【コラム】SOUL'd OUTは令和も笑う 〜BARKS編集部の「おうち時間」Vol.029

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SOUL'd OUTは、いつも前触れなくやってくる。薄情な地球で孤独に震える日々の中、水晶の宿る心が不意に騒いだら、次の瞬間にはShinnosukeのバッキバキのTrackが聴きたくなってしまう。それにしても、SOUL'd OUTについて語る人の9割が「歌詞と絡めてなんか上手いこと言おうとする」のは何故なんだろう。

ちょっと前、Diggy-MO'が『ヒプノシスマイク』に楽曲提供をしたことが発表され、「SOUL'd OUT」がTwitterのトレンドに入った。楽曲提供の発表をしただけでトレンド入りする男。みんなSOUL'd OUT好きすぎるだろと思ってトレンドを覗いてみたら、流れてくるツイートの半分くらいは「ア アラララァ ア アァ!」って言ってた。


冗談はさておき、SOUL'd OUTほど各方面に愛されているグループはなかなかいない。ヒップホップに苦手意識を持つHR/HM好きも、普段はアニソンしか聴かないオタクも、ペンライトを振るアイドル好きも、ひとたびSOUL'd OUTの話が出ると、半角カタカナで喋りながら集まってくる。愛され方はちょっとマジで独特だけど、みんなSOUL'd OUTが大好きなことは間違いないだろう。


なんでこんなに愛されてるかって、まず「音楽がイイ」。SOUL'd OUTのトラック(伴奏)はガッシリ骨太かつ一切の妥協が無いので、普段はヒップホップを聴かない人にも耳馴染みが良い。そのうえで様々な音色が飛び交い、一曲を通して色鮮やかに展開されてゆくのだから、みんなつい惹きこまれ、最後まで聴いてしまうのだ。

というかそもそもSOUL'd OUTって、ラップ以外の武器が多い。サウンドの“遊び”の多さなんて洋楽でもなかなか聞かないほどだし、プログレやハードロック的な楽曲展開を平然と混ぜてくる。楽曲ごとの個性もハッキリしており、「全部同じような曲じゃん」という印象を抱かせない。次々素敵に飛び出す音楽にしがみついていれば、あっという間に飲み込まれてしまう。一言でいえば、音楽としての魅力がスゴい。


そのうえで、あの高速ラップだ。ラップに対して「ただ喋ってるだけじゃん」とワカッテナイ悪口を言う者も、SOUL'd OUTの前では黙る。音楽でもなんでも、「誰にでもわかりやすい長所」というのは最強の武器。ついでにMCふたりの声質も独特かつ耳残りが良いので、歌詞があんまり聞き取れなくても、音楽を100%楽しめる。

ただ、歌詞を読み解くのも楽しいのだ。『ジョジョの奇妙な冒険』をモチーフとした「VOODOO KINGDOM」ひとつ聴くだけでもわかるように、SOUL'd OUTは「語感オンリー」の詞を書かない。それどころか、かなり細かく作りこまれているので、「どこがどういうふうに韻を踏んでいるか」「なぜここに、このヘンな単語が出るのか」を細かく見ていくだけで日が暮れる。

まあ要するに、SOUL'd OUTはとにかく聴きやすいのだ。前述したいくつかの要素に加え、中毒性のある「引っかかりポイント」が各曲に置かれているから、とにかく誰でもノりやすいのがひとつ。そして楽曲は芸術路線だから、アーティストの生い立ちや、ジャンルへの知識がなくても楽しめるのがひとつ。ゆえにSOUL'd OUTは聴く人を選ばず、皆に愛されるのだろう。

……とかなんとか言ってみるけど、結局みんながSOUL'd OUTを好きなワケって、「親しみやすさ」がイチバンだと思う。たぶんSOUL'd OUTは、「ヒップホップのファンではない人がイメージするヒップホップ」のイメージとかなり近い。そしてどんなひとが聴いても、なんとなく「スゴさ」がわかる。また、アニメ作品等とのコラボも多かったので、入り口が広いのも特徴だ。あと、ジャケット写真も超親しみやすいんだけど、それはまた別の話。

実際こう、ヒップホップ系の音楽をいろいろ聞いていくと、「塩が足んねぇよ」的な歌詞は珍しくない。それでもSOUL'd OUTばかりが「塩、塩」と言われるのは、彼らじゃなきゃ醸し出せない絶妙なバランス感覚があるからだ。みんなが尊敬して、愛しているからこそ「ダサい」は悪口ではなく、誉め言葉として機能する。


