺めるとか、現実を本当の地獄に変えるようなことになっていく。そういうことなんじゃないか、と実感したんです。

──そして、本当の地獄に落ちていく。だからこそこのアルバムは「I LUCIFER」で幕を閉じることなく、その次にまさしく地獄を意味する「INFERNO」で終わるわけですね?

圭:そうなんです。ストーリー的には、「INFERNO」こそが現在位置というか。今そこにいる男の過去の話、そこに至った経緯、みたいなものになってるわけです。

──アルバムの後半、主人公は凍てついた淵を這い出して(=「FROZEN ABYSS」)、嘆きの川を渡り(=「COCYTUS」)、自分が堕天使であることを自覚し(=「I LUCIFER」)、最後には地獄へと向かう(=「INFERNO」)。ただ、序盤の展開も「RITUAL」でミステリアスに幕を開け、「END VISION」で深みへと誘っていく流れから始まるわけですけど、どんなにヘヴィなリフ、ダークな音色、ディープな歌声で表現されている楽曲にも、開けているところがあって、救いがあると思うんです。完全に真っ黒なわけではなくて。ただ、最後に堕天使は地獄へと突き落とされるわけで、そういう意味では、闇に落ちた人に手を差し伸べようとする物語ではないのかもしれない。

圭:そうですね。だから……なんだろうな。一度道を踏み外して、それを自分でも認識できたやつは戻ってこられない、みたいな(笑)。概念的なところで俺が思ったのは……たとえば道を踏み外す人間と踏み外さない人間がいて、何が違うのかって考えた時、やっぱり変な話、愛を信じるか信じないかの差じゃないかなってことなんですね。たとえば何かが傷つけられる、愛が叶わない。そこから憎しみや悲しみって生まれるじゃないですか。それに囚われて、そっちの感情が勝ってしまうと、結局は愛情を信じなくなってしまうし、それを捨ててしまいますよね。だから戻れなくなる。逆に自分のなかでブレーキを掛けられる人というのは、そこで愛情が勝ってる人なんじゃないかと思っていて。だからストーリー的にはその「I LUCIFER」で、世界を憎むところで歌詞的にも終わってるんですけど、ホントに愛を捨てて憎んでそっちの感情に染まり切った人間はもう帰ってこられないというか。そういう意味で「INFERNO」があるんです。

──ただ、そこで愛を信じることができ、ブレーキが掛けられる人というのは、もしかしたら本心の奥底にある感情には嘘をついているのかもしれない。

圭:そうですね。悪こそが、もしかしたら本当の純粋さでもあるのかもしれない、というか。そういう意味では、変な話、漫画の『デビルマン』も結構インスピレーションになっていて。

怜:そうそう、結構その話にもなったよね。

圭:本当の悪っていうのは、もしかしたら善よりも純粋なのかもしれないな、と。

怜:うん。そこについては今回、すごく考えさせられた。

圭:考え始めるとちょっと怖くもなりますよね。それこそ死刑囚についての本とかを読んでみても、ずっと後悔してないような人もいるし、もしかして生まれた時からイカレてるんじゃないかと思えるような人もいるんだけど、やっぱりちょっと共通してるなと思ったのは、なんか妙に純粋なんですよ。全然いい結果には繋がってないんだけど、恐ろしいくらいに。だからこそ悪になった人もいる、というか。

──それが悪だと思っていないからこそ、そこまで悪くなれるわけですよね。冷酷な犯罪者が登場する物語とかでも、その人物像が美しく描かれているほうがむしろ怖かったりもする。だからそうした物語の主人公として歌うとなると、“俺は凶悪だぞ”という歌い方をすればいいというわけではない。

怜:うん。しかも実際に歌ってるのは、今こうして生きてる自分だから、そういう意味では、日々、自分が日常的に肌で感じてる世界観というのが入ってると思いますね。その、ひとりの主人公の像に沿って、自分なりの現実味みたいなものが。

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