【コラム】オジー・オズボーン、帝王の威厳と愛しさが混ざる最新作

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オジー・オズボーンの新作『オーディナリー・マン』が2月末にリリースされた。ジャケット写真からしてどこからどう見ても“普通の男”じゃないというツッコミはさておき、新作は闇の帝王の威厳と確かな音楽性、そしてプリティさが程よく混ざった良いアルバムだった。

今作においてまず感じたのは「スーパーギタリストの不在」だ。いや、メインギタリストにはアンドリュー・ワットが参加してるし、スラッシュやトム・モレロもゲスト参加してるんだけど、彼らがランディ・ローズやザック・ワイルドらと同じポジションかといえば、感覚的には微妙なところだろう。

そして、ゲストギタリストが参加している割に、全体的にはギターより、それ以外のサウンドの印象が強い。かなりの人数を使って豪勢に入れたストリングスやコーラスにより、今作のサウンドは密度が高く、全編通して装飾的で華麗な雰囲気となった。

楽典的視点で見ると、今作はポップス的な理論にメタルを混ぜて、極めてカッチリ作られている。その上で、露骨にブラック・サバスを意識した曲やメロディがあるのも面白い。どの曲とは敢えて言わないけど、普通に「アイアン・マン」だよねアレ。

全体的には、「バラエティ」に富みつつ「遊び」が少ないというか。変な話、「クイーンのアルバムみたいな作り方してる」と感じた。この辺りは作曲面にチャド・スミスやダフ・マッケイガンといった「先人を分析しつつ、自分たちの個性を追求したミュージシャン」たちが入ったことが影響しているんだろう。

そして今作、歌も上手い。いや、世界のトップ歌手に対して「歌が上手い」とは変なレビューだが、オジーは「ロックスターに大切なのは技術ではなくカリスマ性」というタイプのアーティスト。しかし今作は、超個性的な声質はそのままにミドル&ハイトーンが美しく、楽譜的に難しい部分でも、音程やリズムがクリアになっている。つまり上手い。

この仕上がりは、少々驚異的だった。何故って、かなり体力の要る作りだ。ここ最近のニュースを見ているとオジーはあまり元気が無さそうだったし、ライブでも低く抑えたブルージーな歌い方を多用していたので、新作も落ち着いた雰囲気になるとばかり思っていた。それがどうだ、聴いてみたら元気いっぱいじゃないか。確かに歌詞は自省的だが、全体としてはまだまだ野心に溢れている。

ところでこのアルバム、どうしてギターを強くフィーチャーしていないのだろう。アルバムの詳細が発表された頃から「ザックがいないなら聴かない」なんて意見は結構見たし、オジーのソロといえばスーパーギタリストというのは一種の伝統行事でもある。それを控えた今作のサウンドには、一抹の寂しさを感じずにはいられない。まあでも「ザックがいないなら聴かない」って言ってた人の何割かは「スラッシュがいるなら聴く」「トム・モレロがいるなら聴く」って言って帰ってきてる気もする。

さて、その理由について、筆者はふたつの仮説を立てた。ひとつめは「今作はシンガーとしての力量を示すための作品だから、敢えてギターを控えた」説だ。

オジーほどに癖があるシンガーが強力なギタリストを従えていると、どうしても「オジーはあまり好きじゃないけど、ギタリストが好きだから聴く」的なリスナーを呼び込んでしまう。そして実際のところ、オジーのソロには「オジー個人だと技術的に難があるからスーパーギタリストを呼んでいる」的な評価が下されることもある。

こういう評価を一掃するには、ギターサウンド控えめな秀作を評論家の鼻っ面に叩きつけるのが一番だ。まあ一方では「今作はバンドサウンドが弱くて微妙」と評価されるのは避けられないけど、そのへんは個人の好みということで。それに『オーディナリー・マン』のギターサウンドは音楽に対して過不足が無い誠実な仕上がりで、「ヘヴィメタル」としては控えめでも、「このアルバムの音楽」にはこれ以上なくハマってる。