そういえば最近、SOUL'd OUTのYouTubeチャンネルについたコメントを眺めていたら、気になるコメントをいくつか見かけた。ひとつは「2020年はSOUL'd OUTの時代だ!」というもの。じゃあ2019年は何の時代だったんだよと思ったが、筆者は「毎日がブラック・サバス記念日」と主張するHR/HMオタクなので何とも言えない。

もうひとつは、「いま俺“COZMIC TRAVEL”期」「俺は“Flyte Tyme”期」というものだ。どうやらSOUL'd OUT、一度ハマると3年ごとにぶり返すんだけど、加えてマイブーム期毎に特定の曲を無限ループしてしまうという特徴もあるらしい。


ちなみに私は前回が「Cat Walk」期、今回が「ルル・ベル」期だ。なんかもうこれだけで女性の趣味が割れるというか、性癖を暴露しているような気分になるのだが、まあ実際、極度の脚フェチなので仕方ない。

「ルル・ベル」は隠れた名曲だ。良い曲は冒頭10秒で「おっ?」ってなるんだけど、この曲の場合は開始10秒まで全部、ハイヒールが地面を叩く音。そこにベースが入って静かにエンジンがかかるところ、超イカしてる。

同曲はルーサー・ヴァンドロスの「She's A Super Lady」をサンプリングした作品だ。2曲を聴き比べると「サンプリング」という文化の素晴らしさに感嘆する。しかもテーマが共通なので、“同一の女性”について別視点から歌っていると仮定しながら聴くと、また面白味が増す。

興味深いのはこの曲、最初に耳に飛び込んでくる歌詞がガッツリSOUL'd OUTの自己紹介だというところだ。しかもこの自己紹介、自分たちの登場を「おでましだ」って言ったり、自称「超Bad」だったりと、だいぶおどけている。ココが恥ずかしくてカラオケで歌えないってひと、いると思う。ただ、この曲は前述の通りサンプリング元が存在するので、冒頭に自己紹介を入れるのは、ルーサー・ヴァンドロスへの敬意表明っぽくも思える。

「ルル・ベル」には大きな特徴がふたつある。ひとつは客演の存在だ。ところどころで聞こえるキュートな女性の歌声の主は日之内エミ。添えモノを抜けば、楽譜的には10小節程度しか歌ってないと思うんだけど、それこそ映画『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンス並の存在感である。また、SOUL'd OUTのMCたちとは馴染まない声質は浮遊感を生み出し、自由奔放で小悪魔系な女性のイメージにビシっとハマる。

もうひとつは「ノンストップ感」だ。「ルル・ベル」には間奏が無い。前奏からラップが始まり、そこからエンディングまで一気に突き進む。これは「ルル・ベル」に限らずSOUL'd OUTの楽曲の多くに共通する特徴でもあるんだけど、特に同曲のノンストップ感は巧みにできている。

たとえば冒頭部分。女声ヴォーカルが「Man Boy, Man Boy」と色っぽく歌ったのを受けて「Lady girl, Lady girl」とクールに歌うところ。ここでは直前までラップが続き、「Lady girl」で歌メロが出現したように聞こえるが、実は「Lady girl」の2拍前の「気ままにEnjoy」から歌メロが始まっていて、“ラップ”と“メロディ”の継ぎ目を消している。

続く「ついて来いよ Girl やっぱ来んな Lady」という歌詞のところも、「~やっぱ来んな」まではラップなのに、「Lady」からは歌メロだ。これは非常に面白い。楽典的に、1フレーズは基本、4小節(4拍×4=16拍)で作られるので、メロディの起点もフレーズ冒頭の4拍の中に置かれることが多い。だけど、「ルル・ベル」の「ついて来いよ~」部分は、メロディが4.5拍目から始まっているのだ。これはちょっとしたことのようでいて、音楽的には「スイカに塩をかける」くらいの効果を生む。

SOUL'd OUTの音楽は、こういう音楽的な小技の積み重ねでできてる。言葉を拍の頭にハメずにトリッキーな印象を作ったり、変拍子を入れてブレーキをかけたり、劇的な展開を入れたり。たとえば「GROWN KIDZ」なんて、半分くらいまでは「ラップが入ったJ-POP」なのに、間奏が終わってからの展開がひとつあるだけで「やべえ曲」になっている。


