【コラム】ブラック・サバスで酒を飲む ~BARKS編集部の「おうち時間」Vol.038

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ブラック・サバスにはウイスキーがよく似合うけれど、社会人1年生の私は専ら安いレモンサワーばかり飲んでいる。まあ、トニー・アイオミのクリスマスの定番はレモネードらしいので、関係なくもないだろう。やはり全ての道はサバスに通じるのだ。

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新型コロナウイルス感染症の拡大に伴う外出自粛要請の影響で、昼間から呑む方が増えているそうだ。Twitterのタイムラインを見ていても、あのひともこのひとも酒を飲み、昼間からプログレやメタルでぶちアガっているので、若干心配になる。

お酒はほどほどにと言いつつ、やっぱり私もサバスを聴きながら飲んでいる。「酒の種類によって酔い方が変わる」とは半ばオカルトだが、音楽を聴きながら飲むなら、そのアーティストに因んだ酒を飲みたいのが人情ってモンだろう。ラグビーW杯中はハイネケンビールの売上が跳ね上がるのと同じ現象だ。いや、ちょっと違う気もする。

でもまあ、「そういう気持ち」って割とみんなにあると思う。たとえばクイーンのファンは、祝い事となればモエ・エ・シャンドンを飲む。なかなか豪勢だが、ファンの共通認識として「祝い事にはこのお酒」があるのって、なんか、イイよね。


じゃあブラック・サバスはといえば、「クイーンのファンでいうモエ・エ・シャンドン」級のものは正直聞いたことが無い。13日の金曜日になるとお祭り騒ぎになったり、雪が降ったら「スノウブラインド」を歌ったりはするけれど、そのくらいだと思う。「スノウブラインド」、ウインターソングじゃないけど。


何はともあれ、安酒を胃に流し込みながら聴くオリジナルサバスは最高だ。脳髄に直接流れ込んでくる浮ついた音楽は、程よい酩酊感によって引き締まる。たぶん、酔っ払いながら作られた音楽だから、酔っ払いながら聴くと印象が変わるのだ。そして安いスピリッツの殴りつけるようなアルコール感は、推進力の強いビル・ワードのドラムと、掴みどころのないギーザー・バトラーの音色によく似合う。


音楽に「正しい聴き方」は無いけれど、それぞれに合った「楽しい聴き方」っていうのはあると思う。たとえば、お風呂でしか音楽を聴きたくない人。通勤通学途中にしか聴かない人。ウォーキングの途中に聴きたい人。オーディオ機械の前に座り、集中して聴くことだけが正解ではない。いろいろな聴き方があって、どれもみんな尊いものだ。

私は、その時見える風景に合わせて音楽を聴きたいタイプだ。真冬の海に昇る朝陽を電車の窓から眺めながら聴いた「'39」なんて、涙が出るほどに美しかった。もっとも、行先はコミケだったわけだけど。


そういえば昨年の今頃、約14年ぶりにイエスの『危機』を聴いた。どうしてそんなに長いこと聴いていなかったかって、14年前に聴いたときは良さがわからなかったからだ。まあ、小学4年生なんて音楽よりドッヂボールが好きなんだから、当たり前といえば当たり前である。


それにしても、小4の私は何故『危機』を聴こうと思ったのだろう。これが、いくら考えても思い出せない。緑色が好きだったのかな。子どものお財布には少々高い3,000円。初めて買ったアルバムで、初めて聞いた洋楽だった。だから18歳の誕生日の朝、新聞にクリス・スクワイアの訃報を見つけたときは、冷たい衝撃が胸を包んだ。

久しぶりに『危機』を聴いたのは、大学生活も終わりに近づいた初夏のことだった。図書室であの緑のジャケットを見つけ、懐かしく思ったのだ。そんな緩い感じで再生ボタンを押したら、雷に打たれたような衝撃を受けた。

14年ぶりのイエスは、まるっきり音楽が変わっていた。幼いころは音の塊に歌声が乗っているだけだったサウンドは、今や無限に連なる螺旋階段から零れ落ちる砂のよう。全ての音が粒状に降り注ぎ、極色彩の世界が目前に広がっていく。不思議だった。「大人になって音楽の好みが変わった」ってだけじゃ済まされないレベルだ。言い表すならば、音が目で見えた。