そしてもうひとつ。このアルバムは「ブラック・サバスからの完全な独立」というコンセプトもあるのではなかろうか説を紹介したい。

考えてみれば『オーディナリー・マン』のサウンドは、何から何までブラック・サバス(オジー期)と正反対だ。あちらがブルースの理論を使うならば、こちらはポップス系の理論を。あっちがブルージーかつシンプルな作りを好むならば、こっちはコーラス隊やストリングスを呼び、壮大かつ華麗に。「ギターサウンドを前面に出さない」というのも、ギタリストを主格とするサバスとは対照的な特徴である。

ブラック・サバスとしてデビューした時点で、オジーは何をやっても「あの伝説的なオジーサバス」と比較される十字架を背負った。なのでオジーは新作を出すたびに「サバスと比べて云々」言われるし、インタビューでも「サバスの再結成は」と訊かれる。これ、要は「お前は大人しくアイオミと組んでろ」と言われているようなものなので、サバスから解雇されてアイオミと確執を持つオジーにとっては、かなり癪なことだ。

そういった声に対抗するために今作が制作されたとするならば、これまでと印象が違う作りにも納得がいく。だってこのアルバム、「ブラック・サバスには作れないもの」なのだ。こういう計算し尽くされた音楽は、霊感タイプのトニー・アイオミには作れない(ホントは作れるけど、あんまりリスナーに求められてないから作らない)。アイオミにできないものを作れば、サバスと比較されることもない。だって、全く別のものは比較しようが無いから。

アンドリュー・ワットら若い才能の起用、ポスト・マローンにトラヴィス・スコットとの共演や、ストリングスを交えたエルトン・ジョンとの美しいデュエットも、「サバスからの独立」と思えば妥当なところと言える。また、ザック・ワイルドの不参加という謎ポイントも「パワータイプのギタリストを連れてくるとサバスっぽい音になってしまうから」と説明できる。それにザック、サバス大好きだし。ほら、だんだん辻褄があってきた。こういうのを詭弁と言います。

ついでに、「アイオミとの才能対決」と思えば、ここ最近オジーがやたらとアイオミの悪口を言っていることにも納得できる──んだけど、これは何十年も続く一種の伝統行事というか、まあそういう類のものなので、今作とは関係ないだろう。アイオミに幸あれ。

さて、『オーディナリー・マン』は評価が激しく割れる作品だ。しかしその原因は恐らく、「そのリスナーがオジーに何を求めているか」というところにある。絶対評価タイプの人は高く評価するだろうし、「メタルを聴きたい」人や「オジーといえばこういう音楽」というイメージを強く持つ人、相対評価タイプの人にとって、こんなに微妙な出来のものは無い。つまり、今作の評価は“先入観”に大きく左右されるのだ。

なので、このアルバムを最も正しく評価できるのは「オジーってコウモリ食った人でしょ? 歌手なの?」という感じの人なのかもしれない。そして現在のアメリカには、そういう人が数多くいる。

個人的には、『オーディナリー・マン』は傑作だと思っている。これまでと同じラインの上で優れたものを作るのではなく、大胆に新たな音楽性を追求する。すごく良い選択だと思うし、70歳を超えても若者たちと関わりながら挑戦的な新作を出す、オジーのそういうところは最高にカッコいい。

オジーは昔のスターではなく、今この2020年を生きて、これからも進化するトップミュージシャンなのだ。闇の帝王ここに在り。それでもやっぱりどこかプリティで、愛おしいのがオジーの魅力。いろんな意味で表裏のない人柄は、今作でも120%、歌声の響きだけで表現されている。

文◎安藤さやか(BARKS編集部)



■『オーディナリー・マン』

2020年02月21日リリース
[収録曲]
1.ストレート・トゥ・ヘル
2.オール・マイ・ライフ
3.グッドバイ
4.オーディナリー・マン feat.エルトン・ジョン
5.アンダー・ザ・グレイヴヤード
6.イート・ミー
7.トゥデイ・イズ・ジ・エンド
8.スケアリー・リトル・グリーン・メン
9.ホーリー・フォー・トゥナイト
10.イッツ・ア・レイド feat.ポスト・マローン
11.テイク・ホワット・ユー・ウォント with ポスト・マローン&トラヴィス・スコット(ボーナス・トラック)
12.ダークサイド・ブルース(日本盤ボーナス・トラック)

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