「ルル・ベル」は、流れるような軽快なナンバーながら、仕掛けの数はものすごく多い。前述した「スイカに塩をかける」ような緩急表現はもちろん、Bro.Hiパートにおかれた急ブレーキや、2回繰り返す「Yo! Yo! Yo!」のコール。ほんの数秒だけれど、これがあるとないとで楽曲の「完成度」は全く変わる。こういうものを次々繰り出すセンスには感嘆するばかりだ。

さらに、語彙の選び方にも風格がある。“男たちを手玉に取って貢がせる小悪魔な女の子”を表現するのに、「底意地のワルい」なんて単語がさらりと出てくる教養深さ。そして「シガレット」ではなく「キャンディ」を使い、“ルル・ベル”のあどけなくセクシーなイメージを植え付ける手腕。ほんとに隙が無い。

もうひとつ面白いのは、この曲は徹底して「第三者視点」なところだ。Diggy-MO'パートは“ルル・ベル”にハマっていないどころか、小馬鹿にしている雰囲気すらある。Bro.Hiはちゃっかり手をつけてる感じするけど、やっぱり相手のペースに流されず、SOUL'd OUT側に引っ張ろうとしている。

「話によれば~」以降では“ルル・ベル”のワルいうわさが語られるが、最後は鼻で笑いながら「For real ??!(ってマジなん?!)」。つまりDiggy-MO'は最後まで“ルル・ベル”になびく気配もない。その姿勢が彼のキザな声質とよく似合い、楽曲のリアリティが増すのだ。

よく聞くと、“ルル・ベル”のイメージには歌詞内でも若干の変動がある。サビ部分で「ダーリン」と切なく囁く彼女は、そんなにワルい女の子にも思えない。頭の上にクエスチョンマークを浮かべるあどけなさも、テディベアをねだる幼さも。しかし騙されてはいけない。曲の最後の含み笑いには、彼女の底意地の悪さが表れている。

さて、話は変わるが筆者は最近、女王蜂というバンドにハマってる。このバンドはヒップホップ系ではなく、むしろハードロック系なのだが、歌詞の韻が心地よくて、聴いていて気持ちが良いのだ。あと、SOUL'd OUTばりに中毒性も高い。

このバンドが2020年の春、新曲「P R I D E」を発表した。こちらは「ジェンダーフリーな歌詞に、古風なシンセの音色と民謡風のコーラスが絡む、ヒップホップ風の作品」という「世代のごった煮」感ある楽曲だが、実際に聴いてみると爽やかにまとまってる。


この曲を初めて聴いたとき、私は何故か「ルル・ベルっぽいな」と思った。たぶん「特定の人物が歌われていること」「歌われている人物のイメージが“ルル・ベル”と近いこと」「ボーイとかガールとかレディとか呼びかけてるとこ」で連想ゲームしたんだろう。ついでに曲中ではバンドの名前をコールしている部分もあって、そこはかとなくSOUL'd OUTを感じないでもない。

ただ、ちょっと思うことがあった。この「P R I D E」という曲は、「清く正しく」を美徳としつつ、その陰に隠れた苦しみをほのめかしている。それは「ルル・ベル」で描かれた“ワルそうに見えて、実際にワルい女の子”の人物像とは正反対だ。

けれど、「P R I D E」は極めて“2020年っぽい”曲だと思う。典型的な「ワルい女の子」を皮肉る「ルル・ベル」は、発表から15年経った現代のジェンダー観でみると、少々アブない曲にもなる。対して「P R I D E」は、そのあたりの価値観がブラッシュアップされていて、いかにも現代的だ。まあ、女王蜂の曲をたくさん聴いていると別の意図も見えてくるけど、それはまた別の機会に。

1980年代に発表されたルーサー・ヴァンドロスの「She's A Super Lady」は、「ステキな女性を賛美する曲」。2000年代に発表されたSOUL'd OUTの「ルル・ベル」は「素敵に見える女性を皮肉る曲」。そして2020年に発表された女王蜂の「P R I D E」は、「これまで“歌われていた存在”が自ら想いを吐き出す曲」。時代とともに楽曲の主格が変化し、価値観の変遷を示す。音楽を聴く楽しみって、こういうところにもあると思う。

文◎安藤さやか

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