【メールインタビュー】シロとクロ、新作「宛名のない、」は「手紙の様な一枚」

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山陰発、3ピース歌ものロックバンド・シロとクロ。2015年夏に地元で結成し、拠点を東京に移してから現在のメンバーで精力的な活動を続けている。2018年には<RO JACK for COUNTDOWN JAPAN 18/19>で優勝し、出演権を獲得。2019年11月に日本コロムビア主催オーディション<Project110>でグランプリを獲得し、着実にステップアップを重ねている。2020年初作品となる2ndシングル「宛名のない、」は、1stシングルの表題曲「Diving」の続編を表題に冠した、手紙のような1枚。異なる趣の3曲が揃ったコンセプチュアルな作品だ。新作についてはもちろん、バンド結成の経緯やメンバーのキャラクターなどについて、メールインタビューで3人に回答してもらった。

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■俺は東京に出て音楽でプロになる気だけど

──日野さんはレフティギターをお使いだから左利きかと思いきや、「宛名のない、」のMVで鉛筆を右手で持ってらっしゃいました。両利きですか?

日野遥希(Vo&G):ペンは右です。他だとボールを投げるのも右ですね。ギターを始める前、学校の音楽室にある右利き用のアコギを持ってみたんですが、ものすごく違和感があって。深い理由はなく直感なんですけど、“絶対これじゃない、逆だ”と思ったので左利き用のアコギを買いました。

──BARKSでのインタビューは初めてなので、新作のお話の前にまずバンドについて質問させてください。日野さんとドラムの阿部千樹さんが高校生の時、地元山陰のライブハウスで知り合い結成なさったそうですが、詳しい経緯を教えていただけますか?

日野:15歳からシロとクロの前身バンドをやっていました。同時に学校の友達とコピーバンドもたくさんやりました。17歳くらいの時、たまたま隣街のライブハウスで千樹がライブしてるのを見て、すげえ派手なドラム叩いてるやついるなーとすごく気になったんですよね。その後共通の知人に紹介してもらって、“俺は東京に出て音楽でプロになる気だけど、君はこの先どうするの?”って聞いたら、“僕も東京に出て音楽でプロになる気です”と言われて、もうその瞬間にこいつとやりたい!ってなりました。

阿部千樹(Dr):僕はその頃いろんなコピーバンドをしながらライブハウスに入り浸ってました。僕がライブの日に、日野と共通の知人が遊びに来て、その知人から“こいつバンドメンバー探してるからよかったらどう?”みたいな感じでとりあえずじゃあ話してみようかなってところから気付いたら一緒にバンドやる感じになってましたね。だいぶ長時間熱い話をしました。なんの話をしたか少しも覚えてないんですけど(笑)。

──地元を拠点に全国で活動する人も増えているなかで、上京という選択なさっていたんですね。

日野:音楽は東京でやるもんだって思ってたんですよね。田舎者だから都会に憧れたのかもしれない(笑)。

阿部:シンプルに上京することに憧れていたのが多分いちばんの理由ですね。僕は、音楽で一旗上げるならとりあえず上京だろ、ぐらいの感覚です(笑)。

──日野さんは中学生の頃、BUMP OF CHICKENを聴いてアコギを弾き始めたとのことですが、BUMP OF CHICKENのどんなところが魅力的だったのでしょうか?

日野:好きすぎて言い出したらキリがないんですけど……(笑)。やっぱりいちばんは歌詞ですかね。「ギルド」を聴いてBUMP OF CHICKENを好きになったんですが、なんでこんなぶつけどころのない人間の感情を上手く言葉に出来るんだろうと感動しました。僕は理論とかを知らず曲作ってるので確実ではないですが、自分の作る曲のコードはBUMP OF CHICKENの影響を受けてる気がします。

──阿部さんは音楽一家のなかで育って、ドラマーとしてはX JAPANに影響を受けたそうですが、その理由を教えていただけますか。

阿部:家族はみんな音楽経験者ですけど実際はあまり関係なくて、なんとなくドラムを始めたんです。スポーツとか何もやってなかったし、そのままなんとなく趣味でやってるうちにX JAPANのライブ映像を観て、“自分も音楽でやっていきたいな”とぼんやり思いました。YOSHIKIさんのプレイは一言で現すなら豪快で、ドラムは土台的な役割っていう概念を吹き飛ばすところに惹かれました。なのでシロとクロでは曲がポップでもフレーズはちょっと荒々しくしてみたり、ライブではもちろん日野の歌を立たせるんですけど、激しめのロックナンバーとかだと自分が主役だって気持ちでやってます。

──なぜ3ピース編成になったのでしょう?

