【連載】Vol.089「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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ボブ・ディラン我が国独自企画『日本のシングル集』!



ボブ・ディランのツアーとしての9度目の来日公演(1994年東大寺、2018年のFUJI ROCKを除く。あとビデオ・クリップ撮影のために日本にやってきたこともあった)は残念ながら中止になったけど、2枚組CD『日本のシングル集』(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル/SICP-313661~2)は予定通りファンの前に登場!

1962年頃ディランが日本で“ダイラン”と呼ばれていたことは70年代初頭に僕は知ったんだけど、彼に注目するようになった65年半ばにはディランの表記だった。彼の名を教えてくれたのは勿論ローリング・ストーンズだ。ストーンズのブライアン・ジョーンズがディランと仲が良いというニュースを英国音楽誌などで頻繁に掲載されそのネタをよくRSFC会報に書いた。そしてディラン65年のヒット曲、FENでは長尺のためかフェイド・アウトされてばかりだった「Like A Rolling Stone」で、タイトルからかディランのファンになったストーンズ・マニアが結構いた。69年ブライアンは若くしてこの世を去ったが、彼の葬儀での棺をディランが特注しロンドンへ航空便で送ったことはファンのよく知るところだ。70年代以降もディランとミック・テイラー、キース・リチャーズ、ロニー・ウッド、そしてグループとの交流と多岐に亘る。キース・リチャーズのライヴでの“Thank you, Bob!”じゃあないけど両者の関係を引っ張り出していたら一冊の本になってしまうだろう。でもどうして我が国ではボブではなく皆ディランと呼ぶのだろう!?あっ、そう言えば25年以上前にバルセロナでキースのソロ・コンサートでスペインのファンが“リチャーズ!”と声援を送っていたのに驚かされたなぁ!!

2016年10月、僕はカリフォルニア州インディオ/エムパイア・ポロ・クラブで開催されたデザート・トリップ(WEEKEND ONE)に参戦、初日を飾ったのはディランとストーンズだった。98年のブエノスアイレスのような共演はなかったけど、それでも両者の各ステージはディラン・ピアノ側&キース側の3~5列目で観た感動は昨日のことのように覚えている。


▲「The Desert Sun」(Oct.8 2016) from Mike's Library

ディラン・ライヴ・リポートはこのコラムVol.2に記してあるのでお時間のある方は…。
https://www.barks.jp/news/?id=1000135099

イントロが長くなってしまった、『日本のシングル集』を聴いてみることにしよう。この2枚組CDは1965年から20年間に亘りシングル・レコードとしてリリースされたA面31曲を網羅した実にマニアックな内容となっている。



DISC 1
1.サブタレニアン・ホームシック・ブルース
1965年6月に日本コロムビアからリリースされた本邦ファースト・シングル。その時のタイトルは“ホームシック・ブルース”だった。



フォーク・ロックに転身したディランの素晴らしい作品。Billboard誌HOT100では同年4月3日付83位初登場(★)その後74位→65位→55位(★)→44位(★)→44位、そして5月15日付39位が最高位。アメリカにおける初ヒットである。


▲『Joel Whitburn Presents The Billboard HOT100 The Sixties』65年5月15日付 from Mike's Library。尚、以下の楽曲でのランク・アップ状況&最後日付チャート掲載はまたどこかの機会で…ご了承ください。

同誌アルバム・チャート6位を記録しゴールド・アルバムを獲得した『Bringing It All Back Home』収録(以下アルバム・チャート/ACはBillboard誌より)。今回アナログ、カラー・レコードでリリースされる(SIKP-1002)。コアなファンの方はぜひこちらもお薦めします。



2.ライク・ア・ローリング・ストーン
ディランがフォークからロックなイメージを完全なものしたのがこの作品だった。65年9月4日&11日付HOT100で2位。AC3位を記録しプラチナム・アルバムを獲得した『Highway 61 Revisited』に収録。90年代に入ってからのストーンズとディランの共演ヴァージョンはよく知られている。当時のシングル盤のジャケット・コピーが時代を反映している。昨年もセットリストに加えていたという。