思えば私の14年間は、音楽にどっぷりだった。とはいっても、レコード屋で他の客と熾烈なバトルを繰り広げたり、ライブに行きまくったりはしていない。高校音楽科を経て音楽系の大学に進学し、クラシック音楽を学んでいたのだ。

音楽科での日々は、朝読書で楽譜を読み、自習の時間に楽譜を書き、放課後には実技の練習をしまくる、そんな感じだった。授業は一般教養の他に「和声学(ハーモニーの理論)」「音楽理論(音階とか楽譜の理論)」「楽式論(曲の構造の理論)」「西洋・東洋音楽史」「芸術史」「ポピュラー音楽史」なんかがあって、正直めちゃめちゃ辛かった。そりゃあリック・ウェイクマンも音大を中退するわけだ。

そんな日々を初めて愛おしく思えたのは、14年ぶりにイエスを聴いたときだった。学んだことによって、全ての点と点が繋がり、色の無い世界に色彩が満ちた。そして同時に、神秘的なものを感じた。そもそも、小学生のときに偶然イエスを聴いていなければ、この衝撃も無かったわけだ。きっと芸術の神様が、音楽のすばらしさを教えてくれたのだと思う。イエスだけに。

けれどまあ、音楽科で得た知識が役立ってるかって、微妙なところだ。だって、「夏に“ウォー・ピッグス”が聴きたくなるのは、メロディにベトナム等の暑い国で好まれる音階が用いられているから」なんて話は、音楽評論家か教師にでも就職しない限り、飲み会での与太話くらいにしかならないし。


それに、大事な何かがすっぽ抜けてしまった気もする。音楽科に進学して以降、どんな曲を聴くときでも、頭は常にフル回転だ。好きなバンドのライブに行っても、頭の中で楽譜を書いたりして、つい注意散漫になる。だから酒を飲んで脳を強制終了させようとしている感じは、正直ある。いや、言い訳だ。単に酒好きなだけだ。

そんなこんなで、私はひとりで酒を飲みつつブラック・サバスを聴く。サバスは超・霊感系バンドなので、「いかにも西洋音楽然とした理論」が無い。だからこそ万人ウケしないんだけど、理論人間の私にはそれが心地よい。曲を聞いてるんじゃなくて、アーティストの才能を浴びている、そういう気分になれるのだ。


ナンバーワンよりオンリーワンとはいうけれど、実際、オンリーワンになることって、決められたレールの上でナンバーワンになるより難しい気がする。音楽系に限らず、芸術科はどちらの面においても挫折の場だ。どんなに自分が個性的であろうとしても、芸術科で学んでいれば十中八九「自分の個性の上位互換」と出会ってしまう。これが結構、心にクる。

そのあたり、アイオミは常にぶっちぎりで独自路線を走っているから清々しい。彼は「信じてやればいつかはモノになる」と自ら語る通り、己の才能に忠実だ。そうありたいなと思いつつ、何だかんだ彼は「個性派リフ系ギタリスト」以前に「しっかりした技巧を持つブルースギタリスト」だということを忘れてはいけない。才能は努力の上で輝く。基礎練習こそ、上達へ向かういちばんの近道だ。

それにしても、「いつかはモノになる」とは良い言葉である。「夢は必ず叶う」「頑張れば成功する」なんて無責任なことを言わないところに、アイオミ独特のいぶし銀な空気が醸し出されている。きっとそういう思想を持つからこそ、あの渋いプレイができるんだろう。

お酒が進み、イイ感じに酔っぱらってくると、「1970年代のハードロックバンドは何故、バンド名に色の名前を入れるのか」という下らない疑問が湧いてきたりする。ブラック・サバスにレインボー、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、ホワイトスネイク、エトセトラ。アイドルの担当色的なことだろうか。絶対違うと思う。こればかりは、どんなに音楽を学んだってわからない。だから音楽は楽しいのだ。

文◎安藤さやか

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