阿部:僕はどんな編成でもよかったんですけど、日野とバンドやろうってなって始まった時に3ピースだったからです。彼が当時“ギターも歌も自分でやりたい!”っていうタイプだったので、そうなったんだと思います。

日野:歌って、ギターソロも弾きたかった。ただの目立ちたがり屋です(笑)。特別なこだわりとかはないんですが、考えてみたら3ピースのバンドを結構聴いてました。自然と惹かれてたのかもしれません。

阿部:でも大きな規模になるとホーン隊とかピアノとかバイオリンとか入れてるバンド多いじゃないですか。あんなふうにいろんな楽器も入れたいなっていうのは、今ではみんな思ってます。

──上京後にベースの太田 旭さんと東京で出会い、加入が決定して現在のシロとクロが誕生するんですね。

日野:実は上京前からあさひの前身バンドと知り合いだったので、彼とは顔見知り程度ではあったんですね。で、上京後偶然ライブハウスで再会をして。丁度その時僕らも前ベースが辞めたタイミングだったので、“もしよかったらウチ入らない?”って感じで加入しました。

太田 旭(B):進学を機に長崎から上京して、そのライブハウスでふたりと再会しました。高校生の頃から知っていたので、上京してきたふたりのライブを観て、かなり進化したというか、いい意味で印象が変わりました。そんなバンドにベーシストとして誘ってもらえて嬉しかったです。

──それぞれ、メンバーはどのような存在なのでしょう?

日野:千樹は遠征中の運転の大半をしてくれるので、いつも頭が上がらないです(笑)。魅せるのが上手い、お客さんから見てもワクワクするドラマーだなって昔から思ってます。あさひは、打ち上げとかですごく飲みすぎてダメになっちゃう僕の後処理をいつもしてくれます(笑)。これにも頭が上がりません(笑)。とても落ち着いたグルーブを生み出せるベーシストだなって思います。弾いてる時の色気もありますね。

阿部:日野は作詞も作曲も随一だし、いろんな面でてきぱきしてます。思いついたりしたことをすぐに行動に移すところが助かるし、僕が結構だらだらしちゃうタイプなのですごいなと思います。歌もギターも物凄く前のめりなので、音を合わせてて気分が乗る瞬間が多いです。前のめりすぎてレコーディング中はずっと“落ち着け!”って言ってますけど(笑)。旭は動きが俊敏なので、諸々の準備片付けとか機材の搬入出とかすごく助かるし羨ましいです。プレイは後ノリなところが僕と似てるので、なんとなく合わせた時とかにハマってる感じがすることが多いです。

太田:日野はリーダーですね。作曲センスに惹かれました。ギタリストとしても個性的でソロとか特にいいですね。千樹は見た目もプレイも派手です。生活もかな?(笑)

阿部:日野が3人兄弟の長男、旭が4人兄弟の長男で僕が3人兄弟の末っ子なのでふたりにいろいろ頼りまくっちゃいます。たぶん僕らのことをよく知ってる人がこの兄弟構成知ったらすごく納得するんじゃないかな(笑)。

──みなさんのキャラクターやバンドの性質がだいぶわかってきました。では楽曲の話に入ります。結成にあたり最初に作った楽曲がバンド名になっているとのことですが、「シロとクロ」はどんな曲なのでしょう?

日野:“このバンドの音楽でやっていくんだ”という結成当時の覚悟がこもった曲かなとは思います。10代の頃に作ったのでアレンジとかはかなり粗もあるんですが、とても良い曲です。きちんとリアレンジして将来メジャーデビューとかめでたいタイミングで音源化してみたいですね(笑)。

──シロとクロは、歌ものの側面とアンサンブルで惹きつける側面の両方を持っているのが特徴的だと思います。それはバンドのポリシーですか?

日野:各曲、一発で耳に残るフレーズをどこかしらに作って、リスナーを飽きさせない為にキメを多くしたり楽器でユニゾンしたりなど、単調な展開にはしないようにしてます。歌詞は曲が完成したあとに書くんですが、語感のいい、耳障りのいい言葉並びになるよう心がけてますね。

阿部:シンプルで丸い状態のアレンジを尖らせていくことが多いので、つねにいろんな音楽を聴いたり、フレーズの開拓をすることを心がけています。たとえば曲の構成がほぼできたらセクションの繋ぎ目にちょっとグチャっとしたアレンジを入れるとか、ラスサビ後半ちょっと削って楽器の主張を強くするとか。曲が出来るたびに、“ここ面白くなくない?”ってみんなで話してますね。

太田:シロとクロのベースは、立ち位置が重要だと思ってます。支えるのか広がりを見せるか、疾走感やカッコ良さ重視か。曲やセクションによって結構考えます。これは全曲通じます。

◆インタビュー(2)へ
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