3.寂しき4番街
我が国では65年末リリースのシングルでその時の邦題は60年代前半~中期にかけてのデル・シャノンの日本タイトル、街角シリーズにインスパイアされたのだろうか(笑)、“淋しき街角”。65年11月6日付HOT100で7位。余談だけど僕はデル・シャノン・ヒットの中では「太陽を探せ」が最も好きだ。



4.窓からはい出せ
60年代半ばの隠れた名作。66年1月29日付HOT100で58位が最高位。日本コロムビアから最初にリリースされた時の邦題は“窓からはいだせ”だった。米コロムビア・レーベルがCBSソニーから発売されるようになった69年に再発されその時から“窓からはい出せ”。





僕は今ディランと親交のあるカーラ・オルソンの新作ライナーを執筆中だけど、彼女はミック・テイラーとのアルバム『Ring Of Truth』でこのナンバーをカヴァーしている。

5.風に吹かれて
日本で66年4月リリースされた名作。ピーター・ポール&マリーほか多くのアーティストが取り上げているメッセージ・ソング。僕はどうしても85年のキース・リチャーズ&ロニー・ウッドがバックを務めたLIVE AIDでのディラン・ステージを思い出してしまうのだ(LAは仲間と協力してβ録画した)。そしてTHE KINGことエルヴィス・プレスリーのヴァージョンも聴き応えがある。ディランは62年からずっと歌い続けている。63年リリースされAC22位を記録しプラチナム・アルバムを獲得した『The Freewheelin' Bob Dylan』収録。日本で何度もシングル・カットされた。







6.スーナー・オア・レイター
大ヒットこそしてないけど多くのファンに知られる名作。66年のシングル。アル・クーパーやロビー・ロバートソンがバックを務めたことはそれから数年後に知ることとなる。日本盤発売時のキャッチ・コピーは“モダン・フォークの元祖”。Billboard誌Bubbling Under The Hot 100、同年3月26日付で119位。アメリカではシングルが先行で同年5月にリリースされたアルバム『Blonde On Blonde』収録(AC9位、プラチナム・アルバム)。



7.雨の日の女
時代を反映した作品、get stoned!66年5月21日付HOT100で2位の大ヒットだったけどUSラジオ放送局やFENではオン・エアー自粛された。僕はデザート・トリップでのファースト・チューンだったことを思い出す…。『Blonde On Blonde』収録。



8.アイ・ウォント・ユー
ダイレクトな表現によるラヴ・ソング。10代後半の当時の僕らにはとても参考になった(汗)。HOT100では66年7月30日付&8月6日付で20位。『Blonde On Blonde』収録。



9.女の如く
66年秋に我が国で最初にリリースされた時のタイトルは“ジャスト・ライク・ア・ウーマン”。HOT100では65年10月8日付33位。『Blonde On Blonde』収録。このナンバーを聴くと僕は当時噂になったジョーン・バエズのことが脳裏をかすめる。



10.レイ・レディ・レイ
ディランの69年のカントリー作品集『Nashville Skyline』(AC3位、プラチナム・アルバム)に収録楽曲。HOT100では同年9月6日付&13日付の2週7位。一方、我が国のラジオ・チャート番組をチェックしてみるとTBSラジオ“POPS BEST 10”では69年10月1日付12位を記録している。



11.時代は変る
ディランが1963年に完成させたまさに“あの時代”を象徴する作品。64年リリースのアルバム『The Times, They Are A-Changin'』収録(AC20位、ゴールド・アルバム)。65年にヨーロッパではシングル・カットされている。わが国では69年にCBSソニーからの“スタンダード・シリーズ”でシングル・リリースされた。



12.マリーへのメッセージ
日本独自のシングルでエヴァリー・ブラザーズ59年ヒットからのカヴァー。若き日のディランが愛聴していた楽曲。日本盤シングルではB面が「ライク・ア・ローリング・ストーン」だったことも僕の周りでは大いに話題になった。ディラン自身が描いたジャケットでも話題を呼んだ『Self Portrait』(AC4位、ゴールド・アルバム獲得)収録。ディランはライヴでは一度も歌ったことがないということだけど、ホントですか、菅野ヘッケルさん!? ヘッケルさんとは94年東大寺コンサート後に食事会で(僕はしこたまアルコールも浴びたけど)大いに盛り上がった。半世紀前からのミュージック・パル&大恩人。何度となく開催された00年後半のディラン・イベント@The DoorsではMCを務めさせていただいた。



13.川の流れを見つめて
僕の大々好きなナンバー、ディランの・スワンプ・ミュージック!HOT100では41位までしかランク・アップしなかったけど(71年8月7日付)、ディランが70年代初頭の音楽ムーブメントのメインストリームを驀進している姿をこの作品で感じた。ディランはレオン・ラッセル、ジェシー・エド・デイヴィス、カール・ラドル、ジム・ケルトナー他と共演しているのだ。開局して間もないエフエム東京の“ミュージック・スコープ”(DJはケン田島さん)はCBSソニーの音楽番組で構成(台本書き)をジャズが岩浪洋三さん、ヴォーカルが青木啓さん、ロック・アルバムが大森庸雄さん、フォークが小倉エージさん、そしてヒット・シングルを僕が担当していた。そのミュージック・スコープでこのナンバーを何度も何度も紹介した。このシングルの小倉エージさんのライナーも素晴らしい、久しぶりに熟読させていただいた。97年、10年の日本公演での感激が蘇る…。



14.マスターピース
同じく71年作品で日本独自シングル(B面も注目だった)。ダウン・トゥ・アースなこのナンバーにも当時僕は酔いしれた、レオン・ラッセル!ディランとザ・バンドのライヴ・ヴァージョンも忘れることが出来ない。



15.ジョージ・ジャクソン(ビック・バンド・バージョン)
1960年代~70年代にかけてのアメリカではブラック・パワーが炸裂しR&B/ソウル・ミュージックのみならずロック・シーンにもそのムーブメントは多大なる影響を及ぼした。71~72年にかけて話題となったこのナンバーはブラック・パンサーのジョージ・ジャクソンを歌っている。72年1月8日付HOT100で33位。アルバムに収録されたのは7年後だった。



16.天国への扉
73年の映画「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯(Pat Garrett and Billy The Kid)」はクリス・クリストファーソンの名演技が実に印象深かったけど、一方でディランが担当した音楽もとても素敵だった(ディランはスクリーンにも登場)。サウンドトラック・アルバムはAC16位を記録しゴールド・アルバムに輝いた。シングル・カットされたこのナンバーは同年10月27日付&11月3日付HOT100で12位。TBSラジオ“POPS BEST 10”では同年11月18日付25日付12月2日付の3週12位を記録(同番組の1957~77年までの資料本によるとディランのPOPS BEST 10チャート・イン・ナンバーは2曲)。



その後エリック・クラプトン、ガンズ・アンド・ローゼズ他多くのアーティストがカヴァーし今やロック・スタンダードとなった。93年1月来日中のロニー・ウッドとはずっと一緒でKARAOKEも楽しんだが、同月15日僕がMCさせてもらった絵画展トーク・ショー後ロニーは急遽東京ドームに行きたいと言い出しガンズ・アンド・ローゼズのライヴに飛び入りしてこのナンバーを共演した。
15th January: Tokyo, Japan, Shibuya BEAM
Live-talk by Ronnie Wood and Bernard Fowler(promoting RW's exhibition Art-Works) MC: Mike Koshitani.
15th January: GUNS ‘N' ROSES.Tokyo, Japan, Tokyo Dome
- Knockin' On Heaven's Door(Bob Dylan)
Line-up: RW(gtr)/Axl Rose(voc)/Slash(gtr)/Gilby Clarke(gtr)/Duff McKagan(bass)/Matt Sorum(dr)/Dizzy Reed(keyb)/Tracy Amos(bvoc)/Roberta Freeman(bvoc)
*提供:Nico Zentgraf

17.フール・サッチ・アズ・アイ
1952年のカントリー楽曲。同年末から53年春にかけてハンク・スノウで大ヒット、Billboard誌カントリー・チャート3位を記録した。エルヴィス・プレスリーが58年にレコーディングし59年3月にシングルA面ソングとして発表、HOT100で2位を記録したほかBillboard誌R&Bチャートでも16位までランク・アップしている。ディランは73年にこの楽曲をカヴァー、同年末から74年にかけて話題を呼んだ。HOT100では55位を記録(74年1月12日付&19日付)。



AC17位を記録しゴールド・アルバムに輝いた『Dylan』収録。このアルバムでは「Can't Help Falling In Love」も登場。ディランは大にエルヴィス・ファン、二人の交流も纏めると膨大な資料になる。


▲参考資料:拙書「ワークス・オブ・エルヴィス」(共同通信)CMでした…汗

DISC 2
1.こんな夜に
1974年アサイラム・レコードからリリースされた『Planet Waves』はザ・バンドとの共演でも話題を呼んだが、ディランにとって初のACナンバー・ワン作品集だったのだ。4週1位に輝きゴールド・アルバムも獲得した。そこからの最初のシングルでHOT100では44位(同年3月23日付)。日本盤シングル・ジャケットの“歌/ギター/ハーモニカ ボブ・ディラン”“演奏:ザ・バンド”、老爺は堪らんのです!



2.君の何かが
同じく『Planet Waves』からのセカンド・シングル。74年5月18日付Bubbling Under The 100 Chartで107位。このシングル・ジャケットはディラン作品。



3.我が道を行く
1974年初頭のディラン&ザ・バンドのUSツアーからのライヴ・アルバム『Before The Blood』(同年夏リリース。AC3位、プラチナム・アルバム)からのファースト・シングル・カット。HOT100では66位(同年8月31日付)。アップ・テンポのこのナンバーはディラン66年アルバム『Blonde On Blonde』収録で67年USシングル「Leopard-Skin Pill-Box Hot」のB面ソングにもなった。勿論このCDにはシングル・ヴァージョン“実況録音盤”が収録されている。



4.ブルーにこんがらがって
USコロムビアに戻ったディランは75年初頭、その後多くのファンから名作と称されたアルバム『Blood On The Tracks』(邦題“血の轍”へ大拍手!勿論ヘッケルさん!!)を発表、AC2週1位を記録しプラチナム・アルバムを獲得した。そこからのシングル・カット、HOT100では31位(同年4月5日付&12日付)、素晴らしいナンバーだ。数年前のツアーにも登場したという。



5.ミスター・タンブリン・マン
1965年バーズで大ヒット、フォーク・ロック云々とは関係なく当時はFENでUSヒット・チューンとして聴いていた。バーズは我が国でも話題となりPOPS BEST 10では同年8月15日付29日付の2週9位を記録した。ディラン65年の作品でアルバム『Bringing It All Back Home』収録。10年後に我が国でシングル・リリースされた。



6.ハリケーン(パート1)
76年初頭リリースのアルバム『Desire』(欲望)はAC1位を5週記録、プラチナム・アルバムを獲得している。そこに収録されたのがこのナンバー、1975~76年にかけて注目された強烈なメッセージ・ソング。黒人ボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターの冤罪を題材にした作品。アルバム・ヴァージョンは8分半あるが、それをレイ・チャールズの「What'd I Say」同様パート1&2にセパレートしてシングル・レコードA&B面にした。HOT100で33位(76年1月10日付&17日付)。



7.モザンビーク
アフリカのモザンビーク共和国を歌った作品。アルバム『Desire』収録。70年代中期といえばエミルー・ハリスが丁度売出し中だったけど、彼女とディランの“競演”がこの作品を大いに盛り上げる。HOT100で54位を記録(76年4月10日付)。



8.コーヒーもう一杯
『Desire』収録、日本独自のシングル・カット。ここでもエミルー・ハリスの声がとても良い味を出している。彼女がヘッドライナーを務めた91年の第3回カントリー・ゴールドではMCを務めたが、焼鳥屋さんでの打ち上げ食事会で彼女がボブはねぇ…とちょこっとディランについて語ったことを想い出す。



9.メンフィス・ブルース・アゲイン
1966年作品のライヴ・ヴァージョン、ローリング・サンダー・レビュー・ツアーからの収録で76年5月23日の公演がレコード化。USシングルは「Rita May」がA面だったが、ヨーロッパや日本ではこちらがA面を飾った。AC17位、ゴールド・アルバムを獲得した『Hard Rain』(激しい雨)からのカット。10年日本公演(クラブ・ツアー)を思い出す…。元々は『Blonde On Blonde』収録。



10.ベビー・ストップ・クライング
78年リリースのアルバム『Street-Legal』はAC11位を記録しゴールド・アルバムを獲得。そこからのシングル・カット。アメリカではチャート・インしなかったがイギリスはじめヨーロッパではトップ10ヒットした。そういえば、このジャケットでディランが着用しているボーリング・シャツとクリソツ・ヴァージョンを僕はアメリカのどこかで購入して(中古)10年くらい着てた…。



11.ガッタ・サーヴ・サムバディ
79年の『Slow Train Coming』はAC3位までランク・アップしプラチナム・アルバムを獲得。このナンバーはそこからのシングル・カット、HOT100で24位(同年11月3日付&10日付)。グラミー賞最優秀ロック・ヴォーカルを受賞、ディランが個人としてグラミーに輝いたのはこれが初めてだった。サザン・ソウル・タッチなサウンドがとても新鮮な雰囲気を醸し出していたことを思い出す、アラバマ/マッスル・ショールズ・レコーディング。



12.マン・ゲイヴ・ネームズ・トゥ・オール・ジ・アニマルズ
アルバム『Slow Train Coming』からのシングル・カット。シンプルなタッチの中にとても深い味わいを覚える作品だ。当時の邦題は“世界のはじめに”。



13.スウィートハート
83年の『Infidels』はAC20位を記録、ゴールド・アルバムを獲得した。このナンバーはそこからのシングル・カット、HOT100で55位(84年1月28日付)。『Infidels』はマーク・ノップラーのプロデュースでも話題になったけど、ストーンズ・ファンも大いに注目した。ミック・テイラーが参加していたのだ。もちろんこのナンバーでも演奏している。そのほかロビー・シャイクスピア&スライ・ダンバー、アラン・クラーク&マーク(ダイアー・ストレイツ)ら錚々たる面々が御大をサポートしている。



14.タイト・コネクション
85年の『Empire Burlesque』はAC33位を記録。このナンバーはそこからのシングル・カット。同年7月20日付Bubbling Under The Hot 100で103位。



このナンバーのビデオ・クリップは同年4月に六本木を中心にして東京シューティング。そのVCには馴染みのスポットが登場する。頻繁に通っていた六本木WAVE(そこで志村けんさんとよく出会い音楽談義で盛り上がった。彼はいつもソウル系CDを大人買いしていた)。六本木プリンス、オープン間もない頃、某雑誌での六プリ紹介ページで何故かモデルをした、文章も書いたけど…。90年代には石坂敬一さんとここでよく飲んだ。勿論このHTLにはあっち方面でお世話になった、汗。そして六本木ピイト・イン…。雑誌“FOCUS”も懐かしい。女優・倍賞千恵子の出演は話題を呼んだ。

*ジャケット写真&アーティスト写真 提供:ソニー・ミュージックインターナショナル



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